史料調査が望まれる日本の噴火事例

早川由紀夫(群馬大学教育学部)

  盛岡藩『雑書』のなかの記述を解読して,岩手山の焼走り溶岩の噴火が1732年1月21日であることを示し,従来の1719年説にほとんど根拠がないことを示した伊藤順一さんの研究(1993年秋火山学会発表)は,史料調査が過去の火山噴火の研究に有効であることを明快に示しています.
 史料調査によって研究が飛躍的に進むと思われる日本の噴火事例とその研究課題を以下に列挙してみましょう.
1)摩周Ma-bテフラの噴火は約1000年前におこったことが放射性炭素年代測定からわかっています.この噴火はマグニチュードM5.3(噴火マグニチュードについては早川,1993火山,v.38, 223-226参照)の大規模プリニー式ですから,本州の史料に記述されている可能性があります.
2)北海道では17世紀に,駒ケ岳・有珠山・樽前山でM5.4の噴火が連発しました.これらの噴火の史料調査は,北海道防災会議によって,すでにひととおりなされていますが,駒ケ岳Ko-c2テフラと樽前Ta-bテフラの前後関係などに未解決課題が残されています.
3)過去2000年間に日本でおこった噴火のうち最大のものは,十和田湖で9世紀または10世紀におこったM5.7の噴火です.『扶桑略記』にある915年8月の記述「灰が二寸積もって桑の木が枯れた」がこの噴火を記していると考える人が多いですが,この記述はもしかすると白頭山苫小牧テフラの噴火を書いているのかもしれません.
4)那須岳の1408-1410年噴火は,死者180人以上の大災害をもたらしました.史料に死因は埋没によると書かれているようですが,プレー式熱雲の犠牲者ではないかと疑われます.
5)燧ケ岳の最後の噴火はわずか500年前頃であることが噴火堆積物の調査から最近わかりました(早川,1994,火山学会予稿集).日光あるいは檜枝岐の史料にこの噴火の記述がないかどうかを調べた人はまだいません.
6)6世紀に榛名山で起こった二回の噴火は,古墳時代の人々に大災害をもたらしたことが遺跡の発掘から明らかになっています.この噴火を記した文書はまだ発見されていません.もし史料が発見されてこの二回の噴火の年代がわかったら,考古学の分野に与える影響は測り知れません.
7)浅間山の1783年噴火を記述した史料は山のようにありますが,不思議なことに,鬼押出し溶岩の流出を書いた史料はひとつもないそうです.鬼押出し溶岩は鎌原岩なだれのあとに流出したとこれまで考えられてきましたが,現地の地質調査からは,鎌原岩なだれの前日,すなわちプリニー式噴火最盛期(1783.8.4夜間)に鬼押出し溶岩が火口から流出していた可能性が指摘されます.この立場から古文書を検討した人はまだいません.
8)蓼科高原の横岳ロープウエイを上がってすぐのところにある坪庭溶岩はたいへん若いように見えます.江戸時代に流出した可能性もあります.この噴火は史料に書かれているのではないでしょうか.
9)伊豆大島N3テフラ中に挟まれている流紋岩質火山灰は,新島向山886年噴火と神津島天上山838年噴火の両方の可能性があってまだわかっていません.最近,上杉ほか(1994, 第四紀研究)がY6/N1テフラ間にはさまれるレス中に白色火山灰を報告しています.もしこれが新島向山886であり,N3が神津島天上山838であれば,伊豆大島のY3からN3テフラまでの噴火年代がまったく変わってしまうことになるかもしれません.


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