以下の本がたいへん参考になります.
●吉川肇子「リスク・コミュニケーション―相互理解とよりよい意思決定をめざして」福村出版,1999年,197頁,本体3200円 :専門家向きの厳密版
もくじ:リスク・コミュニケーションとはなにか/リスク・コミュニケーションが取り扱う問題/個人的選択についてのさまざまな理論/個人的選択に関する各分野の研究/社会的論争についてのさまざまな理論/社会的論争に関する実証的研究―ことに信頼の確立に向けて/リスク・コミュニケーションはどうあるべきか
●吉川肇子「リスクとつきあう」有斐閣選書,2000年,230頁,本体1600円 :上書をさらにわかりやすく書き直した普及版
もくじ:リスクはどのように伝えられているか/リスク・コミュニケーションとは何か/リスクを認識する/専門家の役割/増殖する不安/参加と合意形成/リスクとの共生
吉川さんは慶応大学助教授でリスク心理学の専門家.いずれきちんとした書評を書くつもりですが(→岩波書店「科学」の2000年6月号に書きましたので,ご参照ください),「リスクとつきあう」の内容の一部を以下に引用しておきます.
第4章「専門家の役割」から.
専門家がつねに正しいわけではない
たしかに科学者や行政機関などは,一般の人々よりも多くの知識をもっているし,科学的な問題を分析的に考える思考も訓練されている.それでもなお,リスク専門家の判断が常に正しいとは限らないことを,専門家自身も認識しておく必要があるだろう.
(中略)
仮に現在のリスク専門家が全員誠実で,自分が知っていることを正直に伝えているとしても,その事実は現在の科学技術の学問体系の中で正しいとされているにすぎないのであって,その事実が将来にわたって正しいものであり続ける保証はない.
リスクに対する多様な価値観
リスク専門家と同様に,一般の人々が持つ多様な価値観も尊重され,検討されることによってリスクに対する評価が決定されねばならない.単にリスク専門家だけが,その狭い専門領域だけの合意でリスクを評価することがあってはならない.
コミュニケーション能力のある専門家の必要性
「マスコミの報道は歪んでいる」とか「センセーショナルな報道をする」ということをリスク専門家が本当に考えているのであれば,それを改めるために,リスク専門家もコミュニケーション能力を持たなければならない.
組織の意思決定
集団の意思決定については,その決定結果が,必ずしもその集団の中の有能な個人の決定よりも優れたものとはならないことを,多くの研究が明らかにしてきた.しばしば「三人よれば文殊の知恵」といわれるが,このようなことは現実には起こりにくいことが明らかになっている.
ことに,集団浅慮といわれる現象は,集団による意思決定の場合,最適の決定ができないこと,むしろ誤りがあり得ることを実証的に明らかにしたものである.集団浅慮とは,集団の意思決定において,メンバー個人が持つ批判的な思考能力が,集団の話し合いの過程の中で失われる結果,過度に危険(リスキー)な決定を集団が下してしまう現象を指す.
組織外環境に配慮すること
リスク・コミュニケーションにおいては,それにかかわる組織は,リスク情報を伝えるだけでなく,組織としていかにリスクを管理しているかについての情報をも,伝えることが求められている.単にリスクが小さいとか,安全であるというだけでは,情報としては十分でない.どのようにリスクを管理しているから安全だといえるのか,また事故が起こった場合にはどんな対応がとられるようになっているのか,などについての情報が必要とされる.
内部告発者を守るシステム
たとえ組織をよりよいものにしていく努力を払ったとしても,過ちを全くゼロにすることはできない.また,組織の中でも価値観が対立するようなことも起こることだろう.その場合に,組織の中で,過ちを修正したり対立を解消することも必要だが,そのような過ちや対立を組織外に告発する人の存在も,また必要である.
このような内部告発者は,組織にとっては不利益な存在だが,組織の外部にいる人々にとっては,その組織の中でおきていることの正否を判断する有益な情報提供者である.さらに,その組織自身にとっても,短期的にはたしかに不利益をこうむることがあっても,長期的には過ちを未然に防ぐきっかけとなるという意味で,内部告発は利益をもたらす場合もあるだろう.
第5章「増殖する不安」から
社会的増幅を防ぐために
一般の人々が過度に不安にならないように,従来とられてきた情報戦略とは,リスク専門家が情報の取捨選択をして,「住民が不安がる」とか「不要な混乱を招く」ことがないよう,リスク情報を伝えることであろう.そうすることによって,リスクの社会的増幅が防げると,おそらくは信じられてきたと推測できる.
しかし,リスクの社会的増幅を招くものは,そもそも人々の不安や疑念ではないことをここで改めて強調しておきたい.
(中略)
リスクが必要以上に増幅しないために,リスク・コミュニケーションが重要である.人々は情報を求めているのだから,そのニーズに迅速に対応しないことが,スティグマ化や不信,うわさの発生を招くのである.科学的に正確な情報を伝えることだけでは,社会的増幅を防ぐ手段とはなり得ない.
ましてや,パニックを恐れて情報を隠蔽することは,社会的増幅を防ぐことにはつながらない.むしろ,情報を伝えることによってパニックが防げるのである.パニックを起こさない情報の伝え方にこそ,リスク・コミュニケーションの技術が生かされると言えよう.
第7章「リスクとの共生」より
対話の促進
人々の価値観や関心を理解するためには,ことにリスク専門家が一般の人々から学ぶことが必要であるとされる.人々が何に対して関心を持っているのか,また何を恐れているのかを十分に理解しなければならない.
リスク・コミュニケーションにおいては,価値観の相違がつきものである.しかし,リスク専門家はリスクの科学的な問題については専門家であるとしても,価値観について専門家であるわけではない.専門家の価値観に基づいてリスク・コミュニケーションが行われることがあってはならない.
教育の重要性
リスクについての情報を批判的に読み解く能力を,教育によって形成していくことがリスク・コミュニケーションにおいては重要である.
(中略)
こうした教育に重要なポイントとして,次の三つが指摘されている.
(1)ゼロリスクはないと理解すること.
(2)リスクとベネフィットの両方を考えることが必要であると知ること.
(3)リスクについて確実なことはなく,不確実性は避けられないと知ること.
リスクとともに生きる
リスク・コミュニケーションは,その送り手にとっても受け手にとっても,それぞれに一定の責任や役割を果たすことを求めるものであることがわかる.受け手の立場からみれば,決定に対する自己責任も増大するし,また科学リテラシーやメディアリテラシーに代表されるような,リスク情報を理解するための努力も求められている.リスク専門家に判断を一任することなく,自らが決定するためには,リスク情報をよりよく理解することが求められる.