第3章 アイスランド

 アイスランドは,火山と氷河によって彩られた美しい島であり,毎夏多くのヨーロッパ人,アメリカ人観光客たちがこの島の自然を満喫して帰っている.しかし,日本ではなぜかアイスランド観光の情報がほとんど手に入らない.夏のアイスランドは,家族連れで訪れてもかまわないほど,安全・快適かつ魅力に満ちた島である.

 レイキャヴィク★★―アイスランド観光の基地
   コラム:レンタカーでの火山観光と注意点
 シンクヴェトリル★★―地殻が拡大する場所
  アルマンナギャオとシンクヴァトラヴァトン湖☆☆☆―大地の溝
   コラム:アイスランドの地学的状況
 レイキャヴィクから東火山帯へ★―火山と地震の国
   コラム:氷河の下で生まれた卓状火山
 ヴェイディヴェトン★★★―15世紀の噴火でつくられた凹地と湖
  ヴェイディヴェトン湖☆☆☆―火山地帯の中のオアシス
  リョウティポトルル☆☆☆―火口に登る
  ランドマンナレイガル☆☆☆―溶岩と温泉
   コラム:ヴェイディヴェトン火山列の噴火
 ラカギガル★★★―18世紀の災厄と異常気象
  ラキ山―☆☆☆「スカフタオの火」の現場
  スカフタオ川下流☆☆―海に達した大溶岩流
   コラム:ラカギガル火山列の噴火と異常気象
 グリムスヴェトンとカトラ★―氷河の下の魔法使い(2010年5月追記:エイヤフィヤトラヨクトル火山について)
   コラム:恐ろしい氷河バースト
 ヘイマエイとスルスェイ★―火山との戦い
   コラム:ヘイマエイ・スルスェイ火山の噴火
 ミヴァトン湖とクラーフラ★★―美しいアイスランド北部の火山と自然
  アクレイリからミヴァトン湖へ☆
  スクトゥスタディル☆☆―クレーターの首飾り
  カオルヴァストレンド☆―溶岩のラビリンス
  クヴェルフェトル☆☆☆―大火口
  グリョウタギャオ☆―熱い地溝
  クヴェラレンド☆☆―泥火山
  ヴィティ☆☆☆―美しい地獄
   コラム:ミヴァトン湖周辺の火山噴火史

 アイスランドIcelandは,北大西洋に浮かぶ東西500km南北350kmほどの,北海道より少し広い面積をもつ大きな島である.島の中央に北緯65度線が通過し,島の北岸沖にある小島グリムセイGrimseyの北端がかろうじて北極圏にかかっている.意外なことにアイスランド西岸からグリーンランドまでは290kmしか離れていない(一方,アイスランドからスコットランド北岸までは800km,ノルウェー東岸までは1000km近く離れている).このため,レイキャヴィクからグリーンランド東岸の村まで軽飛行機で日帰りする観光ツァーもおこなわれている.
 この島にヴァイキング(ノルマン人)たちが定住し始めたのは9世紀の後半とされている.その頃ノルウェーでひとりの強大な王が出現し,人々に服従を強い始めた.王の強権的な支配に反抗した多くの人々が安住のための新天地をアイスランドに求めたのである.島での暮らしは徐々に安定し,議会政治による民主的国家が誕生した.さらに西をめざしたアイスランドの船乗りたちは,10世紀末にグリーンランドとアメリカ大陸(ニューファンドランド島,ラブラドル半島,現在の合衆国メーン州の一部など)をあいついで発見した.コロンブスによるアメリカ大陸の再発見に先立つこと500年前の出来事である.しかし,原住民の圧迫によって,やがてアイスランド人はアメリカ大陸を去ることになり,新大陸の知識は欧州民族の共有するところとはならなかった.
 アイスランド人によるアメリカ大陸発見の物語は口碑伝承として伝えられ,12世紀初めに成立した歴史書の中にまとめられている.当初アイスランド人たちは文字をもたず,12世紀を迎えてようやく文字による歴史の記録が始まった.火山噴火の豊富な文字記録が残っているのも,この頃からである.それより少し以前,ヨーロッパ大陸ぞいに南へと航海していったノルマン人たちはやがて地中海に入り,11世紀ころにシチリア島から南イタリアにわたるシチリア王国を建設した.そして,そこでエトナ火山やヴェスヴィオ火山の噴火に遭遇することになった.つまりこの時期,ヨーロッパの北と南でヴァイキングの末裔たちは,みずからが建設した新しい国で,それぞれ違う火山の噴火を見ていたのである.
 海底地形もふくめた地図でみると,アイスランドは大西洋中央海嶺の一部が海面上に顔を出した部分にあたることがわかる.大西洋中央海嶺はプレート拡大境界であり,そこでは地殻が割れて東西に広がりつつある.この割れ目にできた空間をおぎなうために,地下から大量のマグマが地表に昇ってきて,その一部は地表に噴出する.とくにアイスランド付近は地下からのマグマ上昇・噴出量が多いため,地形的な高まりとなって海面上に姿を現しているのである.このような事情から,アイスランドは本来的に火山活動や地殻変動と縁が切れない場所であり,じじつ島全体が新旧さまざまの火山体の折り重なりによって作られている.また,地殻の拡大を反映した生々しい割れ目そのものや,割れ目と密接に関連した火山噴火の証拠を見ることができる.
 アイスランドの美しく壮大な景観は,火山活動や地殻変動だけによって作られたものではない.島の10%あまりをおおう氷河も大きな役割を果たしている.氷河と言っても,谷間だけをおおうようなケチなものではなく,高地をまるごとおおう広大かつ厚い氷冠である.島最大の氷冠ヴァトナヨクトルVatnajokullは,東西120km南北90kmの範囲をおおい,最大厚さは1000mという.氷河期に,これらの氷河は島の大部分をすっぽりとつつみこんだ.氷河による浸食と堆積作用は地形に独特な味付けを加える.島の北部に多いフィヨルドはそれらの一例である.また,氷河下で噴出したマグマは,「卓状火山」という異様な形の火山体を作り出している.

アイスランドの海岸で見かけた水陸両用船とおぼしき物体

 

  レイキャヴィクReykjavik―アイスランド観光の基地

 アイスランドの人口は26万人あまりと少なく,そのうちの6割ほどが首都レイキャヴィクとその近郊に住んでいる.レイキャヴィクの人口はおよそ10万人,名実ともにアイスランド一の都会である.レイキャヴィクは,アイスランド南西端にあるレイキャネスReykjanes半島のつけ根にあり,なだらかな丘陵地に北欧風の白壁とパステルカラーの屋根の家々が建ち並ぶ,美しく清潔な港町である.町の中心の丘には,スペースシャトルと見まちがうような近代的な教会の白いカテドラルがそびえている.町には通常の水道の他に温水道があり,いつも熱湯が供給されている.それらの熱湯は地熱によって温められたまぎれもない温泉であり,かすかに硫黄の匂いがする.
 レイキャヴィクは,アイスランド最大の観光基地でもある.島全体にわたるバス,自動車,飛行機,船,はてはスノーモービルや馬までを手段とした,ありとあらゆる観光ツァーがここから出発しており,それらをうまく組み合わせるだけでも,かなり効率のよい火山観光が可能である.アイスランドでは,必ずしも他の国のようにレンタカーを使う火山観光が最適とは言えない.アイスランドの内陸には舗装道路がほとんどなく,川には橋すら架けられていない.そのような原野をレンタカーで走ることには,かなりの危険がともなうからである.また,アイスランドを走るのに不可欠な四輪駆動車のレンタカー料金は,非常に高額である.まずはレイキャヴィクに腰を落ち着け,ホテルや観光インフォメーションで情報を集め,自分にもっとも適した観光手段を選ぶのがよい.英語はアイスランド中でまんべんなく通じる.

レイキャヴィクの大聖堂

  コラム:レンタカーでの火山観光と注意点
 観光シーズン中のアイスランドには網の目のように観光ツァーのルートがはりめぐらされているから,観光ツァーだけを組み合わせることによってアイスランド中の主要な火山をめぐることが不可能でない.観光ツァーのコストパフォーマンスは高いし,結果的には時間の節約にもなる.また,事故や車体の故障に対するリスクが低い点も見逃してはならない.
 しかし,どうしても気ままにレンタカーで旅をしたいという方は,以下の点を十分考慮してレンカター使用を決めるとよい.
・アイスランド内陸の道路はほとんど舗装されておらず,川には橋すら架けられていない.したがって,火山観光のためには四輪駆動のオフロード車を借りなければならない.そのような車のレンタル料金は非常に高額である.
・アイスランド内陸の走行には,かなりの運転技術と装備(防寒,車体整備,および食料)が不可欠である.アイスランドの内陸は,真夏でもしばしば氷点下になるほど寒い.宿泊設備やガソリンスタンドは,海岸付近においてすら限られた場所にしかない.
・かならず現地の詳しい地形図(25万分の1またはそれより詳細なもの)を持参すること.アイスランドの地形図には,小さな川や湖,渡河ポイント,障害物となる溶岩流の分布などの最新の道路状況のほか,ガソリンスタンド,山小屋,キャンプサイトなども載せられている.アイスランド内陸にほとんど道路標識はなく,地図上に表示された道であっても他の車の轍以外には何もない場合が多い.地形だけが唯一の手がかりと言ってよい.地形図読図に慣れていない方は,レンタカーで内陸に入るべきでない.
・車での渡河は想像以上に難しく,多くの外国人旅行者にとって鬼門と言っても過言でない.渡河中の横転事故は後をたたず,ときには死亡事故も起きる.水量が増した時は,いさぎよく渡河を断念し,水が引くまで何日も待たなければならない場合もある.

 

  シンクヴェトリルThingvellir―地殻が拡大する場所

 レイキャヴィクの東40kmほどの高原の中(標高101m)にシンクヴァトラヴァトンThingvallavatn湖という東西10km,南北15kmほどの大きな湖があり,その北岸にシンクヴェトリルと呼ばれる場所がある.平原の中にホテルと売店と小さな教会が一軒ずつある何の変哲もない場所であるが,ここを訪れる観光客は多い.その理由は,ここが10世紀初めにアイスランド最初の法と議会が成立した記念碑的土地であるということだけではない.むしろ観光客たちは,シンクヴェトリルがアイスランドの置かれている地学的状況を目の当りにできる場所だということを知り,それをひと目見ようと訪れているのである.
 アイスランドは地殻が裂けて東西に広がりつつある場所として名高いが,そのスピードはアイスランド全体でみて平均年間2cm程度に過ぎず,しかも一箇所に集中して拡大が起きているわけではない.このため,「裂けつつあるアイスランド」を現地で実感することは,専門家にとっても必ずしも容易でない.しかし,アイスランドの各所には,実際にわずかずつ広がり続けている大地の割れ目が存在し,そこには過去数千年〜数万年分の拡大が目に見える形で蓄積されている.シンクヴェトリルはまさにそのような場所のひとつなのである.

  アルマンナギャオとシンクヴァトラヴァトン湖―大地の溝
 シンクヴェトリルを際立たせる最大の特徴は,その大地に刻まれたギャオgjaと呼ばれる数多くの溝である.ギャオはアイスランド語で「割れ目」「峡谷」などの意味をもつ.ギャオは,多くの場合数十m〜数km連続して続く幅数十cm〜十数mの地表の割れ目であり,アイスランドの大地がゆっくり裂けつつあることの直接の証拠である.アイスランドの中でもとくに地殻変動や火山活動の活発な地域に多く分布する.
 シンクヴェトリルには,幅1kmほどの範囲にわたって北北東-南南西方向に伸びる数列のギャオの並びが見られる.もっとも顕著なものは,その西端近くにあるアルマンナギャオAlmannagjaである.アルマンナギャオの最大幅はおよそ10mであり,溝の西と東で最大30mほどの段差があり,東側が落ち込んでいる.この段差はアルマンナギャオの地下にある正断層の動きを反映している.西から流れてきたエクサラオOxara川が滝となってアルマンナギャオの中に注ぎ込み,ギャオに沿って500mほど流れた後,外に流れ出てシンクヴァトラヴァトン湖に注いでいる.アルマンナギャオの中や周辺に遊歩道や橋が作られており,散策を楽しめるようになっている.アルマンナギャオの300m東に並行してブロサギャオFlosagyaがある.ブロサギャオは段差のない幅数mの割れ目で,中に水をたたえている.
 アルマンナギャオやブロサギャオの割れ目の壁面には,パホイホイ溶岩流の断面が観察できる.シンクヴェトリルの北東25kmにある楯状火山スキャルドブレイドゥルSkjaldbreidurから流れてきた9000年〜1万年前の溶岩流である.
 アルマンナギャオの地下にある正断層は地震発生能力をもっており,1789年に大きな地震を引き起こし,東西の段差を1m増加させた.アルマンナギャオは,このような地震による間欠的な動きのほか,連続的にもじわじわと動き続けていること(年間3mmの拡大と年間1mmの段差の増加)が,最近の測量結果から明らかにされている.

アルマンナギャオ地溝

  コラム:アイスランドの地学的状況
 アイスランドは,大西洋中央海嶺上にある火山島であると同時に,ホットスポット火山でもある.このホットスポットは5000万年ほど前にはグリーンランド東岸付近にあり,そこで大量のマグマを噴出した.プレートの移動にともなってホットスポットの位置は徐々に南東に移動し,3600万年前に大西洋の海底地殻上に達して大西洋中央海嶺と合体した.ホットスポット上ではとくに大量のマグマが供給されるため,結果として大西洋中央海嶺上の地形的高まりであるアイスランド島が形成された.
 現在のアイスランド上を見ると,地震活動・断層運動・火山活動の激しい地域が帯上に分布し,島を北から南へと横断しているのがわかる.これらの地域は地溝帯(あるいは火山帯)と呼ばれている.これらの地溝帯は,大西洋中央海嶺の中軸部が陸上に上った場所に相当する.アイスランド島南西沖にある大西洋中央海嶺の北東延長そのものがレイキャネス地溝帯である.また,アイスランド北方沖にある大西洋中央海嶺は,トランスフォーム断層帯であるトヨルネスTjornes破砕帯を仲介者として,北東アイスランド地溝帯とその南方延長である東火山帯に続いている.
 北東アイスランド地溝帯と東火山帯の接点あたりの地下に,現在のアイスランドホットスポットが存在すると考えられている.東火山帯とレイキャネス地溝帯は,中央アイスランド火山帯とトランスフォーム断層である南アイスランド地震帯とを仲介者として,力学的に連結しているらしい.以上のようなアイスランド上のやや複雑な地溝帯の分布は,大西洋中央海嶺がアイスランドホットスポットの南東移動によって少しずつ引きずられてできた構造と考えられている.
 アイスランドでは,ヘクラ火山のような大きな複成火山体がある一方で,これまで火山の存在が知られていなかった平坦部分において突然大規模な割れ目噴火が生じることもある.このため個々の火山の認識のためには,火山体やカルデラの存在だけでなく,噴火割れ目や断層などの分布もふくめた総合的な考察が必要であり,アイスランド上に全部で32の「火山システム」の存在が認識されている.個々の火山システムは噴火割れ目や正断層の密集帯であり,その内部に複成火山体やカルデラをもつ場合がある.
 アイスランドで生じる火山噴火は玄武岩質マグマの割れ目噴火が主体と思われがちであるが,火山システム内の複成火山ではデイサイトや流紋岩質マグマが爆発的噴火を繰り返すことがある.一般に,噴火割れ目から噴出する玄武岩質マグマの給源は地下10km以深とみなされるのに対し,複成火山の地下浅部(数km)にはマグマ溜りが発達し,分化や混合によってより酸性のマグマが生成されると考えられている.

アイスランドの地図と火山分布

 

  レイキャヴィクから東火山帯へ―火山と地震の国

 アイスランドの中には,火山活動と地殻変動が関連し合って集中的に生じている場所がいくつかあり,火山帯(volcanic zone)や地溝帯(rift zone)の名前で呼ばれている.レイキャヴィクのあるレイキャネス半島もそのような場所のひとつ(レイキャネス地溝帯)であり,シンクヴェトリルの項で述べたスキャルドブレイドゥルなどの火山がある.しかし,歴史時代において活動的な火山は,むしろ東火山帯と北東アイスランド地溝帯に数多く分布している.まず,このうちの東火山帯へと旅をしてみよう.
 レイキャヴィクから1号線を東進し始めると,しばらくは荒涼とした植生のない高地が続く.レイキャネス地溝帯に属する火山地帯である.35kmほどで突然眼前の視界が開け,大西洋に面した広大な低地へと道は下り始める.レイキャネス地溝帯と東火山帯にはさまれたこの低地にほとんど火山はなく,クヴィタオHvita川やスヨウルサオThjorsa川などの大河がゆうゆうと流れ,土地は緑におおわれている.また,多くの町が作られ,農業や牧畜が営まれている.しかし,この低地は歴史上数多くの大地震を経験してきた土地でもあり,南アイスランド地震帯と呼ばれている.たとえば,1896年8月26日から9月10日までの15日間にマグニチュード6.0〜6.9の4つの地震が,震源の位置を移動させながら立て続けに起き,大きな被害が生じた.
 南アイスランド地震帯は,その両側をはさむレイキャネス地溝帯と東火山帯の地殻拡大によって蓄積されたひずみを解消するために生じた横ずれ断層帯である,との考えが有力視されている.1912年5月に起きたマグニチュード7.0の地震を最後に今日まで大きな地震は生じておらず,近い将来の大地震の再来が心配されている.
 ヘトラHellaの町の手前で1号線を左に折れ,26号線を北東に進むと,10kmほどで道は未舗装となる.そのあたりまで来ると,進行方向の右手に雪をいただいた美しい円錐形の大きな火山が見え始める.名高いヘクラHekla火山(標高1450m)である.また,進行方向左手にはアイスランド特有の卓状火山のひとつブルフェトルBurfell(標高669m)が見える.26号線はヘクラ火山とブルフェトル火山の間の谷間を通過し,さらに内陸の奥地へと入っていく.
 ヘクラ火山は,アイスランド屈指の活動的火山であり,1104年以来,10年〜120年の休止期をはさんで少なくとも17回の噴火を繰り返している.また,歴史時代以前にも,アイスランドの広い範囲に軽石を降らせる爆発的噴火が何度か起きている.
 ヘクラ火山北西麓の26号線ぞいの大きな採石場で,1104年噴火によって堆積した粗く厚い軽石層を見ることができる.この地点から26号線をさらに30km北東に進んだフレインエイヤルHrauneyjarに,ガソリンスタンドと大きなゲストハウスがある.ここから先はキャンプ場以外の宿泊施設はない.次に述べる東火山帯の火山をじっくり楽しむ計画があるなら,ここに宿をとるのがよい.

東火山帯の略図

   コラム:氷河の下で生まれた卓状火山
 アイスランドには,日本人にとって見慣れない形をした火山がある.卓状火山(table mountain)とタフリッジ(tuff ridge,別名ハイアロクラスタイトリッジhyaloclastite ridge)である.卓状火山とタフリッジは,氷河時代のアイスランドをおおった数百mもの厚い氷の下で生まれた火山である.どちらも,氷河期終了後の陸上噴火によって生まれた火山にはない,急傾斜の山腹をもっていることが特徴である.
 厚い氷河の下で火山噴火が始まったとしよう.マグマの熱は氷河を溶かし,氷河底部に水塊ができる.噴火はこの水塊の底で起きることになる.厚い氷河下に閉じ込められた水塊の水圧は高く,ガス成分は容易に気化・発泡できない.このため,噴火はおだやかなものになり,噴出したマグマはソーセージのような形をしたチューブ状の溶岩流(枕状溶岩)となってつみ重なる.
 噴火が長期間にわたると,噴火地点上の氷河が溶けて失われたり,氷河上にできた火口湖内の水が外に流出したりして,噴火地点の水圧が低くなる.このため,高温のマグマと水が触れ合うことによって発生する爆発的噴火(水蒸気マグマ噴火)が起きるようになる.結果として,噴出したマグマは急冷・粉砕され,火山砂レキとなってつみ重なる.
 長い噴火割れ目で起きる噴火は,この段階で終了することが多い.氷河時代が終わった後,噴火割れ目に沿って,枕状溶岩とそれをおおう火山砂レキ層でできた峰の連なりが残される.これがタフリッジである.
 これに対し,短い噴火割れ目や単一の火口で起きる噴火は,さらに長く引き続くことが多く,火山体の形成は次のステージへと進展する.氷河下の火山体がさらに成長し,噴火地点が火口湖の湖面上に姿をみせ始めると,マグマと水とが触れ合う機会がなくなる.このため,噴火は再びおだやかになり,静かにパホイホイ溶岩を流出するようになる.結果として,下から枕状溶岩,火山砂レキ,パホイホイ溶岩の3層構造からなる火山体(卓状火山)ができ上がる.最上部のパホイホイ溶岩によってつくられた山頂の平坦面が特徴的であるため,卓状火山と呼ばれる.
 卓状火山とタフリッジは,噴火が生じた時の環境(寒冷な時代)の指示者であり,さらに卓状火山の標高は,噴火当時にその地点をおおっていた氷河上面の標高でもある.卓状火山やタフリッジを見て,過去の氷河の厚さを実感しよう.

氷河の下で起きた噴火によってできた卓状火山.テーブル状の形の上面が,かつてその場所を覆っていた厚い氷河の表面の標高をあらわしている.

 

卓状火山のできかた

 

 ヴェイディヴェトンVeidivotn―15世紀の噴火でつくられた凹地と湖

 アイスランド東火山帯は,アイスランドの南東部を占める一大火山地帯である.アイスランド最大の氷冠ヴァトナヨクトルからアイスランド南岸沖のスルセイ島まで北東-南西方向に200km以上の広がりをもち,幅は60kmに達する.前述のヘクラ火山は,アイスランド東火山帯の北西縁を占める一火山に過ぎない.海域をのぞくアイスランド東火山帯の大部分は標高500〜1000mの高地によって占められ,アイスランド内陸の厳しい自然環境の下,溶岩流と火山灰におおわれた褐色の大地がひろがる.そこに町や村はなく,重装備の車だけが通行できる2本の横断道路があるのみである.
 しかし,人の手がほとんど入っていない自然というものは,かくも美しいものであろうか.歴史時代やそれ以前をつうじて繰り返してきた割れ目噴火によって,数多くの火山列・火口列が折り重なるように生じており,それらが作るおそろしく変化に富んだ地形の中を縫うようにして,網の目のような無数の川の流れができている.夏には,それらの川に沿って草や花々が芽をふき,不毛の大地が斑状に鮮やかな緑色に染め上げられる.高台から見下ろす緑と褐色のコントラストは,ため息が出るほど見事である.夜に入れば,水の流れる音以外は何も聞こえない真の静けさがあたりを支配し,煌々とした星々と月の明かりが湖を照らし出す.
 東火山帯の内陸部には,いくつかのみどころが存在する.その西縁近くにあり,もっとも多様な魅力に富むヴェイディヴェトン火山列とその周辺を紹介する.ヴェイディヴェトン火山列は,15世紀後半の割れ目噴火によってできた火口や溶岩流の集合体である.現在は火口や低地に水がたまり,全体として無数の小さな湖が寄り集まった幅の広い谷間となっている.コバルトブルーの湖とそのまわりの豊かな植生の緑が,不毛の火山地帯の中にオアシスとも呼べる自然の楽園を形作っている.

  ヴェイディヴェトン湖―火山地帯の中のオアシス
 フレインエイヤルからF26号線を進むと,40分ほどでソウリスヴァトンThorisvatn湖の南端にあるダムに達する.ソウリスヴァトン湖は,すでに述べたシンクヴァトラヴァトン湖や後述するミヴァトン湖とともにアイスランド最大級の湖のひとつであり,その豊かな水量から電力発電用のダムが建設されている.
 ダムとF26号線を離れて東進すると,進行方向に高さ数十mの急斜面をもつ峰の連なりが見えてくる.まるで北東-南西方向に並べて立てられた壁のようである.氷河時代に,厚い氷河の下の割れ目噴火によって作られたタフリッジである.よく景色に注意していれば,東火山帯の中のあちこちでこのようなタフリッジが観察できる.
 道はこのタフリッジの北側をまわりこむ形で続いている.タフリッジを過ぎてしばらく進むと,眼前が開けて多数の美しい湖が見え始める.ヴェイディヴェトン火山列の中心部である.湖ひとつひとつに名前がつけられているが,すべての湖を総称してヴェイディヴェトンVeidivotn湖と呼ぶ.道が湖のほとりに達したところにキャンプサイトがある.また,近くの小高い丘から,湖と火山列のみごとな全景が見渡せる.いくつかの湖は車で周遊できるようになっており,風景に注意していればスパター丘や溶岩流などの噴火の痕跡を見つけることができる.

15世紀の割れ目噴火でできたヴェイディヴェトン火口列

  リョウティポトルル―火口に登る
 フレインエイヤルからいったんF22号線を進み,フレインエイヤロウンHrauneyjalon湖の南東端付近からF208号線に入る.ちょっと寄り道してフレインエイヤロウン湖とその南東にあるクロウフスロウンKrokslon湖を結ぶ水路上の橋まで行けば,水路沿いの崖にみごとな枕状溶岩が観察できる.氷河下で起きた噴火の産物である.
 F208号線を進み,フロスタスタダヴァトンFrostastadavatnという湖の手前を左折して丘を登りつめるとリョウティポトルルLjotipollur火口のわきに達する.この火口は,ヴェイディヴェトン火山列に属する楕円形のマール(長径1.6km,短径0.8km)であり,美しい湖水をたたえている.火口縁からの眺めはすばらしく,北東には無数の湖をいだいたヴヴェイディヴェトン火山列の谷間が広がっている.南西には次に述べるトルヴァヨクトル火山の山なみが見え,高山の山頂は氷河におおわれている.天気がよければ,その背後にミルダルスヨクトルMyrdalsjokull氷冠のつくる白い氷原も見えるはずである.
 リョウティポトルル火口の内壁をよく観察すると,南西半分には赤色のスコリアやスパターが露出するのに対し,北東半分には成層した灰色の火山レキだけが積み重なっている.灰色の火山レキは水蒸気爆発の産物であり,初めに南西側で始まったおだやかな噴火が,後に北東側に噴火割れ目が伸びた段階で,マグマが地下水に触れて爆発的噴火が生じたことがわかる.

 

リョウティポトルルタフリング(左)とその内壁(右).たわんだ板のように見えるものは噴火末期に降り積もった溶結スパター(上にバスが停車中)

  ランドマンナレイガル―溶岩と温泉
 リョウティポトルル火口からF208号線にもどり,さらに進むとフロスタスタダヴァトン湖のほとりに出る.そこから湖の南岸を望むと黒々とした溶岩流が山の上から流れ下り,湖に入り込んだところで止まっているのがわかる.この溶岩流も,ヴェイディヴェトン火山列のひとつから流出したものである.湖のわきを通り抜け,小さな峠を越えたところに,やはり同じ火山列に属する小さなスコリア丘ストゥトゥルStuturがある.この峠を下り,右折してまもなくランドマンナレイガルに着く.
 ランドマンナレイガルLandmannalaugarは,風光明媚な露天温泉場として名高い.温泉は幅広い谷間の南側の山すそにあり,池になっている.池は緑の草が生い茂る湿地帯で取り巻かれている.湿地帯わきのキャンプサイトに車を停めて温泉につかろう.水温にはかなりむらがあるが,場所をうまく選べばほどよく体を温められる.
 温泉につかりながら南側を見上げると,黒い岩塊を積み重ねたような外観をもつ高さ20mほどの崖がそびえている.ヴェイディヴェトン火山列の最南端にある割れ目火口から流出したレイガフレインLaugahraun溶岩流の末端崖である.アイスランドでは薄く広がる粘り気の小さい溶岩流が一般的であるが,レイガフレイン溶岩流は粘り気の大きい流紋岩溶岩であったため,厚いブロック状の流れとなった.キャンプサイトから遊歩道をたどれば溶岩流の上に登ることができ,南側の山腹にある溶岩流の流出口も見える.
 ランドマンナレイガルは,トルヴァヨクトル火山という古いカルデラ火山の北縁付近に位置している.ランドマンナレイガルに来た誰もが,まわりの山々が黄色や白や緑などのさまざまな色調をしていることに気づく.これらの鮮やかな色は,古い流紋岩質の溶岩や火山砂レキが変質することによってできた色である.

レイガフレインLaugahraun溶岩流の末端崖の下にわき出ている温泉

  コラム:ヴェイディヴェトン火山列の噴火
 ヴェイディヴェトン火山列は,15世紀後半(おそらく1477年)の割れ目噴火によってできた.この噴火割れ目は,北東のヴァトナヨクトル氷冠西端から南西のトルヴァヨクトル火山北端に至り,その全長はなんと67km以上(北東端は氷冠の下にあるため正確な長さ不明)という.北東延長上のヴァトナヨクトル氷冠下にあるバオルダルブンガBardarbunga火山を中心とする火山システムの一部と考えられている.
 この火山列の噴火が起きた場所には,噴火以前からたまたま湖や湿地帯があったため,高温のマグマと水が触れ合って爆発的噴火が生じ,噴火初期に数多くのマールやタフリングが作られた.噴火後期になると,水が渇れたために噴火はおだやかなものとなり,噴火初期にできたタフリングやマール内にスパター丘が作られ,溶岩流が流出した.流出した溶岩流は火口列周辺に残っていた湖や湿地帯に流れ込み,あらたな堰き止め湖を作るとともに,二次爆発が生じて多くの偽クレーターも作られた.以上の結果,現在みられる非常に複雑な凹地群と大小さまざまな湖が生じた.
 トルヴァヨクトルTorfajokull火山は,アイスランド最大の流紋岩質複合火山体(その大部分は氷河下で噴出した溶岩と火山砂レキの集合)であり,その中心に東西18km南北13kmのカルデラが推定されている.トルヴァヨクトル火山の噴火活動のピークは11万5000年〜6万5000年前にあったらしく,すでに晩年を迎えた火山らしい.ところが,ヴェイディヴェトン火山列の噴火の際,その噴火割れ目の南西端がトルヴァヨクトル火山の中にまで伸びた結果,興味深い事件が生じた.
 ヴェイディヴェトン火山列の大部分は玄武岩質マグマを噴出したのに対し,トルヴァヨクトル火山内に伸びた割れ目からは流紋岩質のレイガフレイン溶岩流が流出したのである.この溶岩はトルヴァヨクトル火山固有のものであり,新しい噴火割れ目が古いマグマだまりの一部を断ち切った結果,マグマだまりに残っていた古いマグマが刺激されて地表に噴出したと推定されている.

ヴェイディヴェトン火山列から流出して湖に流れこんだ溶岩流

 

  ラカギガルLakagigar―18世紀の災厄と異常気象

 ラカギガル...世にも恐ろしい噴火を起こしたこの噴火割れ目の名前を,アイスランド人たちが忘れることはないだろう.それは1783年の出来事だった.5月後半からアイスランド南部に群発地震が起き始め,住民はそれが何事かの凶兆であることをうすうすと感じ始めた.6月に入ると地震は回数や激しさを増し,一部の住民は家を離れてテント生活を始めた.
 18世紀のアイスランドには,異常なほど火山噴火や地震が多かった.1721年にはミルダルスヨクトル氷冠の下にあるカトラ火山,1727年にはヴァトナヨクトル氷冠の南東端にあるエライヴァヨクトルOraefajokull火山で,それぞれ大規模な噴火が起きた.また,1724年から1729年にかけてアイスランド北部のミヴァトン湖周辺で立て続けに数回の噴火があった.1732年と1734年には前述した南アイスランド地震帯でマグニチュード7クラスの地震が起きた.1755年には再びカトラ火山が大規模な噴火を起こし,ヘクラ火山の1766年の噴火がそれに続いた.1783年5月になると,レイキャネス半島の南西沖にある海底火山で噴火が始まり,8月まで続いた.
 1783年6月8日,アイスランド東火山帯の東縁付近にあるラキLaki山の南西側に大規模な割れ目が口を開き,噴火が始まった.6月29日になると噴火割れ目はラキ山の北東側にも伸び,その全長は25kmに達した.割れ目からは高さ800〜1400mの火柱が上がり,溶岩流が絶え間なく流出し続けた.50日目を過ぎるとさすがに噴火の勢いは衰え始めたが,噴火が完全に終わったのは翌1784年の2月初めであった.アイスランドの歴史時代をつうじて最大という途方もない量の溶岩流は,ふたつの谷間を流れ下り,海岸付近に達して広がった.そのうちの南西側の谷間を流れる川の名前をとって,アイスランド人たちはこの噴火を「スカフタオの火(Skaftareldar)」と呼ぶ.
 海岸付近に流下した溶岩流はいくつかの村落と農地を埋めたが,火口が人里離れた場所に生じたことと,溶岩流出主体のさほど爆発的な噴火ではなかったことのため,噴火そのものによる死者は出なかった.しかし,アイスランド人たちの本当の悲劇はその後に控えていたのである.
 ラカギガルの1783年噴火がもたらした災厄の主犯は,溶岩や火山灰ではなく,おびただしい量の火山ガスであった.火山ガスは,噴火終了後も火口や溶岩流の表面から絶え間なく放出され続けた.この火山ガスの中には大量の硫黄酸化物が含まれており,それらは青味を帯びた硫酸の霧となって大気中をただよい,一部は酸性雨となって地上に降りそそいだ.また,成層圏に昇った霧は北半球全体の空をおおい,日射をさえぎって世界的な気候の寒冷化を引き起こした.毒気のある霧と雨によって,アイスランドではまず水や植物が汚染され,次にそれを食べた家畜が死んだ.異常低温が,家畜や人間の健康の悪化に拍車をかけた.史上かつてなかった深刻な飢饉がアイスランドを襲い始めた.
 結果として,1783年からほんの数年の間にアイスランドの家畜の50%と,人口の20%が失われた.それを見かねたデンマークでは,自国内へのアイスランド人の移住計画が真剣に討議されたが,ついに実行には移されなかった.飢饉にあえぐアイスランド人たちをあざ笑うかのように,1784年8月14日と16日,ふたたび南アイスランド地震帯をマグニチュード7クラスの2回の地震が襲った.

  ラキ山―「スカフタオの火」の現場
 いつ果てるともなく続いた凹凸のはげしい高原の道が最後の丘を越えたとき,眼前に溶岩流で埋め尽くされた広大な平原が見え始める.平原の向こう端によく目をこらすと,赤茶けた奇岩や火口の連なりがあるのがわかる.ラカギガル火山列である.道は溶岩原の端を迂回するようにして火山列に近づき,小高い丘の麓で終点となる.ラキ山(標高812m)である.
 ラキ山は,ラカギガル火山列上のちょうど中ほどをさえぎるようにそびえており,火山列全体のパノラマを楽しむ絶好の見晴し台となっている.ラキ山自体は氷河下でできた古い火山体(タフリッジ)の一部である.噴火以前からあったラキ山の直下に,たまたまラカギガル噴火割れ目が生じたのである.噴火割れ目はラキ山をも下から引き裂こうとしたが,ついに果たせずに噴火は終了した.麓からラキ山の山肌に注意をこらすと,山の麓から頂上に向かって伸びる正断層と岩脈を観察することができる.
 なにはともあれ,まずはラキ山に登ろう.200mほどの登山である.風をさえぎるもののない山頂は真夏でも凍えるほど寒いから,防寒・防風には十分気をつけたい.山頂から南西側にはラカギガル火山列の南西半分,北東側には火山列の北東半分さらにはヴァトナヨクトル氷冠の広大な白い氷原を見渡すことができる.200年ほど前の割れ目噴火が,いかに壮大な事件であったかを実感することができるだろう.
 ラキ山登山の後は,近くの噴火割れ目を見に行こう.ラキ山の南西側にあるいくつかのスパター丘に行くのがもっとも手っとり早い.スパター丘の高さはせいぜい20〜30mであり,容易に登ったり火口内に降りたりすることができる.


ラカギガル火口列.ラキ山から見た南西半分(左)と北東半分(右).

  スカフタオ川下流―海に達した大溶岩流
 ラカギガル火山列の噴火の大規模さを実感するためには,火口付近を訪れるだけでなく,海岸平野に達した溶岩流を見に行くのがよい.
 火山列に向かうF206号線に入る手前のおよそ23kmほどの区間,1号線はこの溶岩流の上を走っている.ラカギガル火山列から流出し,スカフタオ川を流れ下って海岸平野に達した溶岩流である.溶岩流は凹凸の激しい表面をもっており,厚さ10cmほどもある緑色の地衣類におおわれている.1号線の路上から溶岩流の広がりを実感するのは難しいから,F206号線に入ってやや高台に登ったところから見下ろすのがよいだろう.
 F206号線に入らずに1号線をさらに北東に走ると,ケルキュバイヤルクレイストゥルKirkjubaejarklausturの町に至る5kmほどの区間の道ぞいに,数m程度の小高い丘が数多く分布しているのがわかる.よく見ると,多くの丘は火口をもっている.ラカギガル火山列の溶岩流が湿地帯に流れ込み,閉じ込められた水蒸気が二次爆発してできた偽クレーター(根なしクレーター)の群である.

10世紀にラカギガル噴火割れ目と同様の噴火を起こし,大量の溶岩を流出したエルトギャオEldgya噴火割れ目

 コラム:ラカギガル火山列の噴火と異常気象
 ラカギガル火山列は,1783年6月8日から翌年2月初めまで続いた割れ目噴火によってできた,130もの火口をもつスパター丘(一部タフリング)列である.火山列は東火山帯の東縁近くの標高600m付近の高原地帯に位置し,他の東火山帯の噴火割れ目と同じく北東-南西に伸びている.北東延長上のヴァトナヨクトル氷冠下にあるグリムスヴェトン火山を中心とする火山システムの一部と考えられ,氷冠下にあると推定される北東端をのぞいた割れ目の全長は25kmである.ラカギガル火山列の噴火は,総計0.75km3の火山灰・火山レキと14km3の溶岩流を噴出した,アイスランドの歴史時代(9世紀以降)最大の噴火である.
 噴火は当初ラキ山の南西側だけで生じ,6月29日になってラキ山の北東側に拡大した.また,8月に入って北東延長上のヴァトナヨクトル氷冠下でも噴火が生じ,翌年に至ってさらに北東のグリムスヴェトン火山も噴火した.ラカギガル火山列の噴火のピークは最初の50日間であり,火山灰と溶岩流の大半はその期間中に噴出し,噴出率は毎秒8000トンであった.流出した溶岩流は,北東のクヴェルフィスブリョウトHverfisfljotと南西のスカフタオSkaftaの2つの川ぞいを流れ下り,海岸平野に達して広大な面積をおおった.溶岩流が湿地をおおった場所では二次爆発が起きて,数多くの偽クレーターが作られた.
 ラカギガル火山列の1783-84年噴火は,全体としてみれば溶岩流出主体の噴火で,とくに爆発的なものではない.特筆すべきは,噴火で放出された火山ガス中の二酸化硫黄の多さ(1億4000万トン)であった.二酸化硫黄は細かな硫酸水滴となって大気中を漂い,毒気のある青い霧としてアイスランド中をおおい,遠く離れたヨーロッパ大陸においても人々を不思議がらせるほどであった.アイスランドをおおったこの霧が作物や家畜を台無しにし,アイスランド史上最悪の自然災害とされる深刻な飢饉(アイスランド語でModuhardindiと呼ばれるHaze Famine「霧の飢饉」)の主因となった.また,成層圏に滞留した硫酸水滴は日射量を減少させ,数年続く世界的な気候の寒冷化を引き起こした.
 偶然にも1783年夏は,日本でも浅間火山が爆発的な噴火(天明噴火)を起こした時期にあたる.それから数年間,史上有数の飢饉である「天明の飢饉」が日本を襲い,餓死者数は100万人におよぶとも言われている.「天明の飢饉」を引き起こした寒冷気候の原因として,かつては浅間火山の噴火が疑われたこともあるが,浅間火山の噴出物中にとくに硫黄酸化物が多かった証拠は認められていない.ラカギガル火山列の噴火による火山ガスがもたらした北半球全体の寒冷化として考える方が理にかなう.

 

 グリムスヴェトンGrimsvotnとカトラKatla―氷河の下の魔法使い(2010年5月追記:エイヤフィヤトラヨクトル火山について)

 前述のラカギガル火山列を見に行った方は,雄大なヴァトナヨクトル氷冠やミルダルスヨクトル氷冠の一部もきっと見ていることだろう.直接目にすることはできないが,それらの氷冠下にひそむ活発な火山の話をしておこう.
 ラカギガル火山列に行った帰りに,さらに1号線を40kmほど東に走ろう.道路の左手に広大な氷原が見えてくる.ヴァトナヨクトル氷冠の一部が南の海岸平野に達した部分である.この氷原の前面に広がる海岸平野は,人家や耕地がまったくない一面の砂レキにおおわれた不毛の土地であり,スケイダラオルサンドゥルSkeidararsandurと呼ばれる.ここは,氷河バーストと呼ばれる大規模な土石流の常襲地帯であるため,生産活動が不可能な土地なのである.
 氷河バーストは,そこから50kmほど北のヴァトナヨクトル氷冠下にあるグリムスヴェトン火山が引き起こす.この火山はカルデラをもち,そのカルデラ内には氷河におおわれた湖が存在する.この湖は,カルデラ底の活発な地熱活動によって氷河の一部が常時融解して生じている.地熱活動の高まりや噴火によってこの湖の水位が上がり,その一部が氷河下の水路をつうじて海岸平野にあふれ出すのが氷河バーストである.グリムスヴェトン火山は,10世紀以来36回の噴火記録をもつアイスランドで最も噴火頻度の高い火山であり,ここ400年間の平均的な噴火間隔は10〜20年である.1996年秋に起きた噴火の際,まさにこの場所を氷河バーストが襲い,道路が被害を被った.
 1号線をレイキャヴィク方面に戻ろう.ラカギガル火山列から流出したスカフタオ川下流の溶岩上を通り過ぎると,右手にもうひとつの大きな氷原が見えてくる.ミルダルスヨクトル氷冠の一部が東側の海岸平野に達した部分である.この氷原の前面も,先ほどのスケイダラオルサンドゥルと同様の不毛地帯となっており,ミルダルスサンドゥルMyrdalssandurと呼ばれる.ここから北西30kmのミルダルスヨクトル氷冠下にカトラ火山と呼ばれるカルデラ火山が隠れている.アイスランドの伝説によれば,「カトラ」はクレバスの奥深く隠れている魔女の名前である.カトラ火山も数多くの噴火記録をもち,平均的な噴火間隔は47年という.この火山もたびたび氷河バーストを起こし,ミルダルスサンドゥルに大規模な土石流を押し流してきた.1918年に起きた最新の噴火から,すでに80年が過ぎようとしており,次の噴火が心配されている.
 1号線をさらに西に進むと, ミルダルスヨクトル氷冠の西隣にさらにもうひとつ小さな氷冠が見えてくる.エイヤフィヤトラヨクトルEyjafjallayokull氷冠である.この氷冠の下にあるのが,エイヤフィヤトラヨクトル火山である.これまであまり注目を浴びていなかった火山であるが,2010年3月20日から突然噴火を開始し、今も引き続いている.最初の噴火は東斜面での割れ目噴火として生じ,氷河でおおわれていない場所だったために,おだやかな溶岩流出が続いた.しかし,4月14日に厚い氷河におおわれた山頂カルデラ内で新たな噴火が始まり,融けた大量の水と反応して激しい水蒸気マグマ噴火となった.この噴煙は当初は高度1万メートルに達し,南東に流されてヨーロッパ大陸の上空を漂ったため,欧州のほぼ全域の空港が数日間にわたって閉鎖される異常事態となった.火山灰の吸入によるエンジントラブルが心配されたからである.その後は氷河の融解が進んだため,やや穏やかな噴火に移行し,航空路線も再開されている.エイヤフィヤトラヨクトル火山のはっきりした歴史噴火記録は1612年と1821-23年の2度しか知られていないが,この両噴火の直後に隣のカトラ火山でも噴火が起きた点が注目されている.

  コラム:恐ろしい氷河バースト
 平時には雄大で美しいアイスランドの氷河も,突発的な大災害を引き起こすポテンシャルを秘めている.そのもっとも顕著な例が,氷河バースト(glacier burst,アイスランド語でヨークルフレイプjokulhlaup)である.氷河バーストの原因には,火山噴火と地熱活動の2種類がある.いずれの場合も,温められた氷河底に融水塊ができることから始まる.氷河は水よりも軽いので,上昇した水圧と氷河自体の浮力とがあいまって融水塊上の氷河は徐々に持ち上げられ,岩盤から引き剥がされる.その剥離面に融水が侵入し,地形上の低所から外へとあふれ始める.いったん水があふれ始めると,今度は水と岩盤間または水と氷河間で発生する摩擦熱によって融水の通路が確保されてしまい,あふれ出しはなかなかおさまらなくなる.このように,被圧された融水が氷河下の通路を通って一気に氷河外へあふれ出す現象が,氷河バーストである.
 氷河バーストによる湧水量はすさまじく,大規模なものは5km3にもおよび,単位時間あたりの湧水量は毎秒30万m3に達するものもあるという.しかも,氷河バーストは,大量の岩塊・氷塊・土砂と水とが一体となった破壊的な流れであり,ひとたび発生すればその下流にある村や耕地や道路はすべて失われることになる.グリムスヴェトン火山の北西側で起きた割れ目噴火にともなって1996年11月5日に発生した大規模な氷河バーストは記憶に新しい.また,2010年4月14日からエイヤフィヤトラヨクトル火山のカルデラ内で起きた噴火でも大規模な氷河バーストが起き、幹線道路が寸断されている。
 氷河バーストの流路は氷河下の地形(音波探査によって調査できる)によってだいたい決まっており,過去の氷河バースト堆積物の分布もその流路の下流に限定されている.アイスランドの人々は,氷河バーストを予知し警報するシステムを組み上げており,警戒すべき状況になった時には予想流路上の交通が遮断される.

ヴァトナヨクトル氷冠から流れ出している氷河の末端

 

 ヘイマエイHeimaeyとスルセイSurtsey―火山との戦い

 ミルダルスヨクトル氷河の横を過ぎ,アイスランド最南端の町ヴィークVikを通って,さらに1号線をレイキャヴィク方面に50kmほど走ると,左手の洋上に小さな島影が見えてくる.アイスランド南岸から12kmの沖にあるヘイマエイ島である.ヘイマエイ島と,そのまわりにあるいくつかの小さな島を総称してヴェストマンナエイヤルVestmannaeyjar諸島と呼ぶ.ヴェストマンナエイヤル諸島は,すべて過去1万年間に誕生した若い火山島と考えられており,何十万羽もの海鳥が営巣する自然の楽園としても知られている.
 ヘイマエイ島は,ヴェストマンナエイヤル諸島最大の島(東西4.5km,南北6.5km)であり,ただひとつ人が住んでいる島でもある.ヘイマエイ島の現在の人口はおよそ5000人,島の北端の入江にアイスランド一の水揚げ量を誇る漁港がある.この風光明媚で平和な島が,最近2回の火山噴火の恐怖にさらされた.その話をしておこう.
 1回めの事件は1963年から始まった.1963年11月14日の朝,ヘイマエイ島の住人たちは,南西の海上に突如噴煙がたちのぼるのを目撃した.そこはヘイマエイ島からたった20kmしか離れていない場所であり,噴火の激しさが増したり噴火にともなう津波が起きたりすれば,ヘイマエイ島にまで被害がおよぶことは誰の目にも明らかだった.しかし,幸いなことに噴火は破壊的なものとはならなかった.最終的に,噴火は3つの火山島とひとつの海底火山を誕生させ,3年あまりの後に終了した.このうちの最大の火山島スルスェイは現在も洋上に形をとどめている.
 2回めの事件はその10年後に起き,そしてもっとずっと深刻だった.噴火はヘイマエイ島そのものの上で生じたのである.ヘイマエイ島自体はいくつかの古い火山体からできているが,とくに活動的な火山があるわけではなかった.島の中央にある平坦面はおよそ5000年前の噴火で流出した溶岩流からできており,それが島でもっとも新しい噴火の証拠だった.噴火は5000年ぶりに,まったく予期せずに生じたのである.
 1973年1月21日の夜から島に群発地震が起き始め,徐々に激しさを増した.誰もがただならぬ気配を感じ始めた23日の未明,島の東端近くの陸上に割れ目が開き,噴火が始まった.その時,島には5300人の住民がいた.町の東端から割れ目火口までたった300〜400mしか離れていなかったにもかかわらず人々は整然と本島への避難を開始し,噴火開始から5時間ほどで保安要員150名を除く全員の避難を完了した.
 どこかの国の硬直化した官僚システムとはおおいに違っていて驚かされるのは,避難完了後からの迅速かつ柔軟な判断と行動であった.夜が明けて火口の位置や噴火の様相が明らかになると同時に,すぐさま島に残された公共および個人財産を保全する努力が始まった.家畜,800台におよぶ自動車,港の倉庫で冷凍されていた大量の魚は,すぐさま本島への海上輸送が始められた.噴火開始の翌日の1月24日には,避難した住民たちに帰島して個人財産を運び出す許可が与えられた.また,2月7日にアイスランド議会は,噴火による損害の埋め合わせと復興のために全国民に対する税率の増加を決定し,それと同時に政府は国庫金の放出を決めた.
 しかし,ひと息つく暇もなく,漁業で生きる島の人々にとっての本当の危機が訪れた.火口から流出した溶岩流がゆっくりと海を埋め立て始め,2月初めには港のある入江の入口を塞ぎ始めたのである.これを見かねた住民の有志たちが集まり,毎時20トンの海水を溶岩流の先端に放水した結果,冷却された溶岩流は前進するスピードをやや弱めたように見えた.これを見た専門家たちもついに決断し,大量のポンプを導入して毎時1万2000トンもの放水を船上からおこなった.そして,ついに溶岩流は流れを止め,港の入口の水路は守られた.
 噴火は5ヶ月後の1973年6月末になって完全に終了した.多くの家屋が溶岩流に埋め尽くされ,残った家屋も火山灰に埋まってしまっていたが,戻ってきた住民たちの努力の結果,町と港はもとの賑いを取り戻し現在に至っている.

  コラム:ヘイマエイ・スルセイ火山の噴火
 ヘイマエイ島とスルセイ島は,アイスランド南岸沖にあるヴェストマンナエイヤル諸島の中の最も大きい2つの島である.ヴェストマンナエイヤル諸島は,氷河時代以降の1万年間に誕生した若い火山島群とされており,海面下にある火山も含めるとおよそ80もの小火山の集合である.これより南方に火山の存在は知られていないため,東火山帯の最南端に位置する火山群と考えられている.しかしながら,1963年より前には,わずかに1637年と1896年の不確実な海底噴火の記録が知られているのみだった.だから,1963-67年のスルセイ島,1973年のヘイマエイ島と立て続けに起きた噴火は人々をたいへん驚かせた.
 1963年11月14日,ヘイマエイ島の南西20kmの水深130mの海面上で突然噴煙が目撃された.噴火は海底にできた長さ500mの噴火割れ目から起こり,当初は激しい水蒸気マグマ噴火を繰り返し,翌日夜に新島スルセイが誕生した.それ以後,噴火は消長を繰り返し,3年かけて北東-南西方向の長さ5kmの噴火割れ目上にならぶ3つの火山島(シルトリンクルSyrtlingur,スルセイ,ヨウルニルJolnir)と海底火山スルトラSurtlaを誕生させた.スルセイ島以外の2島は,その後の波による浸食で失われ,島のあった場所は現在水深30〜50mの浅瀬となっている.また,スルトラは島にまで成長する前に噴火が終了した.最大のスルセイ島では水蒸気マグマ噴火の終了後,島の陸上におだやかに溶岩流を流す噴火が1967年まで継続した.噴火後,スルセイ島の面積は当初の半分程度まで浸食されたが,現在も東西1.4km南北1.8km,最大標高154mの立派な島として残っている.
 1973年1月23日,ヘイマエイ島の東端近くの陸上で突然割れ目噴火が始まり,長さ1.8kmの北北東-南南西方向の割れ目火口が開いた.割れ目噴火はやがてその中央付近にマグマを集中させるようになり,そこに5ヶ月かけて高さ220mのスコリア丘エルドフェトルEldfellを誕生させた後,同年6月末に終了した.火山灰と流出した溶岩流によって400もの家屋が埋没・破壊され,北に進んだ溶岩流はアイスランド最大の漁港の入口を埋め尽くそうとした.このため,溶岩流の勢いを食い止めるために,溶岩流の先端に大量の海水を浴びせて冷却させる作戦が実行され,功を奏した.噴火後,町と港は見事に復興されて現在に至っている.

 

 ミヴァトンMyvatn湖とクラーフラKrafla―美しいアイスランド北部の火山と自然
 
 ミヴァトン湖は,レイキャヴィクの北東280km,アイスランドの北岸から50kmほどの内陸(標高277m)に位置する,アイスランドで3番目に大きな湖である.周囲にわずかな人家・観光施設と地熱発電所があるだけで,自然そのままの姿をよく保存している.夏には数々の花が咲き乱れ,何万羽もの渡り鳥の楽園となる.また,冬には,厚い雪と氷の下に完全に閉ざされる.
 ミヴァトン湖は,北東アイスランド地溝帯という,地殻変動と火山活動の集中帯に位置している.静寂の中で時が止まったような美しさを見せるミヴァトン湖も,長い目で見れば激しい大地の動きの波にさらされているのである.ミヴァトン湖それ自体が,地殻変動でできた凹地に水がたまったものである.また,2400年ほど前には湖の南岸に,18世紀には湖の北岸に,それぞれ赤熱の溶岩流が流れ込み,湖の水は熱湯のように煮えたぎった.1975年からの9年間には,湖の北東にあるクラーフラ山付近で割れ目噴火が断続的に生じ,真赤な溶岩噴泉が湖の上空を赤く染め上げた.

ミヴァトン湖

ミヴァトン湖周辺の略図

  アクレイリからミヴァトン湖へ
 レイキャヴィクからアクレイリ空港までの定期便を使う方のために,アクレイリ付近からミヴァトン湖までのみどころを紹介する.
 アクレイリAkureyriは,アイスランド北部にある最大の町(人口1万5000)であり,アイスランドの「北の都」とも呼ばれる経済・文化の中心地である.島の北岸から南に向けて深く湾入したフィヨルドの最奥部に位置している.
 アクレイリ空港に近づいたら,窓の外の景色に注意するとよい.飛行機は,氷河の浸食によってできた1000mを越える断崖に囲まれた谷間を飛ぶ.この断崖には,何層にもわたる累々とした溶岩流の積み重なりが見えている.アクレイリからミヴァトン湖に向かう1号線ぞいにも,同じような溶岩の累層からなる断崖が見える.アイスランドの大地のすべてが,火山の壮大な産物であることを実感するひとときである.
 アクレイリから1号線を50kmほど走って狭い谷間を抜けると,スキャオルヴァンダオブリョウトSkjalfandafljotという大河が流れる幅の広い谷に出る.この川に橋がかかっており,橋のすぐ上流にゴダフォスGodafoss(神々の滝)と呼ばれる名瀑がある.この滝を作っている溶岩流は,およそ7000年前にヴァトナヨクトル氷冠北側にある楯状火山トレトラディンヤTrolladyngjaから流出し,川ぞいをはるばる100kmも流れ下ってきたものである.
 ゴダフォス滝からさらに1号線を35kmほど走ると,ミヴァトン湖南岸にあるスクトゥスタディルに到着する.

  スクトゥスタディル―クレーターの首飾り
 スクトゥスタディルSkutustadirには,教会,ガソリンスタンド,売店,ゲストハウス,キャンプ場などがあり,ミヴァトン湖の姿を一望できる.また,湖岸に見事な偽クレーター群があり,20以上のクレーター同士がつながり合ってリング状の半島を作っているものもある.これらの偽クレーターは,2400年ほど前にミヴァトン湖の南岸に流れ込んだ溶岩流が,水と触れ合って二次爆発を起こした跡である.クレーターの間をめぐる遊歩道が作られている.

  カオルヴァストレンド―溶岩のラビリンス
 スクトゥスタディルからミヴァトン湖ぞいに1号線を6km進んだ場所であり,ミヴァトン湖の南東岸にあたる.カオルヴァストレンドKalfastrond周辺の湖岸のあちこちには,赤茶けた溶岩塊からなるキノコ型をした奇岩(高さ数m)がそびえている.溶岩マウンドlava moundである.ここにはかつて溶岩流が停滞して溶岩湖が作られた.溶岩湖の中には,溶岩湖の下位の地層中に閉じ込められた水が蒸気として抜けるための「煙突」がたくさん作られた.やがて溶岩湖にたまっていた未固結の溶岩はさらに遠方へと流出してしまい,すでに固結していた「煙突」だけがその場所にとり残され,溶岩マウンドとなった.
 同じような溶岩湖の跡が内陸にもある.1号線をさらに3km北上し,右折してラフロードを1km進むとディンムボルイルDimmuborgirというところに着く.深さ数mで,500mほどの広がりをもつ凹地が公園化されている.凹地は溶岩湖の跡であり,その中には数々の溶岩マウンドが建ち並び,まるで迷宮のようになっている.

  クヴェルフェトル―大火口
 カオルヴァストレンドからミヴァトン湖東岸ぞいに1号線を4.5km北上し,右折してラフロードを1km進むと,リング状をした小火山クヴェルフェトルHverfellの麓に着く.クヴェルフェトルは,およそ2700年前の水蒸気マグマ噴火によってできたタフリングである.60mほど登れば火口の縁に着く.火口の直径は1km,深さは100mほどである.火口縁からミヴァトン湖の全景を見下ろすことができる.

クヴェルフェトル山

  グリョウタギャオ―熱い地溝
 カオルヴァストレンドからミヴァトン湖東岸ぞいに1号線を8km北上すると,観光基地レイキャフリドReykjahlidに着く.教会やホテルがあり,軽飛行機が発着する簡易滑走路も近くにある.ホテルのレストランで食べる魚料理がこのうえなく美味しい.
 ここで1号線はミヴァトン湖から離れて東に向かう.1号線を2km東進したところで右折し,ラフロード860号線を1.5km進むとグリョウタギャオGrjotagjaのわきに着く.グリョウタギャオは,シンクヴェトリルの項で紹介したものと同じ,正断層にともなう地殻の割れ目のひとつである.おもしろいことに,このグリョウタギャオの中には地熱によって温められた温水がたまっている.かつては入浴に適した温度であったが,現在は50度を越えてしまい,入浴は禁止されている.

  クヴェラレンド―泥火山
 1号線に戻ってさらに4km東進し,峠を越えたところを右折するとクヴェラレンドHverarond地熱地帯に着く.平原中の500mほどの広がりをもった土地が硫黄をふくむ黄色や白色の粘土におおわれ,あちこちで熱泥や噴気が吹き出している.中にはかなり激しく沸騰している泥の池もある.噴き出した泥が穴のまわりに降り積もり,高さ数十cmの「泥火山」を形成しているものもある.遊歩道が作られてはいるが,散策する時は毒ガスをふくむ噴気や高熱の噴泥に十分注意しよう.

  ヴィティ―美しい地獄
 1号線に戻って500m東進し,左折して10kmほど北上する.道ぞいには大規模な地熱発電所が作られ,もうもうと白煙を上げている.道路の終点がヴィティViti火口のわきである.ヴィティ(アイスランド語で「地獄」)は美しい緑色の湖水をたたえた直径300mのマールであり,18世紀の噴火によって作られた.火口湖のわきに小さな地熱地帯ができている.ヴィティ火口とその周辺は,割れ目噴火をひんぱんに起こす火山(クラーフラKrafla火山)の中心部にあたる.火口縁から北西方向を眺めると,褐色の平原の中に凹凸をもつ黒々とした帯があるのがわかる.1975年から1984年までに起きた9回の噴火によって作られた割れ目火口と,そこから流出した溶岩流である.

クラーフラカルデラ内にあるヴィティマール

   コラム:ミヴァトン湖周辺の火山噴火史
 ミヴァトン湖は,北東アイスランド地溝帯の西縁付近に位置する.この付近の地溝の伸びる方向は,アイスランド南部とはやや異なり,ほぼ南北である.ミヴァトン湖の北東15kmにある10×7kmの楕円形をした凹地はカルデラ(クラーフラカルデラ)であり,このカルデラを中心としたひとつの火山システム(クラーフラ火山)が存在すると考えられている.
 ミヴァトン湖周辺では,南北方向に伸びる割れ目噴火が生じ,それにともなって地殻が東西に拡大する事件がたびたび起きている.氷河時代の後に起きたそのような事件は,1万1000年〜7500年前(ルデントLudent期)と,2800年前から現在まで(クヴェルフヤトルHverfjall期)の2時期に集中している.
 このうちの後者は,活動休止期にはさまれた5回の事件(2800〜2600年前ころ,2500〜2300年前ころ,西暦900年前後,1724-29年,1975-84年)からなる.ミヴァトン湖の東2kmにある大きなタフリング,クヴェルフェトルHverfellは,このうちの最古の事件で作られた.次の事件では,大量の溶岩流がミヴァトン湖の南岸に流れ込み,ミヴァトン湖がほぼ現在の形になった.「ミヴァトンの火」と呼ばれる1724-29年の事件では,クラーフラカルデラ内にできた噴火割れ目から流出した溶岩流がミヴァトン湖の北岸に達した.以上の一連の事件の推移は,ヘクラ火山の噴火によってこの地域に降り積もった3枚の軽石層を鍵層とした研究によって明らかになった.
 1975年から始まった最新の事件は,多くの火山学者が観測網を展開した中で生じたため,地下のマグマの挙動にかんする知識がおおいに深められた.1975年9月からクラーフラカルデラ周辺で群発地震が起き始め,12月後半にかなり激しくなった.そして,12月20日に最初の小噴火が生じた.以後,1977年に2回,1980年に3回,1981年に2回,1984年に1回の合計9回,おだやかな割れ目噴火事件が間欠的に生じ,溶岩流を流出した.また,これら噴火事件以外に,地表にマグマを噴出しない貫入事件が少なくとも12回生じたことが,種々の観測によって明らかになっている.1977年9月に起きた貫入事件では,地下を移動してきたマグマがたまたま近くにあった地熱発電所の掘削孔に出合ったため,マグマ片の一部が掘削孔を登って地表に達し,発電所のパイプを壊すという興味深いできごとが生じた.
 以上の一連の事件にともなって,北東アイスランドの地殻は東西に10mほど拡大し,結果としてヨーロッパと北アメリカ間の距離がすこしだけ遠くなった.

クラーフラカルデラ内の地熱発電所とその温排水を溜めている池


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