(「科学」1993年5月号記事を一部修正)


伊豆半島の火山とテクトニクス

小山真人(静岡大学教育学部地学教室)

 伊豆半島の噴火の歴史を地質学的に調べると,1989年に伊東沖で起きた手石海丘の噴火と似た事件が伊豆半島の陸上で過去15万年間繰り返してきたことがわかる.この噴火史の詳細を明らかにし,周辺の地質,地形,地球物理データとつき合わせることによって,伊豆半島の現在置かれている特殊な地学的状況を浮き彫りにできる.

 1989年7月13日,伊豆半島の東海岸にある伊東市のわずか3km沖合で海底噴火が起き,手石海丘と呼ばれる海底火山が誕生して人々を驚かせたことは記憶に新しい(図1).噴火の生じた伊東市の沖合では,1980年以来ほとんど毎年のように群発地震が生じ,それに呼応するように地殻の異常隆起現象が起きていた.群発地震の震源分布は付近の地殻にかかる力(地殻応力)の最大圧縮の方向と同じ北西―南東方向にみごとに並び,周辺テクトニクスとの関連を予想させた.手石海丘の噴火にともなって顕著な地殻変動が観測され,たとえば伊東市と初島の間の距離が噴火に先立つ10日間で22cm伸びたことがわかった(1).地殻変動や地震分布の解析により,1979年から1989年までの11年間に海底の地殻に北西―南東方向の幅1m,水平距離15km,縦方向の長さ6〜14kmの板状の割れ目が開きマグマが上昇した,つまり地殻内部に長大な岩脈が貫入し,最後にそのごく一部が海底に噴出したというモデルが立てられている(2).手石海丘の噴火にともなって伊東と初島の間の距離が劇的に伸びたことは,最近では一般生活にも使用されるようになった人工衛星による測位システム(GPS)観測の結果にも見事にとらえられた(3).
 手石海丘の噴火とはいったい何であったか,伊東沖の地下に生じた長大な岩脈は何を意味するのか,そしてこれからも同じような噴火が起きるのだろうか,というのが大方の人の抱く疑問であろう.地球科学において,あらたに生じた事件の意味を考え将来の予測をする場合には,まず観測によって起きた事件の全容を把握することと,過去の歴史をさぐり事件の位置づけを行なうことの2つがきわめて重要な作業となる.この両作業がバランス良く実行された場合,その事件の歴史上の意味が明らかになり,将来予測が可能になる.本論においては,伊豆半島における過去の噴火事例をさぐり,これまで蓄積された他の地形・地質・地球物理データと総合・検討することによって,手石海丘噴火のマグマ供給メカニズムや歴史上の意味を明らかにし,さらには東伊豆地域をふくむより広域の火山・断裂構造の意味やテクトニクス場の性格を考察する.

図1 伊豆半島とその周辺に分布する火山.最近200万年間に活動したものが示してある.東伊豆単成火山群と東伊豆沖海底火山群(の多く)は単成火山の集合体,それ以外の火山のほとんどは複成火山である.

単成火山と複成火山
 伊豆半島において,地質学上もっとも最近生じた火山活動として知られているのは,東伊豆単成火山群と呼ばれる小火山群の噴火である(4).東伊豆単成火山群は,伊豆半島の東部に分布する60個あまりの小火山体の集合である(図1).単成火山とは,ただ一度の噴火によって小さな火山体を形成した後,噴火を終えてしまうタイプの火山のことをいう.日本では,東伊豆単成火山群に属する伊東市の大室山や,九州の阿蘇カルデラ内にある米塚という小火山がその典型である.単成火山に対し,同じ火口から何度も噴火を起こし,結果として大きな山体を成長させるタイプの火山を複成火山という.富士火山や箱根火山などはその典型である.複成火山は何度も同じ火口をつかって噴火を起こすので,その火道はパイプ状の安定した形状をもつと言われる(5).
 東伊豆単成火山群と同類の小火山群は,伊豆半島と伊豆大島の間の海底にも分布が知られており(東伊豆沖海底火山群(6),図1),気象庁はこれらをまとめて伊豆東部火山群と呼んでいる.最近,活火山の定義が変更され,定義のあいまいだった休火山という概念をなくすとともに,過去2000年間に噴火した証拠のあるすべての火山を活火山として認めることになった.文書に残る伊豆東部火山群の1989年以前の噴火記録はこれまで知られていないが,火山地形が新鮮であることや噴火堆積物中にふくまれる木炭の年代測定の結果から,伊豆東部火山群は活火山の定義変更前から活火山として分類されてきた.手石海丘の噴火は,はからずもこの判断の正しさを劇的に証明する事件となった.伊東沖の噴火の際に漂着した噴出物の岩石学的特徴が,伊豆東部火山群のものと一致することから,手石海丘の噴火が伊豆東部火山群の有史以来初の噴火であることが裏づけられた(7).
 単成火山は,多くの場合これまで火口のなかった部分の地殻を割って誕生するので,そのマグマを供給する火道は岩脈型の割れ目火道の形状をしていると言われる(5).なぜなら,通路のなかった場所にいきなり複成火山と同様のパイプ状の火道をつくるのは大変な仕事量になるからである.単成火山の火道が岩脈型をしていることは,伊豆大島や三宅島などで,実際に単成火山の火口内にマグマを供給した岩脈が露出することからも確かめられている.そして,最初に述べたように「単成火山」手石海丘の噴火が地下の岩脈火道の形成の地表へのあらわれであったことが,地震分布や地殻変動からも実証されたのである.

独立単成火山群
 ところで,日本にある単成火山の多くは,複成火山の山体の一部にできる側火山(あるいは寄生火山)である.側火山は,複成火山の中心火道から派生した岩脈が地表に達して作られる(5).たとえば,富士山の北西および南東斜面に分布する数多くの小丘は,いずれも富士火山の側火山である.複成火山には側火山のマグマ供給路の派生源である中心火道が存在し,その中心火道をつかって成長した親火山が側火山とは別に存在するのが普通である.
 ところが,東伊豆単成火山群には,これといった明瞭な親火山や中心火道が存在しない.東伊豆単成火山群のように,共通の活動時期とマグマ組成をもつ単成火山のみがある地域に群れをなす場合,それらを「独立単成火山群」と呼んで区別する(5).複成火山の側火山は中心火道から派生したマグマの産物であり,あくまで複成火山の構成要素の一部であるのに対し,中心火道をもたない独立単成火山群は複成火山とは全く異なる構造をもつことがわかる.
 独立単成火山群と複成火山の違いは,マグマの通路である地殻の状態に左右されて生じると考えられている(5).噴火するたびにあらたな岩脈火道をつくり火口の位置を変える独立単成火山群は,裏を返せばどこにでも火道が開きやすいことを意味している.独立単成火山群においては,同じ火道をもう一度使うよりは,別の部分に通路を作る方がずっと楽な作業なのである.岩脈火道の形成は,岩脈の幅分だけ地殻を横に押し広げることに相当する.したたって独立単成火山群においては,噴火のたびにマグマを供給した岩脈火道の幅分だけ地殻が横に伸びることになる.つまり,独立単成火山群は,地殻が側方に伸びることに対する制約のない地域にできやすい.
 これに対し,ひとつの火道を繰り返して使用する複成火山は,地殻の他の部分に容易に火道をつくることができない状態,つまり地殻の側方伸長が制約を受けている地域に生じる火山と言える.よって,ある地域に分布する火山が複成火山か独立単成火山群かを知れば,その地域の上部地殻を支配するテクトニクス場の情報が得られるわけである.
 日本列島はプレートの沈み込み帯にあたり,全体としてみればせめぎ合うプレートが地殻に圧縮を与えている場である.つまり,基本的には地殻の伸長が制約されている地域であり,予想通りそこに生じる火山の多くは複成火山となっている.一方,独立単成火山群は,安定大陸の内部やプレート拡大境界周辺などの地殻の開いている場所―つまりは地殻の側方拡大に対する制約のない地域―に数多く存在することが知られている.東伊豆単成火山群のある伊豆半島東部地域はそのような場所にあたるのだろうか?

伊豆半島の生いたちと火山噴火史
 伊豆半島は,フィリピン海プレート東縁を縁どる伊豆・小笠原火山弧の北端に位置し,フィリピン海プレートの北上とともに本州に衝突した異地性地塊(伊豆地塊)として知られている.伊豆半島の陸上にはおよそ2000万年前から現在までの火山岩類を主体とする地層が露出し,その複雑な火山活動の歴史をたどることができる(8).およそ200万年前より以前の地層の大部分は,海底で噴出した火山岩類と,それらの浸食・再堆積による二次堆積物である.これらの地層に残された化石や古地磁気の記録は,伊豆地塊がかつて南洋にあったことを物語っている.100万年前になると,海底で堆積した証拠を示す地層がいっせいに姿を消し,陸上の火山噴出物ばかりになる.つまり,この時期に伊豆半島は長い海底火山の時代を終え,その全貌を陸上にあらわしたのである.
 より劇的な変化は,伊豆地塊の北縁に分布する地層中に記録されている.箱根火山の北側に接し,東名高速道路の御殿場―大井松田インターチェンジ間にある足柄山地には,かつて伊豆地塊と本州の間に存在した海にたまった堆積物(足柄層群)が残されている.この地層の年代や化石を詳細に検討することにより,150万年前には水深2000m程度の深海だったこの地域が,100万年前から70万年前にわたって粗粒堆積物によって急速に埋めたてられ,ついには激しい褶曲と隆起の場となったことが明らかになった(8)(9).この事件は,伊豆地塊が本州に衝突し,現在の伊豆半島の原型がつくられたことの反映と解釈されている.
 こうして陸にのぼった伊豆半島には,およそ100万年〜20万年前の期間は天城火山や達磨火山をはじめとする計13個の複成火山が次々につくられた(図1).ところが,20〜15万年前になるとこのような火山活動に大きな転機がおとずれる.それまで噴火をつづけていた複成火山が,箱根火山を残してすべて活動を終えてしまい,東伊豆単成火山群という独立単成火山群が活動する時代に入ったのである(10).
 伊豆・小笠原弧と本州弧という火山弧同士の衝突が地殻中に大きな圧縮応力場を生じることは容易に想像でき,現に足柄層群中には激しい褶曲と隆起の証拠が残されている.衝突とその後の浮揚性沈み込みにともなう圧縮応力によって,伊豆半島の地殻は側方拡大に対する大きな制限を受け,その結果として100万年〜20万年前の複成火山の時代がおとずれたと解釈できる.伊豆・小笠原弧の本州への衝突(あるいは浮揚性沈み込み)は現在も引き続いており,伊豆半島の応力場を現在も支配しているのは衝突にともなって生じる圧縮応力であるように思われる.なぜ伊豆半島には,衝突という現象と一見矛盾する「独立単成火山群」が生じているのだろうか?

噴火史から知るマグマ供給系の構造
 独立単成火山群が伊豆半島のような火山フロント付近に存在する例は,世界的にみても稀である.手石海丘の噴火の歴史的意味を明確にし,ひいては伊豆半島にこのような特殊な火山群が生じる理由を知る上で,東伊豆単成火山群の噴火史を明らかにすることは重要な意味をもつ.すなわち,個々の火山の噴火年代,噴火場所,マグマの噴出量,噴火様式などを詳細に知る必要がある.
 これまで調べられていた東伊豆単成火山群の噴火史(4)では,噴火史組み立ての鍵になる年代データが少なく,多くのことが未解決のまま残されていた.火山の噴火順序や年代を知るためには,噴火の産物である火山灰層の重なる順番をしらべる火山灰編年学(テフロクロノロジー)という方法がおもに用いられる.広域に分布する年代のよく決まったテフラ(広域テフラ)を認定することによって,各火山灰層の年代がある程度推定できる.早川由紀夫と筆者は,東伊豆単成火山群起源のテフラ(火山砕屑物)の間にはさまれる南九州起源の姶良Tn火山灰(AT)と鬼界―葛原火山灰(K-Tz),木曽の御岳火山起源の御岳第一軽石(On-Pm1),箱根火山起源の火砕流堆積物(Hk-TPfl)をはじめとする計12枚の広域テフラを認定し,同一時間面を示す鍵層として用いた.また,テフラ間にはさまれる噴火休止期間の風成堆積物であるレス(11)の堆積速度を一定とする内挿によって,これまで年代未知だったテフラの噴火年代の推定もおこなった.
 その結果,東伊豆単成火山群の噴火史の全貌が明らかになり,手石海丘の噴火の際に起きたような地下の岩脈形成が,およそ15万年間にわたる噴火史全体をつうじて繰り返されてきたことがわかった(12).東伊豆単成火山群に属する火山は,伊豆半島の陸上に62個知られているが,そのうちのいくつかは同一噴火割れ目に沿って同時に生じた火山であることが判明した(図2および3).現在までに13列の噴火割れ目が見つかっており,62個ある単成火山が実際には34個の火山と火山列に相当することになる.長い噴火割れ目の走向は,付近の地殻応力の最大圧縮方位をよく反映している(図4).

図2 東伊豆単成火山群の火口と噴火堆積物の分布(12).噴火堆積物には,ここに示したもののほかにスコリアや火山灰等の降下火砕物がある.また,二次堆積物として土石流堆積物がある.太点線は同時期の噴火によって生じた噴火割れ目.細い実線は主要幹線道路.

図3 東伊豆単成火山群の過去15万年間の噴火場所の変遷(12).kaは千年前の意味.同時期に形成された噴火割れ目を太実線,手石海丘下に推定されている岩脈火道を太点線で示した.噴出したマグマの種類(4)も岩石名として記号で示した.なお,手石海丘で噴出したマグマは玄武岩である(7).

図4 伊豆半島とその周辺地域の現在の地学的状況(より詳しい図は文献(23)を参照).図中の「プレート沈み込み口」は,フィリピン海プレートが本州下へと傾き下り始め,その表面が本州側からもたらされた物質におおわれ始めるおおよその位置(プレート物質境界とほぼ同義)を示す.図中の太線WSBFは西相模湾断裂(17)の断裂面の延長が地表に達した位置.この線より西側には伊豆・小笠原内弧起源の火山岩類が露出し,東側には相模海盆を埋積した厚い新期堆積物がある(23).西相模湾断裂によって伊豆・小笠原内弧から切り離され,東北日本弧下へ沈み込んでゆく伊豆・小笠原外弧の上面の等深線と西縁の位置(17)も示した.矢印PHS-NEJは,東北日本弧に対するフィリピン海プレートの相対運動方向(17)を示す.矢印HIZは,東伊豆単成火山地域(図中の陰影をつけた部分)の地殻拡大によってもたらされる伊豆半島北東部ブロックの運動方向.地殻応力の方位については,その地域を代表する水平最大圧縮(σHmax)と水平最小圧縮(σHmin)の方位を示した.噴火割れ目については,伊豆大島火山に関する最近の知見も合わせその位置を示した.等深線の間隔は250m.四角は図6の範囲を示す.

 先に述べたように,手石海丘の噴火モデルは,地下6〜14km付近から垂直に立ち上がる北西−南東方向の岩脈状の火道の存在を示している.このことは同時に,東伊豆地域の地下6〜14km付近にあるマグマ溜りの存在を示唆している.実際,地震波の解析によって東伊豆地域の地下にマグマ溜りとおぼしき溶融体の分布が検出されている(13).一方,同一噴火割れ目に属する火山でも噴出物の化学組成が異なることがある(図3).たとえば,伊東市南部にある岩ノ山―伊雄山噴火割れ目から噴出したマグマは,火口によって玄武岩からデイサイトまでさまざまである.以上のことから,東伊豆単成火山群のマグマ溜りは直径数km以内のものがスポット的に複数存在し,その一部が地殻の溶融・結晶分化・マグマ混合の場となってデイサイト質や安山岩質のマグマを生じていると考えられる(10)(図5).
 以上のことを総合すると,東伊豆単成火山群の噴火は,地殻応力の高まりによって最大圧縮方位と平行に上部地殻内に開口割れ目が生じることによって発生し,その線上にならぶ複数の火山を同時期に噴火させるというモデルが成り立つ(10).噴火の際には,開口割れ目の横切る場所の地下にあるマグマが割れ目に沿って上昇し,地殻の溶融やマグマ混合が進んでいる場所ではデイサイトや安山岩,そうでない場所においては玄武岩が噴出すると推定される.
 ひとつの噴火割れ目の幅を手石海丘の下に推定されたものと同じほぼ1mとすると,東伊豆単成火山群に属する34個の火山または火山列の地下にある岩脈の幅の合計は34mである.ただし,これは地表に達して噴火を起こした岩脈の数であり,地下には噴火に結びつかなかったさらに多くの岩脈が潜在しているであろう.1930年2月〜5月に伊東沖で起きた群発地震も,手石海丘にかかわる一連の事件と同様の岩脈貫入事件であったと考えられる.手石海丘の噴火は,たまたまその直前の1989年7月9日に起きたマグニチュード5.5の地震がマグマ溜りの減圧を引き起こし,マグマを発泡させて噴火に至らしめたものらしい(14).
 1816年と1868年にも伊東付近で群発地震があったらしい(15).これもマグマの貫入によるものとすれば,東伊豆地域のマグマ貫入事件は50〜60年周期で起きてきたことになる.仮に東伊豆単成火山群の噴火史全体でこの貫入率が維持されたとすると(岩脈1枚の幅を1mとして),15万年間の岩脈幅の総計は2500〜3000mとなる.東伊豆単成火山群の岩脈火道の多くは北西―南東の走向をもつため,岩脈が貫入することによって東伊豆地域の上部地殻は,岩脈の走向と直角方向つまり北東―南西方向に拡大することになる.もし上の見積りが正しければ,東伊豆単成火山群の過去15万年間の活動によって東伊豆地域の地殻は3km近く拡大したことになる.拡大速度は1.7〜2.0cm/年である.
 地殻の拡大というと,中央海嶺や背弧リフトのような正断層の発達する伸長テクトニクス場を連想しがちである.ところが,東伊豆地域に卓越する断層は横ずれ断層であり,上部地殻内で起きる地震もほとんどが横ずれ断層型の発進機構をもつ(16).東伊豆地域を支配する地殻応力場は伸長テクトニクス場にみられる正断層型ではなく,横ずれ断層型の応力場によって支配されているのである.独立単成火山群の存在だけを見て,東伊豆地域が伸長応力に支配される場にあると即断するのは誤りである.

図5 伊豆半島とその周辺地域の現在の地学的状況を立体的に表した図.文献(10)を一部修正.東伊豆単成火山地域(図中の陰影をつけた部分)の地殻拡大によって伊豆半島北東部の上部地殻が,他の伊豆半島に対し北東方へ移動していると考える.拡大によって生じた開口割れ目を地下6〜14km付近にあるマグマが上昇し満たすことによって岩脈貫入が起きる.場合によってはマグマが地表に達し,噴火割れ目上に火山列をつくる.

東伊豆単成火山群はなぜそこにあるのか
 以上から,東伊豆地域は,横ずれ断層型の地殻応力場の支配を受けながら,地殻の側方拡大に対する制約が弱いために独立単成火山群が生じている特殊な地域であると結論することができる.それではなぜ,東伊豆地域は地殻の側方拡大に対する制約が弱いのだろうか?
 石橋克彦は,フィリピン海プレート内の断裂である西相模湾断裂が伊豆半島北東部の沖に存在すると主張した(17).火山弧のマグマによって暖められ浮揚性を保持しているのが伊豆・小笠原弧の内弧,火山フロントの外側の冷たく重い部分が外弧であり,伊豆・小笠原弧の本州への衝突に際し両者の浮揚性の差が内弧/外弧間の断裂をもたらすという考えである.この主張に対するさまざまな疑問が唱えられているが,伊豆大島付近から伊豆半島にかけての地殻内で起きる地震のP軸方位・海底地形・重力異常,伊豆大島の側火山分布,1986年伊豆大島割れ目噴火の際の地震・測地学的変動・地割れの分布などはこのことと調和的に見えることから,断裂の細かな位置や形態は別として,筆者は基本的には石橋の主張に同意している(10)(23).現に,およそ500〜300万年前に本州弧に衝突・付加した丹沢地塊が伊豆半島の北に存在するのに対し,関東平野の下には沈み込んだ長大なフィリピン海プレートスラブが地震分布によって描き出されている(18).このことは,かつて伊豆・小笠原外弧を構成していた関東平野下のスラブが,本州に衝突・付加した伊豆・小笠原内弧である丹沢地塊から引き裂かれたことを物語っている.このような伊豆・小笠原弧と本州弧との衝突・付加の歴史をみるかぎり,伊豆半島はやがて本州側のプレートに付加する運命にあり,伊豆半島の南東側にあらたなプレート断裂が伝播し始めているとする考えはむしろ当然の論理的帰結と言える.
 この考えにもとづいて伊豆半島から相模湾にかけてのプレートの幾何学的形状を考えた場合,西相模湾断裂によって断ち切られた伊豆・小笠原外弧が北方に傾き下がり,西相模湾断裂以西の浮揚性の伊豆内弧が地表に取り残されていることになる(図4および5).伊豆・小笠原外弧スラブが関東平野下に向かって傾きはじめる場所は,西相模湾断裂の存在を重視しない多くの研究者が考えていた相模トラフ軸ではなく,それよりもさらに南方の伊豆大島北側であることが,人工地震探査によって描き出されている(19).この幾何学から考えて,東伊豆地域の上部地殻は,地表から最大深さおよそ5kmにわたって相模トラフを埋積した固結度の低い第四紀堆積物と接していると考えられる(図5).このため,西相模湾断裂の上盤側にあたる伊豆半島北東部の上部地殻にとっては,北東方に拡大あるいは抜け出すための障害がある程度取り払われた状況になっているのであろう(10).
 東伊豆地域上部地殻の北東方への拡大の制約が弱まっているもう一つの状況を,東伊豆地域の地質構造や地層中に保存された古地磁気方位にみることができる.伊豆半島北東部は,北西−南東方向の数多くの右横ずれ断層群(その多くは活断層)によって短冊のように寸断されている(図4および6).伊豆半島北東部に分布する100万〜50万年前の火山岩類は系統的な古地磁気偏角の西偏を示し,この地域の地殻が反時計回りの構造回転を被ったことを示している(10)(図6).網代付近における古地磁気偏角の西偏は最大70゚と特に著しく,断層の走向も古地磁気ベクトルとともに系統的に反時計回りに回転しているようにみえる.このような構造は,西相模湾断裂と丹那断層(後述)という2つの左横ずれ境界によってはさまれた伊豆半島北東部の上部地殻が右横ずれ断層群によって短冊状に寸断されるとともに,反時計回りの構造回転を被りながら東方の相模湾側に抜け出している構造と解釈できる(10)(図6).幾何学的に考えれば,このような構造回転が卓越する地域の地殻内には,低角の滑り面(デコルマ)の存在が要請される.このことが,上述した西相模湾断裂の存在とあいまって東伊豆地域の上部地殻の側方拡大を容易にし,本州への衝突による圧縮応力の支配する状況でありながらも独立単成火山群を生じさせていると考えられる(10).
 中村一明は,相模トラフへの沈み込みにともなって生じるフィリピン海プレートの曲りのもたらす張力場によって,東伊豆単成火山群の存在理由を説明した(5).しかしながら,西相模湾断裂の存在を考えた場合,伊豆半島北東部は沈み込む伊豆・小笠原外弧スラブと断ち切られた格好になり,プレートの曲りの影響は受けにくくなるはずである.また,相模トラフの直近に位置し,プレートの曲りの影響をもっとも大きく受けるとみられる伊豆大島付近には,複成火山である伊豆大島火山が存在する.つまり,プレートの曲りの影響だけでは独立単成火山群の存在を明確に説明できない.

図6 古地磁気からみた伊豆半島の地質構造.伊豆半島北東部(図4における四角の範囲)の古地磁気方位とその解釈(10).地図の矢印は試料採取地点における古地磁気偏角の平均方位.丹那断層より東側の地域(とくに網代付近)の古地磁気偏角の西偏が著しいことがわかる.断層の分布も考慮すると,丹那断層と西相模湾断裂にはさまれたブロックが,両者の左横ずれ型せん断応力によって短冊状に分断され(1),反時計回りの構造回転を起こしている(2)と解釈できる.

丹那断層と箱根火山はなぜそこにあるのか
 丹那断層は伊豆半島の根元にあるほぼ南北の走向をもつ左横ずれ型の活断層であり,1930年の伊東沖群発地震の後の1930年11月26日にマグニチュード7.3の北伊豆地震を起こした地震断層として知られている.発掘調査の結果,過去6000〜7000年の間,丹那断層は700〜1000年に1回の頻度で変位を起こしていたことがわかった(20).北伊豆地震の際の丹那断層の横ずれ変位量は2〜3mであるから,もし地震のたびの変位量が同程度であるとすれば求められる断層の活動度は0.2〜0.4cm/年となる.これは,富士川下流域にある入山瀬断層や大磯丘陵西縁の国府津―松田断層等などのプレート力学境界域を構成する活断層に匹敵あるいは準ずる活動度である(21).しかしながら,プレート力学境界域とは離れた伊豆半島内部に位置する丹那断層のテクトニックな意味は明確でなかった.箱根火山という地殻内の弱点から派生した破壊面として丹那断層の存在を説明する考え方があるが(28),丹那断層の活動度の大きさまでは説明できていない.
 丹那断層の北方延長は箱根火山のカルデラ内に入り,足柄山地を横切る活断層である平山断層につづくとみられている(10)(22).一方,丹那断層の南西延長にも構造帯が存在し,伊豆半島の中部まで追跡することができる.この一連の断層を丹那―平山構造線と呼ぶことにしよう.東伊豆単成火山群の分布は,この構造線の東側のみにほぼ限られているように見える(図4).また,丹那―平山構造線が地殻内部における何らかの力学的な境界となっていることは,この構造線をはさんで西伊豆地域と東伊豆地域とで地殻応力の水平最大圧縮方位(西伊豆=南北,東伊豆=北西―南東),地震活動度(西伊豆=不活発,東伊豆=活発),分布する活断層の性質(西伊豆=正断層が多い,東伊豆=横ずれ断層主体)等が異なることからも支持される(10)(29).
 東伊豆単成火山群の分布域が地殻の拡大の場であることを先に述べたが,プレート幾何学の立場から言えば,このような拡大にともなって生じるひずみを解消する境界が必要である.ここで,東伊豆単成火山地域(東伊豆単成火山群の分布域)をプレート拡大境界とみなし,丹那―平山構造線をトランスフォーム断層とみなす作業仮説を提案する.東伊豆単成火山地域から北東側の丹那―平山構造線と西相模湾断裂にはさまれたブロックが一種のマイクロプレートのようにふるまうとする見方である.
 この考えが成り立つためには,丹那断層と東伊豆単成火山群の活動開始時期が一致している必要がある.丹那断層がいつ活動を開始したかは必ずしも明確でないが,丹那盆地の西縁にある丹那断層崖上の台地のテフラ層序をしらべると,およそ10万年前以前は湖成堆積物が主体を占めていることがわかる.よって,丹那盆地付近の丹那断層崖は10万年前以降に形成されたものであり,すくなくともこの地域の断層活動の大部分は東伊豆単成火山群の活動期間(15万年前から現在)に生じたと考えて矛盾はない.
 先に推定したように,丹那断層の平均変位速度は0.2〜0.4cm/年,貫入事件をふくむ東伊豆単成火山地域の拡大速度は1.7〜2.0cm/年である.東伊豆単成火山群の拡大変位が丹那断層によって解消されていると考えるには,丹那断層の平均変位速度が小さすぎるような気がする.ただし,図3および4からわかるように個々の噴火割れ目が東伊豆地域の端から端まで連続している訳ではない.よって,ひとつの噴火割れ目が形成されても,東伊豆地域全域にその割れ目幅分の拡大は生じないだろうから,上記の拡大速度は最大に見積った値と考えるべきだろう.また,図6のモデルが成り立つ場合には,東伊豆地域の拡大量の何割かは短冊状ブロックの構造回転に消費されることになり,丹那断層の変位量は東伊豆地域の拡大量よりも小さくなるだろう.以上のことから,丹那―平山構造線と西相模湾断裂にはさまれたブロックの北東への移動速度は,丹那断層の平均変位速度と東伊豆単成火山地域の拡大速度最大見積り量の中間(0.5〜1.5cm/年)になるとみられる.
 東伊豆単成火山地域の北西縁が丹那―平山構造線で区切られるのに対し,単成火山地域の南東縁がどこにあるかはあまり明瞭でない(図4).岩石学的性質から,東伊豆沖海底火山群の東よりの部分は複成火山である伊豆大島火山の側火山とみなすことができる.よって,東伊豆単成火山地域の南東縁は東伊豆沖海底火山群分布域のどこかを通過するとみられる.
 図4をみると,丹那―平山構造線は箱根カルデラの中央部を横断していることがわかる.現在の箱根火山はすでに上部マントルからのマグマの供給を断たれたらしく,その噴火頻度は衰えているが,カルデラ形成期(25万〜5万年前)には爆発的なプリニー式噴火を繰り返し,定期的に軽石の雨が関東地方南部に降り注いでいた(24).その中のとくに活発な時期の噴火頻度はおおよそ1000年に1回であり,前述した丹那断層の活動度と同程度である.日本のカルデラ火山の多くは地殻ひずみ速度の小さな地域に存在し,その恩恵を受けながら大きなマグマ溜りを安定成長させてきた(25).これに対し,衝突帯という地殻ひずみ速度の大きな地域に存在するカルデラ火山である箱根火山はきわめて例外的な存在である.伊豆半島の他の第四紀火山で箱根火山のような大規模な軽石噴火を繰り返したカルデラ火山は知られていないことからも,箱根火山は伊豆周辺地域において特異な火山であることがわかる.
 高橋正樹と筆者は,箱根火山は丹那―平山構造線に沿って生じたプルアパート構造(横ずれ断層の変曲部の断層面が断層変位によって剥離して生じる空隙)にマグマが蓄積することによって,大規模な珪長質マグマ溜りを成長させたとの仮説を提唱した(26).トランスフォーム境界である丹那―平山構造線が地震変位を繰り返し,その変位が箱根火山のマグマ溜りに急激な減圧をもたらすことによって珪長質マグマの爆発的噴火を定期的に起こさせていたのではないだろうか?
 丹那―平山構造線をトランスフォーム境界とし,伊豆・小笠原内弧の一部である伊豆半島北東部が一種のマイクロプレートとして丹沢山地下に浮揚性沈み込みをおこない,その沈み込みにともなう変形前縁として国府津-松田断層が生じたとするモデル(図5)を考えることによって,これまで説明困難だった数々のことがら―たとえば西相模湾断裂の位置と形状,国府津-松田断層や八王子構造線の地学的意義,神奈川県西部に起きる地震のテクトニクスなど―に関する問題解決にあらたな視点を与えることが可能となる(23).

 これまで,火山の種類やその発達過程の説明には,マグマ溜り内部のプロセスのみが重視されていたきらいがある.本論で述べたように,少なくとも伊豆半島とその周辺地域においては,火山とその噴火史はその火山の置かれたテクトニクス場を鋭敏に反映していることがわかった.一方,伊豆半島以外の地域においても,火山体の構造がその地域の地殻応力場に応じた形態をとることが示されている(27).これらのことは,日本列島のような地殻変動の激しい地域において火山の発達史を考える場合は,その内部過程だけでなくテクトニクス場とその変遷も十分考慮する必要があることを物語っている.

文 献
(1) Y. Tsuneishi: J. Phys. Earth, 39, 131 (1991)
(2) T. Tada and M. Hashimoto: J. Phys. Earth, 39, 197 (1991),島崎邦彦: 火山とプレートテクトニクス, 東大出版会, 252 (1989),Y. Okada and E. Yamamoto: J. Geophys. Res., 96, 10361 (1991)
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(5) 中村一明: 火山,30,S1 (1986),中村一明: 火山とプレートテクトニクス, 東大出版会 (1989)
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(7) 曽屋龍典ほか: 地質ニュース, 422, 14 (1989)
(8) 小山真人: 月刊地球, 8, 743 (1986),小山真人: 陸上学術ボーリング候補地集I, 陸上学術ボ−リングワ−キンググル−プ, 1 (1988)
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(12) 早川由紀夫・小山真人: 火山, 37, 167 (1992),小山真人ほか: 火山, 40, 191 (1995)
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(26) 高橋正樹・小山真人: 日本地質学会第100年学術大会講演要旨 (1993)
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