(地球惑星科学関連学会1999年合同大会予稿集)
日本の史料地震・火山学研究の課題と展望―記録欠落期・記録媒体特性
を考慮した次のステージへ
小山真人(静岡大・教育・総合科学)
Problems of historical seismology and volcanology in Japan: particularly
on
heterogeneity of record density and sensitivity
地震・噴火記録の抽出元である日本の歴史記録自体には多数の欠落期
間が存在し,とくに古代〜近世初期において著しい(大きな地域差もあ
る).そのことをつねに意識しないと,地震・火山活動の繰り返しや消
長を論じる際に,誤った結論に陥りやすい.記録が現存する場合でも,
記録媒体である個々の史料自体が自然現象に対してどのような記録特性
をもっていたかは,ほとんど明らかにされていない.日本の史料地震・
火山学は,抽出された地震・噴火記事断片だけを並べてみていた第1ス
テージ(明治期〜現在)を終え,史料欠落期や記録媒体特性を明らかに
しつつ歴史全体の文脈の中で地震・噴火史を考える第2ステージに移行
を始めるべきである.
Many previous studies of historical seismology and volcanology
refered only to a
description database of abnormal phenomena, which had been collected
from
historic documents in Japan. In the Japanese history, there are,
however, many
record-missing periods, which are densely distributed particularly
in the ancient
and middle ages. Moreover, the density of historical records is
spatially
heterogeneous. Sensitivity for natural phenomena also varies according
to an
author of each document. Seismologists and volcanologists, who
study
temporal/spatial distribution of crustal activities in historic
times or correlation of
description with geological/archaeological data, should consider
the temporal and
spatial heterogeneities of historical records and thus avoid invalid
conclusions.
近代日本において地震・噴火史料の系統的収集・分析をおこなった研
究は,全国的・網羅的なものとしては,古くはナウマンの地震カタログ
(1878)やミルンの火山カタログ(1886)にまで遡る.戦前では,大森
房吉の日本噴火志(1918)や武者金吉の「増訂大日本地震史料」(194
1,1943)が代表的なものである.戦後の研究空白期の後,地震史料に
ついては宇佐美龍夫や上田和枝によって「新収日本地震史料」(1982〜
1994)や「日本被害地震総覧」(1974,1987,1996)がまとめられた.
また,個別地域や個別地震については,都司嘉宣・石橋克彦・山本武夫
らの仕事に代表される質の高い研究がある.なお,日本の史料地震学研
究についての詳しいレビューが石橋(1987,地震予知研究シンポ論文
集),石橋(1994,「古地震を探る」古今書院)にまとめられている.
一方,戦後の噴火史料の系統的研究については村山磐の「日本の火山」
(1978〜1990)以外にみるべきものはなく,日本火山学会史料火山学ワ
ーキンググループの結成と活動(1994〜97,最終報告書は「火山」1998
年第4〜5号)によって,ようやく史料研究自体への関心が高まり始めた
ところである.
しかしながら,従来の研究のほとんどすべてについて言えることは,
基本的には全歴史記録の中から地震や噴火にかんする記事だけを抽出
し,史料の成立年や素性などから記事自体の信頼性のチェックをおこな
った後(このチェックすら十分なされていないこともあるが,ここでは
問題外とする),記事内容を分析しているに過ぎないということであ
る.このことを機器観測に例えれば,欠測期間を知らないままデータ解
釈や議論に進んでいることに相当する.地震・噴火記録の抽出元のデー
タ母集団である日本の歴史記録自体に多数の欠落期間が存在することは
歴史学者には周知の事実であり,とくに古代〜近世初期の期間において
著しい(大きな地域差もある).そのことをつねに意識しないと,特定
地域あるいは日本全体の地震・火山活動の繰り返しや消長を論じる際
に,誤った結論に陥りやすい.
もっとも多い初歩的誤りとしては,たとえば近畿地方やその周辺地域
の地方史料に記録された地震について,京都や奈良での有感記録が見あ
たらないことを根拠として規模を小さく見積もったり,あるいは地震の
存在そのものを否定した研究事例がある.しかし,地方記録に記された
地震発生日が京都・奈良の歴史記録自体の欠落期にふくまれる場合に
は,妥当な結論とは言いがたい.また,逆の誤りの例として,史料豊富
な時期において,有感地震が京都・奈良で記録されていないにもかかわ
らず,隣接地域で起きた地震がM8クラスと推定された事例がある
(1233年の紀伊国地震など).具体的な歴史記録欠落の時期について
は,たとえば国史大辞典(吉川弘文館刊)第4巻の461〜503頁に月単位
の主要古記録現存状況のリスト(ただし,887〜1595年の範囲)がある
から,研究者は参照すべきである.ただし,同じ月の中にも日単位の欠
落がある場合が多いから,個々の史料原文を日別に参照することが望ま
しい.史料の素性や所在は国史大辞典や国書総目録(岩波書店刊)で確
認できる.
さらに,記録が現存する場合についても,記録媒体である個々の史料
自体が自然現象に対してどのような記録特性をもっていたかは,従来の
ほとんどの研究で明らかにされていない.これも機器観測に例えれば,
観測機器の特性(感度,直線性など)を知らないまま,データ解釈をお
こなうことに相当する.たとえば,六国史時代(連続する6つの国史が
朝廷によって組織的に編纂された時代.詳細な同時代記録があるのは7
世紀末〜887年秋)は,日本古代〜中世史全体からみても天変地異記録
(とくに地方のもの)の多い特異な時期であることが知られている.し
かし,この事実からただちに,六国史時代が実際に天変地異の頻発した
時期にあたると結論するのは危険であり,六国史のもつ(1)情報量自
体(とくに中央集権制を反映した地方情報)が豊富,(2)当時流行し
た天人相関思想を反映して天変地異が好んで多く収録された,という2
つの性格に依存したみかけ上の高活動度である可能性が高い.さらに,
六国史中の歴史情報量の時間変遷を詳細に分析すると,六国史時代の中
でも時期や編者によって情報量や記録特性が大幅に変化することが明ら
かになりつつある(生島・小山,1999,本予稿集).
いまや日本の史料地震・火山学は,抽出された地震・噴火記事断片だ
けを並べてみていた第1ステージ(明治期〜現在)を終えて,抽出元の
史料すべての欠落期や記録媒体特性を明らかにしつつ日本歴史全体の文
脈の中で地震史・噴火史を考える第2ステージに移行すべき時に至った
と考える.