丹那断層見学ガイド

 伊豆半島には数多くの活断層が分布しています.中でも,伊豆半島の北東部にあって南北に伸びる丹那断層(図1)は,伊豆半島内で最も活動度が高い断層として知られています.この断層の地下には地震発生能力のある震源断層があり,過去8000年間に9回の地震を引き起こしたことが調べられています.1930年11月26日に起きた北伊豆地震(マグニチュード7.3)もその地震のひとつです.

 丹那断層は,どのような特徴をもつ断層であり,いつ頃から活動を始め,今後はどうなっていくのでしょうか?丹那断層については数多くの研究がなされ,その活動史や性格がよく理解されています.実際に丹那断層を訪れてそれらの知識を学び,活断層の実態や伊豆半島の現在の地学的状況についての理解を深めましょう.

図1 丹那断層の位置.AA',BB',CC'のそれぞれは,断層運動によって生じた谷のずれ(松田,1995).
陰影をつけた部分は断層に沿ってできた2つの盆地(田代盆地と丹那盆地).

1.交通と宿泊

 丹那断層へ行くためには,東海道新幹線の熱海駅あるいは三島駅,在来線では東海道本線の函南駅,または伊豆箱根鉄道修善寺線の大場駅が最寄りの駅となります.伊豆箱根鉄道には三島駅で乗り換えられます.丹那盆地や田代盆地に至るバス路線もあるようですが,本数は多くないでしょう.交通の便から考えて自家用車またはレンタカーの使用をお勧めします.熱海市と函南町を結ぶ熱函道路が丹那盆地の南縁を通っており,遠方からのアプローチがしやすくなっています.

 三島および熱海駅付近には数多くの宿(温泉宿をふくむ)がありますが,丹那断層付近には宿泊施設がほとんどありません.三島または熱海駅付近,あるいは伊豆半島北部に数多くある温泉観光地のどこかに宿泊して丹那断層まで足をのばすのがベストでしょう.もちろん東京からの日帰りもじゅうぶん可能です.

2.巡検資料

 国土地理院発行の2.5万分の1地形図「三島」「熱海」「韮山」「網代」の4枚(あるいは5万分の1地形図「沼津」「熱海」の2枚)を用意しましょう.ある程度地学の専門知識にくわしい方は,末尾の参考文献のコピーをご用意ください.

3.観察に適した時期

 丹那断層付近は標高がそれほど高くないため,1年をつうじてほぼ全期間,観察が可能です.ただし,厳冬期に自動車で行く場合は,峠道の積雪や凍結にそなえてチェーンを携行する方がよいと思います.

4.活断層とは何か

 活断層とは,地下深部にある断層が長期間にわたって一定方向にずれ(変位)を起こし,そのずれが累積した結果,地表にまでずれの一部が達して見えているものであり,今後もそのずれの動きが継続すると考えられる断層のことです(図2).

図2 震源断層と活断層の関係をあらわした模式図.

 地下深部にある断層のずれは,多くの場合間欠的に発生し,その際に地震を引き起こします(アメリカなどには常に少しずつ連続的にずれていて,地震を発生しない活断層が知られていますが,そのような活断層は日本では見つかっていません).この意味で,地下深部にあって地震発生能力をもつ断層を震源断層と呼びます.震源断層でのずれの繰り返しの影響が地表にまで達し,そこに生じた断層にずれの累積した証拠が認められる場合,その断層を活断層と呼ぶのです.

 つまり,活断層は,震源断層の尻尾のようなものです.地表に活断層が見えていなくても,地下には震源断層が潜んでいる場合があります(図2).よって,活断層が分布しない地域にも大きな直下型地震が発生することがあります.

 また,震源断層のずれが,必ず毎回地表にまで到達して活断層をずらすわけではありません.このことは1995年兵庫県南部地震でも証明されました.地震の際に,淡路島北部と神戸市内の地下にある震源断層が動いたことは,余震分布や地殻変動の観測結果から考えて間違いありません.淡路島では震源断層のずれが地表にまで達し,地表ですでに知られていた活断層(野島断層)にずれが生じました.しかし,神戸市内では既知の活断層があるにもかかわらず,どこにも活断層のずれは生じなかったのです.

 そもそも地表付近は,山間部などを除いてたいていは未固結の柔らかい堆積物によって覆われています.このような地層が活断層でずれても破壊的な地震波は発生しません.つまり,地表で見えている活断層そのものから地震波が発生するわけではありません.地震波のほとんどは,地下深くの固い岩盤をずらす震源断層から発生するのです.

 つまり,活断層をまたいだ建物を建てさえしなければ,活断層の10mわきでも1kmわきでも条件はほとんど変わらない場合が多いのです.むしろ地震動の揺れの大きさ(震度)は,地盤の状態に支配されます.このことは,1930年北伊豆地震時の伊豆半島北部の被害分布を見ても明らかです.

5.伊豆半島とその周辺の活断層

 伊豆半島には数多くの活断層が分布しています.丹那断層は,伊豆半島北東部の三島と熱海の間にあり,南北に8kmほど伸びる活断層です.しかし,その南方延長にある浮橋断層や大野断層などの活断層もふくめて,ひと連なりの構造線をなすと考えられいます.現に,1930年北伊豆地震の際には,これらの複数の活断層に沿ってずれが発生しました.

 活断層は,そのずれ方によって正断層型,逆断層型,横ずれ型(ずれの方向によって右横ずれ型,左横ずれ型の2つにさらに分けられる)の3種類に分けられます.丹那断層は,断層の一方の側から反対側を見た場合,向かって左側に反対側の地盤がずれていく左横ずれ型の活断層です.

 活断層は,その活動度(長期にわたって平均したずれの速度)によって,A級(1000年間に1〜10mのずれ)・B級(1000年間に10cm〜1mのずれ)・C級(1000年間に1〜10cmのずれ)などに分けられます.伊豆半島の北東部にあって南北に伸びる丹那断層は,伊豆半島内では唯一のA級活断層として知られる活動度の高い活断層です.

6.丹那断層の地形・地質

 伊豆半島は,過去2000万年間の火山活動によって噴出したおびただしい量の火山岩の集合体です.200万年前より古い時代の伊豆は,現在の伊豆七島付近でみられるような小さな火山島や海底火山の集まりであり,その場所も現在より南に位置していました.その後,100万年ほど前から始まった本州への衝突にともない,海底火山の集合体であった伊豆はその全容を海面上にあらわし,現在の半島の形が作られました.そして,それ以後の火山噴火のほとんどは陸上で起きるようになり,天城火山,達磨火山などの複成火山が誕生しました.

 複成火山とは,噴火休止期をはさみながら同じ場所(とくに山頂付近)から何度も噴火を起こし,結果として大きな火山体を成長させるタイプの火山です.複成火山は,長く裾を引く火山斜面によって特徴づけられます.伊豆半島にできた複成火山たちも,かつては雄大な裾野をもっていましたが,噴火が停止した後の数十万年間にずいぶんと浸食され,かつての山頂の位置すら今はさだかでありません.しかし,達磨山の東斜面,天城山の北斜面のように,かつての火山の裾野の地形がかなり保存されている場所もあります.

 伊豆半島北東部にある多賀火山と湯河原火山もそのような火山の仲間であり,かつての火山の西側斜面がよく保存されています.丹那断層は,この両火山の西側斜面を南北に横切るために,その地形的特徴がよく観察できます.

 伊豆スカイラインの走る稜線から西に向かって徐々に高度を下げた火山斜面は,丹那断層に沿って作られた南北に伸びる谷によっていったん断ち切られています.この谷の中には,丹那盆地や田代盆地などの盆状地形が発達しています(図1).丹那断層の西側はふたたび高地になり,そこから西に向かって再び火山斜面が高度を下げていきます.

 丹那断層に沿った水平方向のずれを地形から観察することもできます.火山斜面上にできた谷の位置が,活断層が左横ずれ型であることをあらわす方向にずれている場所を見つけることができます(図1).

7.丹那断層の活動史と将来予測

 1930年11月26日に起き,おもに北伊豆地方に著しい被害をあたえた北伊豆地震の際には,丹那断層沿いの地表に著しい左横ずれ型のずれが生じました.また,伊豆半島北部の測量結果から,北伊豆地震の際に丹那断層の西側地域は,東側地域に対して南に移動したことがわかりました.これらのことから,北伊豆地震は,丹那断層の地下深部にある震源断層の左横ずれ運動によって引き起こされたと考えられています.地震にともなう丹那断層のずれは,当時建設中だった東海道本線の丹那トンネルの坑道を2mあまりもずらしてしまいました.

 1930年以前の丹那断層の活動史はどのようになっているのでしょうか.活動史に何らかの規則性が認められれば,今後いつ丹那断層が再活動するかを推定できるわけです.このことをめざして,1980年代前半に数回にわたる丹那断層の発掘調査がおこなわれ,大きな成果があげられました.深さ7mほどまで掘り下げられた地層には,丹那断層のずれによってできた断層や亀裂が見つかり,そこから9回の事件(地震)を読みとることができたのです(図3).

図3 丹那断層の活動史(丹那断層発掘調査研究グループ,1983,地震研究所彙報).横軸は年代(0が現在をあらわす).縦軸は,発掘調査で得られた9回の断層活動事件(A〜I)を発生順に並べたもの.白帯と黒帯の長さは,年代推定の不確定さを示す.黒帯は,すでにわかっている4枚の火山灰の放射性炭素年代値を基準とした場合の年代推定.白帯は,放射性炭素年代値に暦年補正を加えた場合の年代推定(こちらの方がより正確).

 このうちの最新の事件Aが1930年北伊豆地震によるものと推定されます.また,事件Cの証拠は,838年の神津島の大噴火によって飛来した火山灰層の直上から見つかりました.このことから事件Cは,平安時代の朝廷が編さんした史書『続日本後紀』に「伊豆国地震為変.里落不完.人物損傷.或被圧没」と記載のある,承和八年(841年)の伊豆国地震に対応すると考えられています.事件AとC以外の他の事件についても,放射性炭素年代の測定や地層中にはさまれる火山灰の同定によって,おおよその年代が求められました.

 以上の結果から,丹那断層は,およそ1000年程度の活動間隔をもってかなり規則的に活動してきたことがわかりました(図3).およそ70年前の1930年に最新の活動があったということは,丹那断層があと数百年くらいは地震を起こしそうもない「安全断層」であることを意味すると考えられています.

 1930年11月26日に起きた北伊豆地震には,かなり顕著な前震活動がともなったことが知られています.11月7日から始まり,11日から数が増え,13日から有感地震も起き始め,前日の25日には700回を越える地震が観測され翌日の本震発生に至りました.しかし,この前震活動は,後から考えれば前兆だったらしいとわかる例(事後予知)のひとつです.ある地域で群発地震が起き始めた場合,それが大地震の前兆かどうかを判断したり,いつ頃本震発生に至るかを予測したりする学術的根拠や技術を,現代地震学はまだほとんど持ち合わせていません.このことが,地震の直前予知が困難であるとされる理由のひとつです.

8.丹那断層はなぜそこにあるのか

 なぜ丹那断層はそこに存在し,伊豆半島の他の活断層と比べてひと桁以上高い活動度をもつのでしょうか?このことには,これまで合理的な説明が与えられていませんでした.最近の学説によれば,東伊豆単成火山地域で繰り返されるマグマ活動によって東伊豆地域の地殻が北東-南西方向に伸び,その伸びによって蓄積された歪みを解消するために丹那断層が誕生し,定期的なずれを繰り返しているとして説明できるようになりました(小山,1993).

 このことは,1930年11月の北伊豆地震の直前(1930年2〜5月)に伊東沖で群発地震が発生したこととも調和的です.伊東沖で起きる群発地震は,地殻上部(伊豆半島ではおよそ深さ15〜10kmより浅い部分)へのマグマの侵入によって引き起こされることがわかっています.これらのマグマは,(地殻内にかかる力の方位を反映した)北西-南東方向に伸びる板状の岩体(岩脈)として地殻内に侵入し,その場で冷え固まります.結果として,その岩体の幅の分だけ,地殻が北東-南西方向に押し広げられることになります.このようなマグマ侵入事件の結果として丹那断層に加えられた歪みが,北伊豆地震を起こす引き金になったのではないかと思われます.

 もし上の考えが正しいとすれば,東伊豆単成火山群と丹那断層の誕生時期はだいたい同じ頃のはずです.東伊豆単成火山群が噴火を開始したのはおよそ15万年前であることが,伊豆半島に分布する火山灰層の調査結果からわかっています.いっぽう丹那断層がいつ頃誕生したのかは必ずしも明らかになっていませんでしたが,最近の調査によって少なくとも丹那盆地付近にみられる断層ぞいの地形の段差はおよそ10万年前に誕生したことがわかり,上の考えに矛盾しないことがわかりました.伊豆半島で起きる火山活動と断層運動(地震活動)は,このような形で密接に結びついているのです.

9.観察地点

図4 観察地点1〜2の位置.地点1に展示されている立体模型上でしめす.

地点1:丹那盆地の乙越

 丹那盆地の南東端の山すそにあるこの地点(図4)は丹那断層の真上にあたり,1930年北伊豆地震の際に生じた左横ずれ断層運動の証拠が保存されています.当時この場所に建てられていた家屋は断層の真上にあったために大破し,その庭にあった石組み,およびそのわきの石垣が断層運動で2.5mほどずれました.これらの石組みや石垣のずれが今でも観察できます(図5).

図5 1930年北伊豆地震時の丹那断層のずれによって,2.5mずらされた水路の石組み

 丹那盆地内で熱函道路を出ると「丹那断層」の標識が見つかります.その表示にしたがって進めば,この地点が容易に見つかります.国の天然記念物に指定され公園化されており,遊歩道・休憩所・トイレ・駐車場などが整備されています.公園内には数枚の説明ボードが建てられており,訪問客の理解を助けています.また最近,公園内に深さ2m程度の長方形の溝が掘られ,丹那断層の地下断面を観察できるようになりました.溝を囲むように建物が作られ,地下観察館となっています(図6および7).

図6 丹那断層地下観察館

図7 地下観察館の内部でみられる丹那断層の断面

地点2:田代盆地の火雷神社

 丹那盆地の3kmほど北の丹那断層ぞいに田代盆地があります.田代盆地の南縁にある田代の集落の北西側の山すそにある神社が,この地点です(図4).田代盆地の西縁にあたるこの地点は丹那断層の真上にあり,1930年北伊豆地震の際に生じた左横ずれ断層運動の証拠が保存されています.

 神社は自動車道から一段高いところに建てられており,神社に上る15段ほどの石段があります.現在使われている石段とその下にある鳥居は地震後に作られた新しいものですが,そのすぐ北側に接する古い石段とその下の鳥居跡(柱のみ)が町の天然記念物に指定され,保存されています.丹那断層のずれは,この古い石段と鳥居跡の間に生じました.鳥居跡の正面に立つと,石段の位置がかつて正面にあったはずの鳥居に対して,向かって左側に1mほどずれていることがわかります(図8).

図8 火雷神社でみられる丹那断層のずれ.鳥居と階段の位置が1mずれている.

さらなる興味をもった方のための参考文献

池田安隆・島崎邦彦・山崎晴雄(1996):活断層とは何か.東京大学出版会.
金子史郎(1979):活断層―地震の謎をさぐる.講談社現代新書,7-35頁.
小山真人(1993):伊豆半島の火山とテクトニクス.科学,第63巻,312-321頁(1993年5月号),岩波書店(深尾・石橋編「阪神・淡路大震災と地震の予測」岩波書店刊に再録).
小山真人(1994):伊豆・小笠原火山弧北端部における現在および第四紀後期のテクトニクス.地学雑誌,第103巻,576-590頁,東京地学協会.
松田時彦(1992):動く大地を読む.岩波書店,111-126頁.
松田時彦(1995):活断層.岩波新書.
松田時彦・編(1984):丹那断層.月刊地球,第6巻,135-208頁(1984年3月号),海洋出版.
中村一明・松田時彦・守屋以智雄(1987):火山と地震の国.岩波書店,108-115頁.
吉村 昭(1990)闇を裂く道.文春文庫.


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