心に残る一冊 「物語イタリアの歴史」(藤沢 道郎著)

小山真人(静岡大学教育学部)


 3年ほど前に私がヨーロッパ5ヶ国の火山地域の旅行記(「ヨーロッパ火山紀行」,ちくま新書)を書いたとき,単に自然の魅力だけを紹介するのではなく,その土地に生きた人々がどう自然とかかわってきたかの情報をできる限り含めようと心がけた.その情報源としてヨーロッパ史の解説書を読みあさっているうちに出会ったのが本書(中公新書)である.
 中公新書には「物語○○の歴史」と題した世界各国史の概説書がいくつかあるが,本書はとくにユニークなスタイルで読者を惹きつける.イタリア史の脇役と言ってよい,日本では知名度の低い10名の人物の生涯を物語調で語るとともに,背景となる政治史・社会史を絡めながらイタリア半島の歴史のメインストーリーを生き生きと描き出す手法をとっているのである.文章は流暢でよく練られており,各話にはとびきりのプロローグとエピローグがつけられ,読後に深い感動が味わえる.
 たとえば第四話は,12世紀のシチリア島に生まれ7ヶ国語を自由に操った異色の神聖ローマ皇帝フェデリーコの数奇な一生を辿る.豊かな国際感覚を身につけアラビア語も堪能であった彼の外交交渉によって,ひとりの死者も出さずに聖地を禅譲させた第6回十字軍の話には胸を打たれる.
 第五話は,14世紀初頭のナポリ王国宮廷の華やかさと,その直後にナポリと全ヨーロッパを襲い2500万人の命を奪ったとされるペスト禍の惨状を描く.そのペスト禍によって恋い焦がれた女性を失う一方で,生命力あふれたイタリア文学を開花させた作家ボッカチオの人生が語られる.
 地球科学を専門とする私は,大地の営みの歴史を市民に伝える責務を負っているが,この書の読後にある種の無力感にとらわれた.扱う対象が異なるとはいえ,この書に匹敵するほど魅力的な自然史の解説書を書いた科学者はこれまでいただろうか.なお遠く及ばないとはいえ,私に科学解説にあたっての演出の重要性を再認識させ,演出方法のヒントも与えてくれた書であった.

(静岡新聞夕刊,2000年6月3日)


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