静岡新聞 時評(2003年10月16日)
小山真人(静岡大学教育学部教授)
地震予知というものは,現状では困難とされているにもかかわらず,なぜこれほどまでに市民の興味・関心を惹くのだろうか.それは危険を事前に避けたいという願望のためだけでなく,誰もがその気になれば身の回りの事物の観察から予知の真似事ができ,時にそれが当たったように見えるからではないだろうか.その際に観察対象とされる事物は,雲や月などの気象・天象,動物・植物の様子,ラジオのノイズから家電製品の不調,果ては人間の体調まで多岐にわたる.
こういった事物を観察していると,時に不可解な現象が見られることがある.その後何も起きなければ,そんな現象が起きたことすら忘れ去るのが普通である.しかし,不可解な現象の直後に,日本や世界のどこかで大地震が起きたとしよう.普通なら忘れるはずの不可解な現象の記憶は固定され,その現象は地震の前兆だったのではないかという疑いが生まれる.そんな事がたまたま二度三度繰り返されると,自身の体験が絶対化され,疑いは盲信へと変化してゆく.
地震はめったに起きないから,その前に起きる変な現象にはやはり意味があると貴方は思うかもしれない.しかし,地震国日本では,地震は日常茶飯事のように起きている.たとえば,日本付近で起きたマグニチュード(M)5以上の地震の回数を調べると,過去50年間の平均で年85回程度,すなわち4日に1度くらいの頻度で起きている.だから,「異常現象があったので,今日から4日以内に日本のどこかでM5以上の地震が起きます」などの予知情報を出せば,いつでも相当な確率で当たってしまうのである.
月日や地域をさらに限定すると,さすがに外れる例が多くなるが,その場合は予知の発表回数を増やせば,当然たまたま当たる例も出てくる.そういった的中例だけをことさら強調すれば,外れた例は目立たなくなる.予知した地震が起きなかった例(誤警報)ばかりでなく,予知なしで地震が起きた例(見逃し)にも注目しなければならないが,どんな予知失敗例に対しても,後付けでなら,もっともらしい釈明をつけることは簡単である.
地震予知を初めとする予知・予言のもつ落とし穴や,そこからの脱却方法については,実は心理学者による長い研究の積み重ねがある(例えば,菊池聡著「予言の心理学」KKベストセラーズ刊).残念ながら,地震予知の研究者と称する人々は,ごく一部を除いて,そのような成果の存在すら知らなかったり,知っていても軽視しているようである.
(なお,実際の記事見出しは「地震予知の魅力 落とし穴に注意すべき」となっていますが,原題の方を表示しました.)