SCIaS(朝日新聞社)1998年4月3日号に寄稿した記事
フランスを代表する火山学者,Haroun Tazieff(アルン・タジエフ)氏が,闘病生活の後1998年2月2日にパリの自宅で息を引き取った.多くの著作と映画で火山に対する一般市民の興味と理解を深め,成熟した防災意識を育てた.彼の成し遂げた偉業を概観し,ひるがえって日本の防災のあり方を考える.(写真:フランス中部の「火山の里」オーヴェルニュ州の土産物店で売られている絵はがきの例.現在見られる地形の成り立ちを噴火様式と照らし合わせて説明している.)
1996年12月の初め,欧州フランス語圏(フランス,スイス西部,ベルギー南部など)の書店の新刊コーナーに「Volcans」(フランス語で「火山」)というタイトルの本がいっせいに平積みされ,人の目を惹いた.その本は,フランスを代表する火山学者のひとりであるアルン・タジエフ氏の自叙伝であった.
立派なハードカバー装丁の288ページもあるその本は,ほとんどすべてのページが美しいカラー写真で飾られていた.一介の火山学者の自叙伝がこのような形で出版され,それが書店の新刊コーナーに平積みされる状況は,今の日本ではありそうもないことである.タジエフ氏とはどんな人物だったのだろう.
タジエフ氏は,1914年ポーランド生まれのフランス人である.戦後の1948年,地質学・農学の技師としてベルギー領コンゴ(現在のザイール)で働いていた際,ニアムラギラ火山の噴火に遭遇して噴火現象の放つ美しさと知的魅力の虜となり,火山学者として生きることを決意する.以後,数々の学術調査研究のリーダーを歴任して世界中の火山を股にかける活躍をおこない,ついにはフランス首相付きの防災担当責任者の地位にまで登りつめる.
科学者としての彼を強いて分類すれば火山物理学者になるのだろうが,彼が主に指向したものは純粋な学術研究ではなく,また単なる噴火予知観測でもなかった.彼はつねに防災・減災の視点に立って行政と一般市民との間に身を置き,社会への研究成果還元を模索した.「火山学者が,噴火危機を前にして冷静さを失うことは絶対に許されない」という言葉に,彼の心意気と哲学がうかがえる.また一方で,彼は火山活動の映像撮影に奔走し,それをもとに数多くの記録映画を作って一般市民への火山学の知識普及に努めた.彼の生涯の業績として,150の研究論文のほか,25の一般向け著作と25の映画が数えられるという.
彼とフランス国営放送との協力によって作られた最新作「Le Feu de la Terre」(大地の炎)は全6巻300分を越える大作であり,世界中の火山とそれを取り巻く人々の素顔を紹介する素晴らしいドキュメントである.その全編をつうじてタジエフ氏自身がレポーターをつとめ,美しい噴火映像には格調高いBGMが添えられ,見る者に感動を与える.
際立つ火山への関心
タジエフ氏の作品以外にも,欧州フランス語圏のテレビでは火山をテーマとしたドキュメンタリー番組が目につく.また,一般向け解説書から写真集・カレンダー・ハイキングガイド・児童書に至るまでの豊富な火山関連書籍が,地方の小さな書店にも並べられている.(写真:「火山のオープンエアミュージアム」のパンフレット.公園内のそれぞれの崖が,かつての火山のどの場所にあたるかを説明している.
フランス本土には,日本と比べてはるかに噴火頻度は小さいが,火山の分布する地方がある.そのひとつフランス中部のオーヴェルニュ州には,火山体の採石場跡地を利用した公園「火山のオープンエア・ミュージアム」があり,年間7万人もの観光客が訪れているという.また,イタリアやアイスランドなど他国の活動的火山を訪れる観光客にはフランス人が目立って多い.
欧州フランス語圏には,「火山同好会」にあたる民間団体もいくつかある.私はそのひとつジュネーヴ火山協会(SVG)に昨年招かれて日本の火山について講演する機会をもったが,100名を越える聴衆(ほとんどが一般市民)と彼らの基礎知識の豊富さに驚嘆させられた.
地学全般に対する関心が日本と比べてとくに高いわけではないから,火山だけが際立って人々の関心を惹いているように見える.何人かのフランス人研究者に尋ねてみたところ,彼らも同様な感想を抱いていることがわかった.
彼らによれば,地学分野では恐竜と火山がもっとも一般市民に人気のあるテーマだと言う.また,火山がこれほど一般の関心を集めているのはここ10数年ほどの現象であり,おそらくタジエフ氏を第一人者として,それに続くクラフト夫妻や他の学者たちの継続的かつ真剣な知識普及努力のたまものだと言う.タジエフ氏の本が売れているのも,欧州フランス語圏において火山学が占める特異な地位を考えれば,別段驚くに値しないことなのである.現代のフランス社会には,「火山の文化」と呼ぶにふさわしいものが存在すると言えるだろう.
「脅しの防災」ではダメ
日本は,フランス本土に比べてはるかに火山・地震災害のリスクの高い国である.しかしながら今の日本の防災体制には,自然現象の根本的理解を前提としない近視眼的・応急的な技術やノウハウばかりが目立ち,そのような体制をささえる市民の防災意識を行政と学者がたえず危機感を煽ることによって維持させているように見える.それゆえに,日本の防災には余裕のなさと重苦しさが常につきまとっている.
自然災害の本質の理解を伴わない脅しだけによる恐怖や緊張は,いつまでも社会の中に維持・継承できるものではない.神戸の地震を契機として日本中で盛んになった災害対策事業や防災訓練は早晩下火になり,すっかり忘れた頃にまた地震や噴火がやって来るだろう.また,繰り返される脅しは自然にたいする潜在的畏怖を市民に植えつけ,嫌なことは考えないようにする現実逃避心理も加わって,かえって「大地の営みを忌み嫌う文化」の形成に加担している疑いがある.日本は火山国・地震国と言われるが,自然現象についての正確な知識を身につけようとする人は少なく,火山や活断層をむやみに恐れたり忌み嫌ったりする傾向があるように見られるからである.
ひるがえって欧州フランス語圏の一般市民たちを見ると,彼らは日常的な趣味として火山を楽しみ,火山の成り立ちや,火山が見せる素晴らしい景観の意味や,噴火現象の本質に深い興味と理解を示している.火山防災の対策として,これ以上のものが他にあるだろうか.(写真:フランスのハイキングガイド中に見られる火山地形の解説の例.フランス市民たちの火山に対する興味と意識の高さが端的にあらわれている)
このような自然現象への深い愛着と理解を示す社会が噴火の危機に直面しても,人々はみずからの知識の上に立って適切に判断・行動するだろうし,学者や行政の発する情報も,誤解や社会不安を起こすことなくすみやかに伝達・理解されるだろう.また,平常時においても,おざなりの防災計画や災害対策事業は市民の支持を得られなくなるだろう.
火山の活動によって火山山麓には風光明媚な高原がつくられ,温泉が湧き出す.また,高くそびえる美しい山脈や,たくさんの生命をはぐくむ肥沃な平野・盆地の多くは,大地震にともなう地殻変動が長い時間をかけて作り出してきた自然の恵みである.自然災害は,そのような悠久の大地の営みの中で起きる,ほんの一瞬の不幸な出来事にすぎない.日本の火山・地震防災にとって本当に必要なものは,噴火や地震の結果として生じた日本の自然を(危険を正しくわきまえながらも)愛で楽しむ文化ではないだろうか.脅しによる恐怖や緊張感とは違い,文化にはすこやかな継承性が宿っている.
このような文化の形成にかかわる専門知識の普及努力は,研究業績として認められにくいゆえに,学者個人にとっては重い負担である.しかし,学者集団による系統的かつ継続的なプロジェクトとしておこなわれれば,かなりの効果が見込まれるはずである.国家プロジェクトとして防災文化形成計画を立ち上げることができればもっといい.10年あれば,タジエフ氏たちがフランスで実践したような国民全体の火山観・自然災害観の底上げを日本でも達成できるだろう.
火山学や地震学を防災・減災に役立てる本当の早道は,予知のサイエンスだけに過大な期待をかけることではなく,日本の一般市民・マスコミ・行政のもつ自然災害観を一刻も早く成熟させることではないだろうか.それは,未熟な予知科学しかもたない現在の学問レベルにおいても十分に可能なのである.