(地球惑星関連学会1998年合同大会ポスターセッション)
文字史料にもとづく日本の歴史地震・噴火研究(史料地震学・史料火山学)は,戦前の大森房吉・今村明恒・武者金吉らの精力的な仕事の後,学界から顧みられない期間が長かった.それゆえ,いまだに一部の地震学者や火山学者の間には,歴史地震・噴火全般についての誤解・曲解・無理解が数多く見られる.
ここでは,研究上の基本的な約束事項であるはずの歴史地震や噴火の日付の記述法に見られる混乱を指摘した上で,勧告をおこなう.
1.和暦と西暦の違いをきちんと認識しよう
明治6年改暦以前に使用されていた和暦は太陰太陽暦であり,累積してくる季節のずれを,およそ19年に7回の閏月の挿入によって補正していた.閏月が挿入された年は13ヶ月となった.ひと月の日数は29または30日であり,どの月がどちらの日数になるかは,年によって様々であった.また,冬至は11月中に定められていた.
以上の理由で和暦年は,西暦年に対して時間軸上で最大50日程度遅れ,遅れの日数は年によって異なる(図1).
2.和暦の表記には漢数字を用いよう
上記1についての不注意や誤解があるために,西暦年の後に和暦の月日を続けたり,2つの事件間の日数計算を誤るなどの初歩的ミスが後を絶たない.和暦年月日は漢数字で,西暦年月日はアラビア数字で(たとえば,宝永四年十月四日,1707年10月28日のように)書き分ける慣習をつくることが誤りの防止に有効だろう(図2).
3.1582年以前の西暦日付の記載にはユリウス暦を用いよう
ユリウス暦の1年は実際の太陽年より若干長いため,和暦に比べればわずかずつであるが,季節のずれが年々累積する(図3).このずれの累積を補正・抑制するためのユリウス暦→グレゴリオ暦の改暦が,1582年10月4日の翌日を10月15日とすることによって施行され,10月5〜14日の10日間が西洋史の上で消滅した(図4).1582年以前の両暦の日付には最大10日の差が存在するのである(図5).
図5 1582年以前の日付に対する各暦の表記の違いの例.
都司・上田(1997,合同学会予稿集)による「明応南海(?)地震」の暦表記:
中国暦: 弘治十一年六月十一日
和暦: 明応七年六月十一日
ユリウス暦: 1498年6月30日
グレゴリオ暦: 1498年7月9日
不思議なことに日本では,歴史地震・噴火の西暦日付を1582年以前についてもグレゴリオ暦で表記する慣行が明治以来一貫しておこなわれてきた(図6).このため,世界との整合性が失われている.
巨大噴火の火山灰,巨大地震のゆれや津波は国境をやすやすと越えるから,今後の研究の発展のためには日本旧来の慣行を捨てて世界標準に改める必要がある.1582年より古い時代にグレゴリオ暦を適用することは避けるべきである(図7).