(「地震ジャーナル」第28号,1999)

菊池 聡 著
予言の心理学―世紀末を科学する*

菊池 聡 著
超常現象をなぜ信じるのか―思い込みを生む「体験」のあやうさ**

(*KKベストセラーズ,1998年8月,286頁,本体1505円)
(**講談社ブルーバックス,1998年9月,219頁,本体860円)


 神戸の震災の後,宏観異常現象が,学者だけではなく広く一般市民からも耳目を集めており,一部の科学者による本格的研究も開始されたようにみえる.しかしながら,従来のほとんどの研究は,以下の2点から評者にとっては疑問の残るものであり,未科学から科学への脱皮に十分成功していないように思われる.


(1)個々の宏観異常報告自体の信頼性が吟味されず,いちおうすべてを事実の観察とみなして次の解析に進む場合がほとんどであること.
(2)大部分が人間による事後報告であるにもかかわらず,心理学的側面からの分析(あるいは心理学や社会調査において確立された信頼性分析法の適用)がほとんどなされていないこと.


 (1)にかんしては,たとえば古記録・古文書の中に残る歴史地震のさまざまな前兆報告を鵜呑みにしている例が多いが,史料地震学の立場から言えばナンセンスである.史料地震学においては,内容に注目する以前の段階として,史料の出自や性格,事件体験者と史料記述者の関係,事件年代と記述年代の時代差などにもとづく史料批判をおこない,ノイズを取り除き,真実に近づく努力をするのが常識である.地震史料の中には,好事家の著者が流言などを興味本位に集めたものもあり,本震やその被害の記述であっても虚偽や誇張がみられる例が多い.ましてや前兆の記述を鵜呑みにしていては話にならない.ただし,近現代の地震については,事件体験者の直接の報告である場合が多く,史料批判の重要性は小さい.


 より重要かつ深刻であるにもかかわらず専門家の認識が遅れているのが,(2)の問題である.冒頭に記した両書は,この問題にかんする絶好の解説書となっている.著者は,信州大学に所属する認知心理学の若手専門家である.文章は巧み,構成力も抜群で読み手を飽きさせない.


 「予言の心理学」は,全10章(1章:予言とは何なのか,2章:予言を科学的に考えるために,3章:予言が当たったように見える理由,4章:地震予言 なぜ当たるのか,5章:大予言者になる方法,6章:予言・宗教・科学,7章:阪神大震災と予言者たち,8章:心理学と占いと疑似科学,9章:予言をめぐる心理学,10章:予言とつき合って生きる)から構成されている.やや理屈っぽい章と気楽に読める章とが交互に配置され,高度な内容の解説書でありながら,非常にとりつきやすい本となっている.有名予言者たちのトリックや錯誤を暴露するなど,興味深い事例も豊富である.


 読者は,まず上の目次にある「予言」という言葉をすべて「予知」に置きかえて考えてみるとよい.そうすれば,この本の存在意義がおぼろげに見えるであろう.著者は,予言を「真性の予言」(科学的には未知の情報伝達が介在する予言)と「疑似予言」(単なる偶然,創作,心理的錯誤などによって生じる予言)とに分類する.著者にとって,宏観異常現象による地震予知は「真性の予言」候補のひとつなのである.じじつ,地震予知研究者の何人かの研究事例が紹介され,その研究手続きについて批判もなされている.


 もう一冊の「超常現象をなぜ信じるのか」の扱う内容も前書と基本的に同じであり,全6章(1章:「信じる心」はどこから生まれるのか?,2章:「自分の目で見たもの」は信じてよいのか?,3章:体験していないことをなぜ「体験」できるのか?,4章:その考え方は正しいのだろうか?,5章:それは本当に「めったにないこと」なのか?,6章:「信じる心」を生む「体験」のあやうさ)から構成されている.ただし,記述の仕方が「予言の心理学」よりは堅く,理屈っぽい読者にはこちらの方が好まれるかもしれない.


 両書をつうじて著者が伝えようとしている最大のポイントは,以下の2つであろう.
(1)人間の心にはさまざまな認知バイアス(確証バイアス,後知恵バイアスなど)が存在し,それが原因となって関連性の錯誤,確率推論の失敗,体験の絶対化などが起き,結果として多くの予知が「疑似予言」となりがちなこと.
(2)認知バイアスは,心理学研究や社会調査で培われてきた正当な手順(信号検出理論,実験計画法にもとづく比較対照実験など)をふまないと,たとえ専門家であっても取り除くことが容易でないこと.


 信号検出理論は,予知(前兆信号の検出)とその結果を,A)予知あり・地震あり(ヒット),B)予知あり・地震なし(フォールスアラーム),C)予知なし・地震あり(ミス),D)予知なし・地震なし(コレクトリジェクション)の4つに区分し,信号検出能力をROC曲線などの手法をもちいて評価する手法である.宏観異常現象に限らず従来のすべての地震予知にかんして,A)のみが公表・報道されがちであり,とくにC)がすっかりなおざりにされている.A)のみが注目されるのは,上記「確証バイアス」(確証だけを求め,反証の収集を避ける心の働き)の結果に他ならない.「めったにないこと(前兆)」が,「めったにないこと(地震)」と時間的に一致するだけでは意味がないのである.


 今後の地震予知情報は,最低限として上記A)〜D)のすべてを包み隠さず公表する必要がある.また,平常時に(あるいは被災地から隔たった遠隔地において)統制のとれた条件下で,宏観異常現象の能動的な情報収集をおこなうなどの比較対照実験がぜひとも必要であろう.市民からの情報を受動的に待つだけでは,少数の情報提供マニアとつき合うだけに終わりがちである.


 上記両書は,心理学的な切り口で地震予知や宏観異常現象をみた場合,興味深い数多くの示唆が得られることを教えてくれる.学際科学としての「地震予知学」を推進したいのならば,理学者と工学者だけで閉じるのではなく,心理学や社会調査の専門家に対しても広く門戸を開きべきである.さもなければ,宏観異常現象をもちいた予知法が今後「実用化」され,予知情報が社会に広く伝えられるようになったとき,心理学者たちからの厳しい批判を浴びることになるだろう.

 小山真人(静岡大学教育学部)


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