地殻変動や火山活動の激しい日本には,日本独特のすばらしい自然景観が存在します.たとえば,繰り返す火山噴火は,富士山のような優美な山や富士五湖のような神秘的な湖を作り上げ,地殻変動は飛騨山脈や赤石山脈のような険しくも美しい山地をそびえさせたりしています.しかし,こういった景観がいつ頃どのようにして作られたかを,そこを訪れる日本人観光客の何人が知っているでしょうか.
自然景観の成り立ちにかんする簡単な知識さえあれば,自然に対する理解や親しみがいっそう増し,より実りの多い観光旅行ができることは間違いないと思うのですが,多くの日本人は美しい風景をたんなる酒やカラオケの肴としか考えていないようです.日本の観光地では,博物館のような特別な場所に行かない限り,知的なものをほとんど見つけることさえ困難なように思います.また,海外旅行において,日本人はその軽薄さにいっそう拍車をかけているように見えます.
ひるがえって欧米の先進国を眺めると,観光客たちの自然(や文化)に対する造詣の深さには特筆すべきものがあります.そのことは,たとえば観光ガイドブックのレベルの高さにもあらわれています.たとえば,最近は日本語版も刊行され始めているフランスのミシュラン社のグリーンガイドシリーズを見ると,どのガイドブックにもまず「旅への誘いIntroduction au voyage」として,その土地の自然景観の成り立ちや現状にかんする地質学・地形学・生物学上の入門解説が数ページあり,次にその土地の歴史時代のでき事や人物についての要約が数ページ,その土地特有の建築様式や絵画などの芸術にかんする解説が数ページ,その土地の文化や特産物にかんする解説が数ページ,あわせて20〜30ページにもおよぶ解説が書かれています.しかも,各項目には専門家が協力しているらしく,内容は平易にもかかわらず高度です.
実際に観光地に行くと,このミシュランガイドを片手にした外国人観光客を多く見かけます.また,同種のガイドブックはけっしてミシュランガイドだけではなく,各観光地のインフォメーションや書店に行けば,必ずと言っていいほどその土地の自然の成り立ちや現状についてのわかりやすく美しいガイドブックを何種類も見つけることができます.一般の観光ガイドブックとしてこのような書物が数多く出版され,ひんぱんに利用されている国こそが,すくなくとも見知らぬ自然や文化と向きあう姿勢にかんしては,本当の一流国と言えるのではないでしょうか.
近年,日本でも環境の保護が声高に言われていますが,そのわりには環境保護・育成にかんする行政の対処の仕方や住民の行動は,欧米先進国に比べてまだまだ皮相的であり,かつ目先の利益に惑わされているように感じます.また,悲惨な自然災害が起きるたびに,自然現象にたいする行政や住民の知識の不足・未成熟や誤解・曲解が,災害を大きくしたのではないかと疑いたくなることもあります.日本人の自然に対する知識や理解のレベルの根本的な底上げ,ひいては自然とつきあう思想や文化の成熟度を高める努力をしない限り,日本の美しい自然景観は(あるいは歴史的景観すらも)少しずつ失われてしまい,自然災害に強い社会はいつまでたっても実現できないように思われます.
なぜこの本を書いたか
日本語で書かれたこれまでの自然解説書の多くは,ほんの一部の人の興味しか惹きそうにないように感じます.記述内容が細分化した学問枠の中にとどまり過ぎ,かつ堅苦しく,その土地の自然を楽しむという視点に欠けているからだと思います.また,本の作り方やレイアウトも退屈で,魅力に欠けているように思います.構えた姿勢をもって自然を「見学」したり「勉強」したりするのではなく,まずは自然を(多少の予備知識をもったうえで)心ゆくまで「観光」してもらう必要があると考えました.
また,自然の魅力を語るためには,日本の自然よりもまずは海外の自然を取り上げる方がよいと考えました.海外の自然景観を見るためには,当然短期間であっても海外の社会や文化の中で暮らすことになります.そして異国の人々の自然とのつき合い方や観光の仕方も目の当りに見ることになります.つまり,海外の自然を見に行くことは,海外の社会・歴史・文化や自然観に触れるというエキゾティックな体験と一体になっているのです.
筆者は火山に興味をもっているので,海外の自然を語る題材としておもに火山をとりあげることにしました.筆者が1996年8月にイタリアのエトナ火山の観光起点であるリフュジオ・サピエンツァのホテルに泊まったとき,「あなたは当ホテルに来た今年最初の日本人です」と言われてショックを受けました.エトナのような超一流の火山観光地に日本人がほとんど訪れていないのです.イタリアのエオーリエ諸島でもアイスランドでも,観光シーズンのさなかに行ったにもかかわらず,まったく日本人をみかけませんでした.また,事前に日本でアイスランドの観光ガイドブックを探しましたが,一冊も見つけられませんでした.日本人の海外旅行がいかに偏向しているかを実感し,そのことも本書の執筆を意図するきっかけとなりました.
本書は,海外火山の中でもとくにバラエティーに富むヨーロッパの火山とそれをとりまく自然の素晴らしさを紹介し,現地に行って何をどうやって見るのかについての情報やヒントをのせるものです.第5章ドイツ編では,かつて火山と間違えられていた巨大隕石衝突跡も紹介しました.また,本全体にわたって歴史や文化景観にかんする情報も多少含めました.ごく普通の方々に,気軽にバードウォッチングを楽しむように,ぜひとも美しいヨーロッパの火山と自然をひと味違った観点から満喫してもらいたいと思って作りました.
この本の構成
まず,火山を楽しむために最小限必要と思われる予備知識を解説しました.ただし,この章は最初は読み飛ばし,必要に応じて後から拾い読みしてもかまいません.
次に,国別の火山観光ガイドをのせました.各観光名所については,ミシュランガイドにならって,筆者のお薦めの程度を星の数によって示しました(★★★ぜひとも訪れたい火山または地域,★★その次に訪れたい火山または地域,★余裕があれば訪れたい火山または地域.☆☆☆ぜひとも訪れたい観光地点,☆☆その次に訪れたい観光地点,☆余裕があれば訪れたい観光地点).なお,星の数は,学問的価値だけでなく,壮大さ・美しさ・ダイナミックさ,エキゾティックさなども加味した筆者の主観によるものです.価値観や美的感覚は人によって違うので,あくまで参考にとどめてください.時間が限られた旅行者の意思決定の手助けとなれば幸いです.
本全体をつうじて,やや専門的な解説をコラムとして書きました.興味のわかないコラムは読み飛ばしても構いません.本文の解説に不足を感じた方だけがお読みください.
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