『小室村誌』に残る地震記録と伊豆半島東方沖群発地震の再来周期

小山真人(静岡大学教育学部)

 伊豆半島の伊東沖では,東伊豆単成火山群のマグマ貫入にともなうとみられる群発地震活動が1978年以来間欠的に繰り返されている.また,1930年2〜5月にも伊東沖で群発地震があったことがよく知られている.このような群発地震が,いつ頃からどのような頻度で起きてきたかを知ることは,伊豆半島の火山活動や周辺地域のテクトニクスを理解する上で重要である(たとえば,小山,1993,1995a, b).伊東は古記録・古文書の乏しい土地であるが,『小室村誌』と呼ばれる村史に若干の記録が残っているのを見出した(小山,1993;小山・増田,1995).まだ十分な史料批判をおこなったわけではないが,ここに紹介する.
 小室村は,現在の静岡県伊東市川奈・吉田・荻・十足地区にあたり,伊東市街の南側の丘陵地一帯を占める.大正2年に成立した小室村の村史『小室村誌』の文化13年(1816)の記述には

「一、文化十三年丙子年大地震
   此年十一月十一日ヨリ十二月四日迄日々大地震アリシモ幸ニシテ人畜家屋ニハ故障ナカリキ」

とある.小室村の隣村の村史である『田中村誌』『対島村誌』『宇佐美村誌』などには,そのような記載はない.また,日本全国をみても,この頃の被害地震の記録はない(宇佐美,1987).よって,この1816年の地震は,局地的かつ長期間つづいた小地震群,つまり,現在も伊東市川奈付近でときおり生じるような火山性の群発地震であった可能性がつよい.この1816年地震は,次に述べる1868年または1870年の地震と類似している.
 『小室村誌』の明治元年(1868年)の記述には,

「一、明治元年 日々地震アリ 石垣土手ノ崩壊スルモノ甚ダ多カリキ」

とあるが,やはり周辺村の村誌には地震の記録がない.加えてこの1868年頃の地震については,次の2つの独立した史料が得られている.

(1)1930年3月27日付時事新報の記事で,当時東京大学教授であった今村明恒が「私が伊東で会った土地の古老は,60年前にもこんなことがあって2ヶ月も続いたと言った」 という談話を残している.この話は,東大地震研今村研究室・東大理学部地震学教室(1930)において,以下のようにより詳しく記載されている.

「老人の話によると,此の地方では60年程前にも地震が頻々として起り,3月21日に聞く所によればその時までに感じた今回の地震よりも強かったとのことであった.約二箇月間殆ど變はりなく毎日多数の地震があって,三箇月頃から減じたが半年程は時々揺れたさうである.川奈でも同様な話を聞いたが,その頃の事を知ってゐる土地の人は今度も二箇月位揺れたらば静まるであらうといって,思ったよりも落ち付いてゐる様であった.(三月二十四日記す)」

(2)伊東市立図書館郷土資料室の加藤清志氏によって発見された伊東西小学校蔵の『昭和五年二月十三日午後十時二十分 連続地震 伊東町附近ノ状況』という文書に,以下の記述がある.

「一、岡本郷区一老人ノ談
伊東町ニハ明治三年四月始メニ此ノ頃ノ様ナ小地震ガアリ連日震動シテ実ニ心配シタガ同年六月頃ニ至リ何時止ミタリトモナク終リタリ今度ノ地震モ同様デアルト同人ハ余リ心配モナイ様デアッタ.」

 つまり,伊東付近においては,1930年の群発地震に先立つこと約60年前にも同じような群発地震が起きたことがほぼ間違いない.この群発地震は,『小室村誌』によれば1868年,上述の史料(2)によれば1870年の出来事であった.
 もし,以上述べたことが事実であるなら,1816年,1868年または1870年,1930年,1978年〜現在というように約50〜60年周期で,伊東付近の群発地震が起きていることになり,注目に値する.小山(1993,1995b)は,この活動周期から東伊豆単成火山地域の地殻拡大速度の試算をおこなっている.

謝 辞
 伊東市立図書館の加藤清志氏には1870年伊東群発地震に関する史料を教えていただいた.伊東市立図書館の石川弘夫氏,伊東市役所の山下 晃氏,鈴木慶三氏らには史料調査の便宜をはかっていただいた.以上の方々に深く感謝する.

文 献


日本火山学会史料火山学WGホームページに戻る
ODY>