(「科学」2000年6月号,岩波書店)

吉川肇子著
リスク・コミュニケーション 相互理解とよりよい意思決定をめざして
福村出版 1999年
A5判 197ページ 3200円(本体)

吉川肇子著
リスクとつきあう 危険な時代のコミュニケーション
有斐閣 2000年
四六判 234ページ 1600円(本体)

 人間社会は,事故・災害や危険物質などのさまざまなリスクにさらされている.専門家はリスクにかんする知識や情報をいち早く知ることができる立場にあり,それらを一般市民にわかりやすく伝える責任を負っている.しかしながら,専門家と市民それぞれの基礎知識・経験には大きな差があるため,リスク情報を専門家から市民に誤解なく伝達することには大きな困難をともなうのが普通である.
 中でも,発現する確率が非常に小さい(しかし,いったん発現すれば大きな災厄をもたらし得る)リスクの情報について専門家と市民が相互理解し信頼関係を築くことには,乗り越えられないほどの大きな壁が存在しているようにみえる.評者の専門(地球科学)にも直接かかわる実例を二つ挙げよう.
 まずは,低頻度災害にかんする情報伝達の問題を挙げられる.地震・火山噴火・突発的環境汚染・原子力事故などの稀にしか起きない「不慣れな」災害においては,1)情報が風評被害を生み,地元経済にダメージを与える,2)情報がパニックを起こす恐れがある,3)対策の目途がたたないリスクの存在が公表されるのはまずい,4)基礎知識が十分でない一般市民にはそもそも情報を誤解なく伝えることができない,などの理由によって情報自体が伏せられてしまうケースがある(観光業者等から官公庁・マスメディアに対し,情報を出すなという圧力がかかったうえで,実際にそのとおり隠匿されてしまうことすらある).
 しかし,いったん情報隠匿の事実が明るみに出てしまうと,専門家と市民の間の信頼関係が大きく損なわれ,回復に長い年月がかかる.そもそもリスク情報自体に罪はなく,情報伝達の仕方がわかりにくかったり一方的であったり,あるいは平常時の災害理解教育や市民との対話を怠っていることなどが根本原因であるが,そのことを十分理解している専門家の数は少ない.
 もうひとつの例として,高レベル放射性廃棄物の処分問題を挙げよう.科学技術庁・資源エネルギー庁・核燃料サイクル開発機構は,廃棄物をガラス固化体としたうえで大深度地下に埋める「地層処分」の方針を打ち出している.この地層処分場の日本列島上への建設可能性をさぐった「地層処分研究開発第2次取りまとめ」(いわゆる2000年レポート)が,1999年11月に核燃料サイクル開発機構から原子力委員会に提出された.その中身の概要は2000年2月の同機構主催の地層処分フォーラムにおいて一般市民に説明されたが,会場での専門家と市民とのやりとりを見る限り,十分な相互理解が得られたとは言えないだろう.
 2000年レポートにおいては,今後10万年間において活断層,火山,隆起・浸食,地下水などの影響を受けにくい地域があるかどうかが検討された結果,地殻変動や火山活動が活発な日本列島においても地層処分場の適地が広範囲に存在し得る可能性が示されている.しかし,検討は定性的なものにとどまっており,地域毎の具体的・定量的なリスク分析は今後の課題である.そもそも10万年という長年月を扱う点や,過去の地質学的歴史を外挿して将来を予測するという方法の限界上,ゼロリスクはありえないし不確実性も避けられないので,そのリスクが地層処分によって得られるベネフィットに比べて十分小さいことを納得したうえでの社会的合意が成立する必要がある.しかし,その道程は険しそうである.
 以上のように,現代社会は科学技術にかかわるリスク情報の伝達にかんする様々な問題を抱えているが,心理学や社会学も絡んだ複雑かつ分野横断的な問題であるゆえに,それに対応できる専門家の数は十分とは言えなかった.それゆえ,リスク伝達問題を抱える専門家グループや行政機関は,身内だけで素人判断を強行してしまったり,あるいはほんの一握りの社会学者・心理学者に問題解決を押しつけてきたように見える.
 冒頭に掲げた両書は,上記のようなリスク情報伝達の問題を,心理学のさまざまな分野(認知心理学,社会心理学,組織心理学など)の知見と照らし合わせながら,一般的・総合的にレビューし,解決へのさまざまな指針・提案を示したものである.まさに,悩める現代日本の科学技術専門家が待ち望んでいた書であると言える.
 前書は,リスク情報の伝達問題を個人的選択と社会的論争の二つのカテゴリーに分けたうえで専門家向けの厳密な記述スタイルをとったものであり,様々なケーススタディ・仮説・理論が逐一解説され,詳細な文献リストが添えられている.後書は,前書の内容を一般市民にもわかりやすく再構成したもので,市民側と専門家側のそれぞれに分けて固有の問題点が分析され,効果的な情報伝達方法やリスクとの共生のあり方が提案されている.まずは後書を読んで概要を知り,さらなる興味をいだいた方が前書を読み進めるとよいと思う.
 両書に共通して,これまでは専門家側の価値観だけによって市民に知らされるリスク情報が取捨選択されてきた問題点が指摘されている.しかし,そのようなやり方は,民主主義的な考え方が浸透した現代社会においてはもはや通用せず,専門家が真摯に市民と対話することによって市民のもつ多様な価値観やニーズを学ぶ過程が,リスクの社会的受容や合意形成のために不可欠であるという.これが筆者が主張する「リスク・コミュニケーション」という双方向の情報伝達である.
 ここ数年,低頻度自然災害のリスク伝達問題を考えてきた評者にとって(例えば「地震学や火山学は,なぜ防災・減災に十分役立たないのか」,科学3月号(1999)),筆者の主張するメッセージには共感できるものが多い.
 たとえば,後書第4章「専門家の役割」の
「仮に現在のリスク専門家が全員誠実で,自分が知っていることを正直に伝えているとしても,その事実は現在の科学技術の学問体系の中で正しいとされているにすぎないのであって,その事実が将来にわたって正しいものであり続ける保証はない」
「パニックを恐れて情報を隠蔽することは,(リスクの)社会的増幅を防ぐことにはつながらない.むしろ,情報を伝えることによってパニックが防げるのである.パニックを起こさない情報の伝え方にこそ,リスク・コミュニケーションの技術が生かされると言えよう」
などは,自然災害などの様々なリスク情報にかかわるすべての専門家の自戒としてほしいところだし,前書第6章第2節「信頼の意義」の
「リスクがどの程度の確率で,また,どの程度の被害をもたらすかということの評価だけで,人々はあるリスクを受容するかどうかを決めるのではなく,むしろ,リスク管理が信頼できるかどうかによって,そのリスクを受容するかどうかが決まる」
は,原子力や危険物質を扱うすべての科学者・技術者の胸に刻んでほしい言葉である.
 この両書は,心理学者によるリスク伝達問題の研究の現状を伝える本ではあるが,完成されたリスク情報管理マニュアルではない.両書の紹介するケーススタディの中には互いに矛盾する成果も含まれている.また,リスク伝達についての研究例自体が十分とは言えず,とくに肝心の日本社会での研究例が圧倒的に不足していることが,両書全体を通して感じられる.
 日本の科学技術関連官庁においては,リスク伝達研究の必要性を認めながらも,その出身者に理学部・工学部の卒業生が多いせいか,人文・社会科学系の研究者をまじえた研究の立ち上げに消極的な面が見られると思う.真のリスク・コミュニケーションやリスクとの共生を実現させるためには,リスク情報の伝達問題についてのオープンかつ本格的・学際的な研究が欠かせないことを主張しておきたい.

 小山真人(静岡大学教育学部)


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