第4章 フランス

 フランスに火山があることを,いったいどれだけの日本人が知っているだろうか?たしかに,フランスには火山噴火にかんする文書記録は知られていない.しかし,フランス中央山塊にはおびただしい数の火山が存在し,そして将来の噴火の可能性すら秘めているのである.ここを旅する人間は,美しい風景や文化の中にみごとに溶け込んだ火山の景観を発見することだろう.

 シェヌ・デ・ピュイ★★★―自然がつくった火山の博物館
  クレルモン・フェラン☆☆―火山の国オーヴェルニュの最大都市
  ピュイ・ド・ロンテジー☆☆☆―公園化された火山体の内部
    コラム:独特な火山文化をもつ国フランス
  ピュイ・ド・ドーム☆☆☆―火山群最高峰の溶岩ドーム
  楽しい火山群ハイキング☆
  パヴァン湖へのドライブ☆☆
   コラム:フランスの火山噴火史とシェヌ・デ・ピュイ火山群
 モンドール★★―眠りについたカルデラ火山
  テュイリエール・サナドワール☆―そびえたつ2つの岩頸
  ピュイ・ド・サンシー☆☆☆―頂上からの絶景と岩脈
   コラム:モンドール火山の噴火史
 ヴレイ★★―中央山塊南部の火山の里
  ル・ピュイ☆☆―エキゾティックなヴレイ地方最大都市
  ロシェ・コルネイユ☆☆☆―ヴレイ地方のパノラマ
  サン・ミシェル・デギュイユ☆☆☆―礼拝堂の立つ奇峰
  ポリニャック☆☆―難攻不落の城
  イサルレ湖☆―メザンク山麓の美しいマール
  ジェルビエ・ド・ジョン☆☆―メザンク山塊の奇岩
   コラム:ヴレイ地方の火山群

シェヌ・デ・ピュイChaine des Puys―自然がつくった火山の博物館
 フランス本土には,アルプスやピレネー山脈の一部をのぞけば,高い山がないと思っておられる方が多いだろうが,そうではない.パリ盆地と地中海にはさまれる形で,広大なフランス中央山塊Massif centralが存在し,2000m近い高山がひしめいている.ただし,山塊の大部分は,険しい山と言うよりはなだらかな高原によって占められ,広々とした牧草地や森が広がっている.また,数多くの谷間や盆地があり,それらの間をぬうようにいくつかの大河がゆうゆうと流れている.
 このフランス中央山塊に数多くの火山が存在する,と言っても大部分はすでに活動を終えた古い火山であり,豊かな緑におおわれ,その懐には町や村が作られている.これらの火山のつくる起伏が地形にいっそうの彩りをあたえ,おとずれる者の目を楽しませてくれる.
 フランス第2の都市リヨンから高速道路A72号線を西に飛ばすと,道はやがて1000m級の山岳地帯の中を通る.フランス中央山塊である.しばらくすると,前方の視界が突然開け,道は広大な平野の中へと一直線に下っていく.中央山塊中にある最大の平坦地であるリマーニュLimagne盆地である.盆地をさらに西に走ると,やがて大きな町が見え始める.この地方の中心都市クレルモン・フェランClermont-Ferrandである.高速道路A72号線はここで終点となる.その終点の料金所付近からクレルモン・フェランを眺めると,街の背景に南北にのびる台地が見える.さらに目をこらすと,台地の上にはいくつかの半円形,台形,あるいはつり鐘状の小山のつらなりを見ることができる.シェヌ・デ・ピュイChaine des Puys火山群である.ひときわ高くそびえ,頂上に大きなテレビ塔が立っているのが,火山群最高峰の溶岩ドーム,ピュイ・ド・ドームPuy de Domeである.
 シェヌ・デ・ピュイ火山群のさまざまな形は,基本的には噴出したマグマの粘り気や爆発力の違いによるものであり,作られる途中で一度崩れたり,古い火山の上にふたたび新しい火山が重なってできたものもある.実にさまざまな形の火山があり,まるで火山の展覧会を見ているようである.また,火口に水がたまってできた湖,溶岩流が川を堰き止めてできた湖など,火山の作用によって多くの湖が生まれている.
 大西洋から吹いてくる湿った風は,シェヌ・デ・ピュイ火山群のつくる壁にはばまれ,そこに多量の雨を降らせる.火山群のある高地の年間平均降水量は1000mmをこえる.この多量の水は,透水性の高い火山噴出物の中に染みこみ,地下水となってふたたび麓に湧き出す.火山群全体での湧水量は毎秒3300リットルという.これゆえシェヌ・デ・ピュイ火山群は,ヨーロッパ有数の名水の産地として知られている.この名水は,私たちの身近にも届けられている.日本でよく見かけるミネラルウォーターVolvicのラベルをよく見ると,そこにはシェヌ・デ・ピュイ火山群とピュイ・ド・ドームが描かれている.

シェヌ・デ・ピュイ火山群(左).ミネラルウォーター・ボルビックのラベルに描かれたシェヌ・デ・ピュイ火山群(右)


  クレルモン・フェラン―火山の国オーヴェルニュの最大都市
 オーヴェルニュ州は,「火山の国」としてその名をフランス中に広く知られている.中央山塊はその美しい自然から国立公園に指定されているが,その名も「オーヴェルニュ火山公園Parc des Volcans d'Auvergne」という.
 クレルモン・フェランは,中央山塊北部にあるリマーニュ盆地の西縁に位置する人口13万6千人の都会であり,オーヴェルニュ州の政治・経済・文化の中心である.クレルモン・フェランの歴史は古く,ここで11世紀末に開かれたクレルモン公会議によって第1回十字軍の派遣が決定した.また,圧力の単位パスカル(Pa)として名を残す17世紀の天才数学者・物理学者・文学者ブレーズ・パスカルは,この町で生まれた.19世紀にこの町に小さな工場を開いたミシュラン兄弟は,現在の世界有数のタイヤメーカー,ミシュランタイヤ社の創立者となった.
 クレルモン・フェランは,この地方の多くの町と同様,赤煉瓦の屋根を特徴とする美しい街並みをもつ.町の中心部には2つの尖塔をもつ黒々とした巨大なゴシック様式のカテドラル(13世紀)があり,よい目標物となっている.この黒々とした色は,シェヌ・デ・ピュイ火山群の溶岩流から切り出された石材がもつ色である.
 繁華街からやや外れた町の南部,ジェルゴヴィア通りBoulevard Gergoviaとリベラシオン通りAvenue de la Liberationの交差点付近に観光インフォメーションといくつかのホテルがあるので,まずここに行くとよいだろう.近くにパーキングもある.ジェルゴヴィア通り80番地の大書店リブラリー・デ・ヴォルカンLibrarie des Volcansでは,シェヌ・デ・ピュイ火山群や他の火山にかんする多種多様の美しい一般向け解説書が入手できる.火山学・地質学の専門書や地形図もある.
 時間に余裕のある方は,ぜひ町の中心部を散策するといい.フランスの地方都市のもつ一種独特のエキゾティックさに満ちている.サンジュネ通りRue Saint-Genesにある地図専門店ラ・カルトグラフィーLa Cartographieでは,各縮尺の地形図のほかシェヌ・デ・ピュイ火山群の地質図や地質解説書(英語版あり)も手に入る.前述したカテドラル(ノートル・ダム・ド・ラソンプシオン大聖堂Cathedrale N.-D.-de-l'Assomption)の展望台に登れば,町とその背後にあるシェヌ・デ・ピュイ火山群の素晴らしいパノラマを眺めることができる.

ピュイ・ド・ドーム山頂から見下ろすクレルモン・フェラン市街

 

フランスの略図


  ピュイ・ド・ロンテジー―公園化された火山体の内部
 何があっても,まずここに行こう.クレルモン・フェランからD941B号線を15分ほど西進した道ぞいにあるピュイ・ド・ロンテジーPuy de Lemptegyは,3万年ほど前に噴火したスコリア丘である.切り崩されて採石場となっていたが,みごとな火山体の内部構造が観察できるため,現在は「火山のオープンエアーミュージアムVolcan a Ciel Ouvert」として整備され公園化されている.1994年から営業を始め,1996年には7万人の観光客が訪れたという.採石場跡を火山観光の資源としてこれほど積極的に利用する試みは,火山国日本でも聞いたことがない.火山に対するフランス人の意識の高さを象徴するよい例である.
 公園内ではスコリア丘断面のほか,6万年ほど前の古い火山体の一部や,8500年前に近くで噴火したピュイ・ショピヌPuy Chopine溶岩ドーム起源の火砕流堆積物などが観察できる.美しく成層した火山砂レキ,さまざまな形の火山弾,マグマを供給した岩脈,古い火山体と新しい火山体の間にある噴火休止期の風成層など,見学項目に事欠かない.カラー写真とイラストのついた説明板が公園のあちこちに立てられており,訪問客の理解を助けている.入口の公園事務所で資料や絵はがきが売られており,地元や世界の火山にかんする展示やビデオも観ることができる.

ピュイ・ド・ロンテジー火山公園の看板(左)とその内部(右)

ピュイ・ド・ロンテジー火山公園のあちこちに配置された説明看板

 

ピュイ・ド・ロンテジー火山公園の遊歩道に配置された火山弾


 コラム:独特な火山文化をもつ国フランス
 ある程度の期間フランスに滞在すると,フランス社会には独特の「火山文化」とでも呼びたくなるものが存在していることに気づく.たとえば,豊富な火山の解説書・啓蒙書が地方の小さな書店にもよく売られている.写真集やカレンダーや児童向けの本にも火山を題材にしたものが多い.TVドキュメンタリーでも,火山をテーマにしたものがたびたび放映されている.地球科学全般に対する関心がとくに高いというわけでもないから,火山だけが際だって人々の関心を惹いているように見える.
 友人の若いフランス人研究者たちに尋ねてみた.彼らもまったく同じことを感じていると言う.アイスランドに行ったら,フランス人旅行者が多くて驚いたという.たしかに筆者自身も,イタリアのストロンボリ火山山頂で噴火見物しながらご来光を待っているフランス人の家族連れに会ってびっくりした.さらに友人たちに尋ねてみた.
「バードウォッチングと比べてどうか」
「バードウォッチングほどではないが,それに準ずる人気があると思う.地学分野では,恐竜と火山がもっとも一般人に人気のあるテーマの双璧だ.」
「なぜ,火山がそれほど関心を呼んでいるのか」
「おそらくタジエフや,クラフト夫妻の働きが大きいと思う.彼ら以外にも火山学の知識の啓蒙・普及に真剣に取り組んでいる学者たちがいる」
 モーリス・クラフトMaurice Krafft,カティア・クラフトKattia Krafft夫妻は日本でも有名なフランス人火山研究者・写真家である.数多くの火山の写真集と解説書を残したが,1991年6月3日の雲仙普賢岳の火砕流で帰らぬ人となった.フランス人火山学者アルーン・タジエフHaroun Tazieffは,これまで数多くの火山解説書やビデオ番組を作り,精力的に火山学の啓蒙につとめている人である.最近も「Le Feu de la Terre」(大地の炎)という世界の火山解説番組(52分×6回)を作り,それをフランス国営放送とスイス4チャンネルが毎週放映した.
 日本は火山国と言われるが,火山に対する正確な知識を身につけようとする人は少なく,火山をむやみに恐れたり忌み嫌ったりする傾向があるのは残念なことである.フランスは,その本土にこそ活動的な火山をもたないが,現・旧植民地において日本以上に悲惨な噴火災害を体験した国である(たとえば,カリブ海に浮かぶフランス領マルティニーク島において,1902年に2万8000人もの人々が火砕流によって焼け死んだ).フランス人の火山に対する意識の高さや姿勢に,日本人が学ぶべきものは多い.


  ピュイ・ド・ドーム―火山群最高峰の溶岩ドーム
 ピュイ・ド・ドームは,シェヌ・デ・ピュイ火山群の最高峰(1464m)であり,およそ1万1000年前に噴火した溶岩ドームである.高原上に噴出したので,ドームそのものの高さは450mであり,ドームの底径は2kmである.クレルモン・フェラン市街の西方にそびえるこの山に,天気のよい日を選んで登ろう.舗装された登山道路があり,頂上には広い駐車場のほかレストランや喫茶店・売店がある.また,ローマ時代の神殿跡も見学できる.古代のガリア人やローマ人にとって,ピュイ・ド・ドームは「聖なる山」であったらしい.頂上では夏でも防風・防寒に気を使ったほうがよい.
 山頂からの眺めは素晴らしい.シェヌ・デ・ピュイ火山群はほぼ南北につらなっており,ピュイ・ド・ドームは火山群の中ほどにあるため,北に火山群の北部,南に火山群の南部の眺望が楽しめる.南南西方向に,後述のモンドール火山のなだらかな山容も見える.また,東にはリマーニュ盆地の西縁を境する南北方向の断層崖の連なりと,その背後にあるクレルモン・フェラン市街を見下ろすことができる.
 ピュイ・ド・ドームを麓から注意深く眺めると,山体の形が東側と西側で非対称になっていることに気づく.西側山体は山頂が平らで斜面が険しいが,東側山体は斜面がややなだらかで頂上が三角形をしている.一度つくられた溶岩ドームの東側が大崩壊する事件があり,その後崩壊跡を新たな溶岩ドームが埋めたためとされている.

ピュイ・ド・ドーム火山の全景


  楽しい火山群ハイキング
 シェヌ・デ・ピュイ火山群には数多くのハイキングコースが整備されている.時間に余裕のある方は,ぜひ火山群をめぐるハイキングも楽しんでいただきたい.地形図やハイキングガイド(ハイキングガイドにも火山の詳しい解説があることに注目してほしい)は,クレルモン・フェランの書店で購入できる.通常の2万5000分の1地形図を購入すれば,ハイキングコースも描かれている.
 お勧めは,ピュイ・ド・ドーム北側にあるいくつかのスコリア丘や溶岩ドームをめぐるコースである.クレルモン・フェランからD941B号線を前述のピュイ・ド・ロンテジー方向に西進し,ラ・フォンテーヌ・デュ・ベルジェLa Fontaine du Bergerという村を過ぎた所にあるパーキングに車を停めよう.
 ここからピュイ・ド・ドーム方向に歩けば,いくつかのスコリア丘と溶岩ドームの地形を間近に見たり,登山したりできる.山頂火口の美しいスコリア丘ピュイ・パリュPuy Pariouはすぐ近くだし,ちょっと足をのばせば小型の溶岩ドーム,ル・クリエズLe Clierzou(山腹に石器時代の住居とみられるいくつかの洞窟がある)や,火口が二重になっている大型のスコリア丘ピュイ・ド・コームPuy de Comeにも登ることができる.  パヴァン湖へのドライブ
 フランス中央山塊でもっとも最近生じた噴火は,クレルモン・フェランの南南西35kmにあるパヴァン湖周辺で起き,美しい円形のマールであるパヴァン湖Lac Pavin,その南に隣接するピュイ・ド・モンシャルPuy de Montchalスコリア丘,その南南東のピュイ・ド・モンシネイルPuy de Montcineyreスコリア丘などが作られた.およそ6000年前のでき事である.
 これらの火山は,他のシェヌ・デ・ピュイ火山群の分布からやや南に隔たっているため,後述のモンドール火山の観光と兼ねるとよい.クレルモン・フェランからまっすぐ向かった場合は片道1時間あまりのドライブとなる.クレルモン・フェランを発ってN89号線を南西に進み,途中からいったんD213号線に入った後,すぐにD5号線に入って南下する.
 D5号線は,モンドール火山のなだらかな東山腹を横切るように作られているため,広大な畑や牧草地となった高原上を走る快適なドライブとなる.とくに,ミュロルMurolの町の北2kmほどの高台に車を停めれば,西にモンドール火山中心部の山なみが見え,そこから東に向かってゆるやかに裾を引いていく火山斜面上に自分が立っていることを実感できるだろう.斜面のあちこちをきざむ谷の崖の最上部には,柱状節理の入った溶岩流が観察できる.南を見下ろせば,ミュロルの町とその手前の高台にあるミュロル城の眺めが見事である.
 そこからミュロルの町へと下っていく道ぞいに大きな崖があり,成層した火山レキや火山砂が露出している.すぐ南側にあるスコリア丘ピュイ・ド・タルタルPuy de Tartaretの堆積物である.このスコリア丘は谷をふさいだ形でできたため,クーズ・ド・シャンボンCouze de Chambon川が堰き止められてシャンボン湖Lac Chambonが生じた.スコリア丘から流れ出た溶岩流は,クーズ・ド・シャンボン川ぞいを20km近くも流れ下っている.ミュロルの町はこの溶岩流の上に作られた.町の南側の溶岩流上には無数の小高い丘がある.これは溶岩流が湿地の上をおおったために,閉じ込められた水蒸気が二次爆発して作られた偽クレーターである(アイスランドのラカギガルおよびミヴァトン湖の項参照).およそ1万4000年前のでき事である.
 D5号線をさらに南下し,ベス・オン・ションデスBesse-en-Chandesseの町に至った後,D149号線を西に進むとパヴァン湖入口の看板があらわれる.パヴァン湖は森に囲まれた直径750mの円形のマール(標高1200m)であり,湖畔にはレストラン・売店・ホテルを兼ねた建物があり,湖一周やピュイ・ド・モンシャル登山のためのハイキングコースが整備されている.パヴァン湖を上から見下ろしたい方は,D149号線をさらに西に進んでシュペール・ベスSuper-Besseの町に至り,そこからロープウェイに乗ってモンドール火山主峰のひとつであるピュイ・ド・ラ・ペルドリクスPuy de la Perdrixに登ればよい.

パヴァン湖のほとりにある説明看板(左)と、ピュイ・ド・サンシー山頂から見たパヴァン湖(右)

 

シェヌ・デ・ピュイ火山群とモンドール火山付近の略図

 

南方上空から俯瞰したシェヌ・デ・ピュイ火山群とモンドール火山(3Dマップ作成:萩原佐知子)

 

コラム:フランスの火山噴火史とシェヌ・デ・ピュイ火山群
 中生代末から始まったアルプス造山運動にともない,周辺のヨーロッパ大陸内にライン地溝に代表されるいくつかの地溝が生じ,それにともなって火山活動が発生した.フランス中央山塊でもリマーニュ地溝をはじめとする地溝群が生じた後,おびただしい量のマグマが噴出し,カンタルCantal,モンドールなどの大型複成火山や,セザリエCezalier,ヴレイ・オリアンタルVelay Oriental,ドゥヴェDeves,オーブラックAubracなどの溶岩台地と独立単成火山群が作られた.これらの火山のいくつかは第四紀(およそ200万年前から現在までの期間)に入っても噴火を続け,シェヌ・デ・ピュイに代表される新たな独立単成火山群も作られた.複成火山の活動は25万年ほど前に終了したが,独立単成火山群の活動はそれ以降も続いている.
 独立単成火山群の噴火間隔は一般に長いため,現在のフランス中央山塊は緑におおわれた肥沃な土地となっており,おおぜいの人々がそこで生活を営んでいる.フランスの歴史は日本以上に長く,文書記録はローマ時代にまでさかのぼるが,中央山塊のどこかで噴火が起きたことを示す確かな歴史記録は見つかっていない.フランスに火山があること,その中には将来噴火する可能性を秘めたものもあることが学者によって認識されたのは,18世紀になってからのことである.
 シェヌ・デ・ピュイ火山群は,フランス中央山塊の北部,リマーニュ地溝の西縁付近に南北に分布する合計およそ100個のスコリア丘,マール,溶岩ドームの集合である.分布の広がりは南北60km東西20kmにおよぶが,とくにクレルモン・フェラン市街の西側台地上の南北25km東西5kmの範囲内に60あまりの火山が集中し,独特な景観を形づくっている.フランス中央山塊の火山群の中でもっとも新しい時代(10万年前以降)に噴火した火山群のひとつとして有名であり,6000年前のパヴァン湖火山列の噴火が最新の噴火とされるが,それより若い火山灰(給源不明)もあるらしい.歴史時代の噴火記録こそ見つかっていないが,火山群の寿命が絶えた証拠はなく,将来また噴火が起きて新しい火山が誕生したとしてもおかしくない.

 

モンドールMonts Dore―眠りについたカルデラ火山
 小さな火山体の集合であるシェヌ・デ・ピュイ火山群とは対照的な大型火山がすぐ隣りにある.モンドール火山である.シェヌ・デ・ピュイ火山群がおよそ10万年前に誕生した若い火山群であるのに対し,モンドール火山は400万年間にもおよぶ長い期間にわたって噴火を繰り返したことがわかっている.また,その噴火は大規模で爆発的なものが多く,火山周辺の広い範囲に住む生命を何度か根絶やしにした.大規模な軽石流を噴出した際には火山体の中心部が陥没し,少なくとも2度カルデラが形成した.この凶暴な火山も,25万年前になってその寿命をついに終えたように見える.数々の爆発的噴火によって複雑に変容した山体は,その後の氷河作用による浸食を受け,ずいぶんと優美なものに変えられた.
 氷河時代,モンドール火山の中心部はすっかり氷河におおわれ,一面の氷の世界となった.現在は牧草地や森林におおわれて,数々の美しい村々や温泉保養地をいだき,昔の荒々しい火山の面影を想像することさえ困難になっている.


  テュイリエール・サナドワール―そびえたつ2つの岩頸
 モンドール火山はクレルモン・フェランの南西にひろがる山岳地帯の中にあり,クレルモン・フェランから火山の中心部へは車で小一時間ほどの距離である.シェヌ・デ・ピュイ火山群に寄ってから行くなら,D941A号線,D216号線,D27号線の順に通ってオルシヴァル(Orcival)を経由して行くのがよい.道から見下ろすオルシヴァルの村と教会がたいへん美しい.またクレルモン・フェランからまっすぐ向かうなら,N89号線とD983号線を通るのがよい.天気のよい日を選べば,このルートからシェヌ・デ・ピュイ火山群の全景が遠望できる.
 どちらのルートをとっても,まずたどり着く最初の景勝地がテュイリエール・サナドワールである.道路わきの谷間に異様な形をした灰白色の2つの巨岩(高さ180m)がある.ロシュ・テュイリエールRoche Tuiliere(谷の反対側)とロシュ・サナドワールRoche Sanadoire(谷の道路側)である.まるで,谷間の入口を2匹の怪物が守っているように見える.両巨岩とも,フォノライトという岩石でできたおよそ200万年前の溶岩ドームの跡である.岩の表面をよく見ると,マグマが冷え固まる時にできた見事な柱状節理を観察することができる.
 道路が巨岩にもっとも近づいた場所にパーキングがあり,そこから歩いて両巨岩に登ることができる(ただし,足元がかなり危ういので慣れた人向き).また,さらに1kmほど南下した場所の道路わきに両巨岩を見下ろす展望台がある.

テュイリエール・サナドワール岩峰(上、下とも)


  ピュイ・ド・サンシー―頂上からの絶景と岩脈
 D983号線をさらに南下すると,上りだった道はやがて峠を越え,深くきざまれた峡谷を眼下にうねうねと下り始める.モンドール火山のかつてのカルデラの中に入ったのである.その後の浸食によってもはやカルデラの形ははっきりしないが,道路わきの大きな崖には,かつてのカルデラを満たした湖の堆積物(成層した砂やレキの層)や,その上をおおう軽石流堆積物などを見ることができる.
 道が下りきった所には,湯治場として名高いル・モンドールLe Mont-Doreの町がある.町を過ぎてさらに南下すると,U字形の谷間の終点が険しい山壁として立ちはだかる.モンドール火山の最高峰ピュイ・ド・サンシーPuy de Sancy(1885m)である.道路の終点にロープウェイの駅がある.
 ロープウェイに乗ると,約20分で山頂駅に着く.景色に注意していれば,山頂駅に着く手前の山腹に,いくつかの板状をした奇岩がつき出ているのが観察できる.かつて火山体内部を貫いたマグマが冷え固まってできた岩脈である.
 山頂駅からピュイ・ド・サンシー山頂までの高度差100mほどを徒歩で登る必要があるが,山頂まで木製の階段が組んであるので苦にならない.ベビーカーをかかえた親子連れや杖をついた老人たちも訪れている.ただし,夏でも防風と防寒に気を使ったほうがよい.山頂に登る途中の尾根付近にも,いくつかの見事な岩脈の露出が見られる.
 山頂からは素晴らしいパノラマが楽しめる.北側には浸食を受けたモンドール火山のカルデラ地形,はるか北北東にはピュイ・ド・ドームも見える.また,南側に目を移せば,なだらかに裾をひくモンドール火山の南斜面の地形,遠く南西にはカンタルCantal火山の山なみも認めることができる.
 時間に余裕があれば,山頂からさらに尾根ぞいのハイキングコースを南東に進むとよい.1.5kmほど歩いてピュイ・ド・ラ・ペルドリクスPuy de la Perdrix付近まで行けば南東側の視界が開け,シェヌ・デ・ピュイ火山群のところで述べたパヴァン湖を眼下に見下ろすことができる.

モンドール火山の最高峰ピュイ・ド・サンシー

 

ピュイ・ド・サンシーの尖峰のひとつひとつは、かつてのマグマの通り道である岩脈


コラム:モンドール火山の噴火史
 モンドール火山は,フランス中央山塊の北部,シェヌ・デ・ピュイ火山群の南南西にある複成火山であり,そのなだらかな山体は直径25kmほどの広がりをもつ.400万年ほど前から噴火を始め,300万年前には大量の軽石流を噴出し,現在の山体の西部にカルデラを形成した.このカルデラ内には,カルデラ湖が作られた.その後も160万年ほど前まで噴火を続け,いくつかの後カルデラ丘が作られた.
 しばしの噴火休止期間の後,100万年前から25万年前まで現在の山体の南部に噴火中心が移動して大円錐火山体が作られ,山頂に小型のカルデラが形成した.この火山体が浸食を受けたものが,現在の最高峰ピュイ・ド・サンシー山である.

 

ヴレイVelay―中央山塊南部の火山の里
 フランス中部を流れて大西洋にそそぐロワールLoire川は,その中〜下流に沿う数々の名城によって世界に名を知られているが,その源はフランス中央山塊に発している.このロワール川の源流域はオト・ロワールHaut-Loireあるいはヴレイ地方と呼ばれており,数多くの火山が分布する地方でもある.少なくとも500の火山の存在が確認されており,もっとも古い噴火は1400万年前で,50万年前以降にもいくつかの火山が誕生したらしい.それらの火山のほとんどは単成火山である小火山か,あるいは何枚もの溶岩が平たく積み重なってできた溶岩台地である.これらの火山のあるものは噴火当時の形をとどめ,またあるものは浸食の作用によって奇岩となり,訪れる者の目を楽しませている.

ヴレイ地方の略図

 

  ル・ピュイ―エキゾティックなヴレイ地方最大都市
 高台をうねるように走っていた道が坂を下り始める時,前方の視界が開け,美しいけれども異様な街が姿をあらわす.ヴレイ地方最大都市ル・ピュイLe Puyである.その異様さは,街中や街の周辺にいくつもそびえる奇怪な形の岩峰がかもし出している.しかも,よく見るとそれらの奇岩の上には教会の礼拝堂や巨大な聖母像などが建てられている.絶壁に囲まれた複数の奇岩が街中に立っている情景すら普通ではないのに,それらの頂点をわざわざ選んで巨大な建造物が建てられているさまには筆舌に尽くしがたいものがある.そして,これらの奇岩が,この場所でのかつての火山噴火の残したものと知れば,好奇心旺盛な観光客は,この地をただで通過するわけにはいかないだろう.
 ル・ピュイは人口2万2000,ヴレイ地方の商業・経済の中心であり,観光都市でもある.町の中心にはよく保存された旧市街があり,その背後に後述のロシェ・コルネイユの岩峰がそびえる.古い歴史のある町で,旧市街にあるノートルダム大聖堂はなんと5世紀を起源とする建造物である.小高い丘に作られた旧市街はおもに住宅街として利用されており,繁華街は旧市街の南東側の鉄道駅周辺にある.

ロシェ・コルネイユ岩峰から見下ろすル・ピュイ市街


  ロシェ・コルネイユ―ヴレイ地方のパノラマ
 町の全景,そしてヴレイ地方の概観を見るために,まずここに登ろう.町のどこからでも見える聖母マリア像の立つ岩山が,ロシェ・コルネイユRocher Corneilleである.ふもとの町から130mの高さにそびえるこの聖なる山に登るためには,入山料をおさめる必要がある.前述のノートルダム大聖堂の裏に,登山歩道の入口と料金所がある.山腹にきざまれた登山階段をしばらく登ると,聖母像(高さ16m)の足元の展望台に達する.
 階段わきの崖をよく見ると,角ばった火山岩レキをふくむ凝灰岩からできているのがわかる.ロシェ・コルネイユの岩山は,浅海底での爆発的な噴火(水蒸気マグマ噴火)によって作られた火山が,のちに浸食を受けてその火道部分だけが取り残された火山岩頸である.
 聖母像下の展望台からは,ル・ピュイの街とその周辺地域の絶好のパノラマを眺めることができる.かつての城塞都市ル・ピュイ市街の統一された赤屋根が息をのむほど美しい.北西に目を移せば,350m先に後述のサン・ミシェル・デギュイユの奇峰が見える.さらに遠方(おもに西方から南方)の高台上に目をこらすと,あちこちに丸い形をした小山があるのがわかる.これらの多くはドゥヴェと呼ばれる火山群に属するスコリア丘である.また,町をとりまく平坦な高台の多くは,溶岩流が積み重なって作られた溶岩台地である.自分が火山の里の中にいることを実感しよう.

ロシェ・コルネイユ岩峰から見下ろすサン・ミシェル・デギュイユ岩峰.遠景にポリニャック城の岩山も見える


  サン・ミシェル・デギュイユ―礼拝堂の立つ奇峰
 まさにヴレイ地方を象徴する光景と言ってよいだろう.何の変哲もない町の中に異様なものが立っている.高さ82mの絶壁に囲まれた紡錘状(底径80m)の岩峰サン・ミシェル・デギュイユSt-Michel d'Aiguilheである.街並みの中に,まるで街の建物のひとつのような顔をしてさりげなく立っているから,その異様さがよけい引き立っている.そして,登山家でなければとても登れそうもなさそうなその尖峰の頂点に石造りの礼拝堂(11世紀)が建てられている光景に,しばしの間絶句しない人はいないであろう.
 サン・ミシェル・デギュイユの岩峰は,前述のロシェ・コルネイユと同じく,浅海底の爆発的噴火によってできた火山の火道部分だけが取り残されたものである.浸食を受ける前は,隣接したロシェ・コルネイユとともにひとつの火山を構成していたかもしれない.岩峰の西側にあるボルヌBorne川ぞいの広い公園内からみた姿がとくに美しい.

ル・ピュイの街から望むサン・ミシェル・デギュイユ岩峰


  ポリニャック―難攻不落の城
 サン・ミシェル・デギュイユが気に入られた方は,こちらも見ておくとよい.ル・ピュイの町からやや離れているので車で移動する必要がある.クレルモン・フェランからN102号線を移動してきた方は,ル・ピュイの町に入る手前ですでにこの岩山を見つけているはずだ.
 ル・ピュイの町からN102号線をクレルモン・フェラン方面に4kmほど戻ると,高台を走る道の東側に,高さ50mほどの絶壁にかこまれたこの平坦な岩山と,その上にのる美しい古城ポリニャックPolignacを見つけられる.この城はかつて難攻不落をうたわれ,この城の支配者ポリニャック家の人々はこの地方を支配し,17〜19世紀のフランス中央政界でも重職をしめた(「ベルサイユのばら」にも登場する).城の立つ岩山をとりまくように小さな町が作られている景観も見事である.N102号線から分岐するD136号線を通って,ポリニャック城のふもとにたどり着ける.
 ポリニャック城の岩山も,前述のロシェ・コルネイユおよびサン・ミシェル・デギュイユの岩峰と同じ成因でできたものであり,かつての火山の名残りである.

ポリニャック城


  イサルレ湖―メゾンク山麓の美しいマール
 ヴレイ地方の火山は,ル・ピュイ周辺だけにあるわけではない.もうすこし足をのばしてみよう.ル・ピュイの南東にはメザンク山塊Massif du Mezencと呼ばれる標高1000mをこえる高原が広がっている.ここはヴレイ・オリアンタルと呼ばれる火山群の主要な分布地のひとつであり,高原上につき出た幾多の奇岩や,水蒸気爆発でできた美しい円形の湖がすばらしい景観を形づくっている.
 ル・ピュイの町からいったん東に進んでロワール川を渡り,D535号線を18km南下する.ル・モナスティエLe Monastierの町を通りすぎた所からD500号線に入ってさらに14km南下した後,D37号線に入って13km走ると風光明媚なイサルレ湖Lac d'Issarles(標高1000m)にたどり着く.ル・ピュイからおよそ1時間半の快適なドライブである.湖のほとりには何軒かのホテルとレストランがあり,気に入ったら滞在するとよい.
 イサルレ湖は,直径1kmで水深は138mと深く,マグマが地下水と触れ合って水蒸気爆発をおこした跡の円形の凹地(マール)に水がたまってできたものである.湖付近の崖を注意深く眺めると,水蒸気爆発の産物である細かく成層した火山砂レキ層が観察できる.このようなマールはヴレイ地方に数多くあるが,湖になっているものは,イサルレ湖のほかにブーシュ湖Lac du Bouchetやサン・フロン湖Lac de St-Frontなどわずかである.


  ジェルビエ・ド・ジョン―メザンク山塊の奇岩
 イサルレ湖からつづら折りのD16号線を東に上っていくと,やがて前方にル・ベアージュLe Beageの町が見えてくる.荒涼たる山地の谷間に作られた趣きのある石造りの町であり,思わず車を停めて見入ってしまう.
 ル・ベアージュの町からD122号線を8.5km東進し,D116号線に入って4km上ると異様な形をした巨岩が見えてくる.メザンク山塊の景観を代表する奇岩として知られるジェルビエ・ド・ジョンGerbier de Jonc(頂上の標高1551m)である.似たような形の奇岩はメザンク山塊中に数多くあるが,ジェルビエ・ド・ジョンが一番みごたえがある.岩の麓には駐車場,売店のほか,ホテルまである.なお,ロワール川はジェルビエ・ド・ジョン岩の麓にその源を発するとされている.この奇岩から滴った水が,やがてはるかな1000kmを旅した後,大西洋にそそぐのである.
 ジェルビエ・ド・ジョン岩は,マグマが地表あるいは地表直下で冷え固まってできた火山岩頸であり,その表面にはマグマの冷却時にできた節理がきざまれている.足元に十分注意すれば,岩の頂上まで登ることはたやすい.メザンク山塊でもっとも標高の高い場所のひとつであるその頂上からは,すばらしいパノラマを満喫することができる.なだらかな高原上のあちこちに奇岩・奇峰がそびえ立っているさまは見事である.それらの多くは,ジェルビエ・ド・ジョン岩と同じ火山岩頸である.

ジェルビエ・ド・ジョン岩峰


コラム:ヴレイ地方の火山群
 ヴレイ地方は,単成火山群と溶岩台地の里と言ってよい.そこに分布する火山は,東のヴレイ・オリアンタルVelay-oriental火山群と,西のドゥヴェDeves火山群とに分けられている.ヴレイ・オリアンタル火山群が溶岩ドームや火山岩頸を主体として溶岩流をともなうのに対し,ドゥヴェ火山群はおもに溶岩台地とそれにともなうスコリア丘やマールからなる.ヴレイ・オリアンタル火山群には180の噴出中心が知られ,ドゥヴェ火山群には230のスコリア丘と58のマールがある.ヴレイ・オリアンタル火山群の主要な噴火時期は1400万〜600万年前と古いのに対し,ドゥヴェ火山群のそれは350万〜50万年前と新しい.両火山群をつうじて大規模かつ爆発的な軽石噴火の存在は知られていない.両火山群とも,その分布は北西-南東方向に伸びており,地質構造や地殻応力場(地殻にかかる力の配分のされ方)との関連が予想される.

 

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