日本地震学会2000年度秋季大会特別セッション(21世紀の地震学が目指すもの:地震学の現状と将来展望)招待講演
Necessary conditions for seismology to make effective contribution to disaster mitigation
Masato Koyama (Faculty of Education, Shizuoka University)
小山(1999,科学)は,地震学や火山学が防災・減災に十分役立っていない原因を考察したうえで,それらの解決のために理学・工学・人文社会科学の広い分野にわたる専門家と行政官・ジャーナリスト・市民の連携が必要であることを述べるとともに,それに対する学者側の閉鎖性と無自覚の問題を指摘した.ここではさらに踏み込んで,地震学の防災科学としての側面を追及・発展させるために,日本の地震学者が今後どのようなことを自覚・実践すべきかを提案する.
学者である前に人間でありたい
野田正彰(1995,岩波新書)は,兵庫県南部地震にかかわった学者たちの発言を批判し,細分化された学問分野に生きる学者と現実社会との乖離現象(専門離人症)を指摘した.学問に没頭するあまり人間性を忘れてはならない.
専門の殻に閉じこもるのはやめよう
日本の地震学者の多くは,自分たちの役割が純粋理学の追及のみであると固く認識し,研究成果を防災担当者に渡せば役目を果たしたことになると考えている.分をわきまえた考え方に見えるが,実際には過度の自己正当化や責任放棄の口実になったり,行政側の怠慢を招くなどの弊害が生じている.そもそも地震学に防災科学としての側面がある以上,社会との相互作用は不可避であるから,地震学者が純粋理学以外のことに無関心であってよいはずがない.以下に述べることにつねに関心をもち続け,他分野専門家や行政官・市民との交流を進めてほしい.
他分野の成果に広く目を向けよう
工学や災害心理学などの一部との交流はこれまでも続けられてきたが,大きな偏りがある.他の心理学分野や歴史学・社会学・法学・行政学・倫理学などの最新の研究成果にも自然災害と関連の深いものは多く,地震学者との共同研究が望まれるケースも多い.ほんの一例を挙げれば,吉川肇子(1999,福村出版)は,自然災害のリスク伝達方法や意思決定組織の問題点について心理学の立場から総合的に議論しているし,九州弁護士連合会(1996,雲仙普賢岳からの提言)は,自然災害の法制度問題を洗い出している.菊池聡(1999,地震ジャーナル)では,認知心理学の基礎知識に照らさない地震前兆分析の危険性が示されている.
行政側の論理や要請に無理に合わせるのはやめよう
地震学者は,危機管理・防災システムの一員として国や地方自治体の重要な意思決定に関わる場合がある.あるいは,そのような意思決定の結果,特定の研究機関・研究分野にまとまった額の研究費が配分されることがある.そのようなケースにおいて行政官は立場上,学者に対し明確な結論,目に見える成果,無理難題の解決,統一された見解などを性急に求めてくることがある.自己の存在の価値づけや研究費確保も大切なことであるが,それより優先されるべきことは厳然として存在する.行政側特有の「無い物ねだり」や「首尾一貫性の確保」要請に対し,予測科学としての地震学の未熟性や限界を根気よく説いたうえで,時には「できない」「わからない」「実は誤っていた」と述べる勇気も必要である.統一見解をまとめることが困難な場合には,論理ツリーの形による予測シナリオや研究者の見解分布を示すのがよいだろう(重みをつけない各論併記は,かえって行政側の混乱や無対応,マスメディアや市民の誤解を招くことがある).また,本質的な成果が不十分であるのに,それを誇大に主張・宣伝する行為は,必ずしも市民や社会の利益にならないこと,長期的にみればその研究分野全体の発展を阻害しかねないことも認識すべきである.
研究成果がどう伝えられどう利用されるかに常に気を配ろう
学者が行政官に対して発した情報は,行政機構の複雑なシステムを通過し防災対策に生かされるまでに驚くべき変容を遂げることがある.また,学者がジャーナリストに対して発した情報は,やはりマスメディア内のシステムを通過して変質した後に市民に伝えられる.情報がまったく誤解されたり,学者の思惑とは違う方向に利用されることもある.それらの過程をつねに監視し,意見を述べることは,情報発信者の責任であり義務である.また,情報の変質過程やメカニズムを熟知していれば,情報発信の仕方はおのずと異なってくる.
自然災害と向き合う文化の担い手となろう(詳細は小山,1999,科学を参照)
・警告に依存した防災意識の高揚はやめ,自然の恵みもきちんと説いてほしい
・成熟した自然観と文化を築くことの大切さと理学者の役割
本論で扱った内容の大半については,本来なら学者コミュニティー内で十分議論され,対社会的な倫理規定が作られるべき性質のものである.市民の生命・財産の保全と深い関わりをもつにもかかわらず,地震専門家の間で研究・広報活動のための指針がほとんど議論されていない点に危惧を覚える.火山危機における学者の研究・広報活動のガイドライン試案(IAVCEI Subcommittee for Crisis Protocols, 1999, Bull.Volcanol.)はひとつの参考になるだろう.