第5章 ドイツ

 ローレライ伝説で知られるライン川や,ワイン産地として名高いモーゼル川のほとりには幾多の小火山が存在し,将来の噴火の可能性を秘めている.また,ドイツ南部のドナウ川流域には,1500万年前に落下した巨大隕石によって作られた直径25kmの隕石孔がある.この隕石孔は,かつては巨大な火山と考えられていた.ひと味違った目で,ドイツの自然を楽しもう.

 アイフェル★★―ライン川に沿う小火山群
  マリアラーハ☆☆―ライン川を襲った1万1000年前の災厄
  ヴァルト採石場跡☆☆―空をおおった巨大な噴煙
  バート・テニシュタイン☆―谷を流れ下った火砕流
  ヘルヘンベルク☆☆―掘り出された火山の内部構造
  トーテンマール☆―ダウン近郊のマール群
  メールフェルト湖☆―古城の町マンデルシャイトと美しいマール
   コラム:アイフェル火山群の噴火史
 リース隕石孔★★―ロマンティック街道が横切る1500万年前の巨大隕石孔
  ネルトリンゲン☆☆☆―中世の城塞都市と隕石孔博物館
  オティンク採石場☆☆―隕石衝突の証拠
  シュタインハイム☆―隕石孔周辺のみどころ
   コラム:リース隕石孔の研究史

アイフェルEifel―ライン川に沿う小火山群
 有名なラインRhein川(長さ1320km)は,スイスアルプス中のフルカ峠(標高2431m)付近にその源流を発し,スイス・オーストリア国境をふくむ170kmほどを流れ下った後,いったんボーデン湖(標高396m)に注ぐ.スイスアルプス最大の湖ボーデンは,スイス・オーストリア・ドイツの3国が面する美しい湖であり,湖畔にはコンスタンツ,リンダウ,ブレゲンツなどの観光都市が軒を並べている.ボーデン湖から流れ出たライン川は,ドイツ・スイス国境に沿うように西に向かい,スイス第2の都市バーゼルを過ぎたところで北に向きを変え,広大な盆地の中へと流れ出す.
 ライン川がほぼ中央を流れるこの盆地は,地学的にはライン地溝と呼ばれ,南はバーゼルから北はドイツのフランクフルト付近まで北北東-南南西方向に長さ280kmにおよび,幅は40kmほどある.とは言え,盆地の南北両端の標高差は150mほどしかなく,ライン川はのどかな田園や森林が広がる中を実にゆったりと流れている.盆地の両側には,標高1000mを越えるシュヴァルツヴァルトSchwarzwald山地(東側)とヴォージュVosge山地(西側)が横たわっている.盆地南部のライン川西岸は,フランス有数のワイン産地アルザス地方である.ライン地溝は,その昔アルプス造山運動にともなう地殻変動によって東西に開いた地殻の裂け目が,盆地となって残ったものである.
 ライン地溝の北端に達したライン川は,北西に向きを変えて最大標高600〜700mほどの高原の中へと分け入っていく.この高原はドイツのかつての首都ボン付近まで300km近く続く.その上流側130kmほどにわたってライン川は切り立った峡谷(ライン峡谷)を作っている.ここには古城がたくさん分布し,魔女伝説で有名な「ローレライの岩」もある.ライン峡谷を抜けるとコーブレンツKoblenzの町があり,西側からモーゼル川が合流する.モーゼル川流域はドイツの誇るワイン名産地である.
 コーブレンツからボンに至るライン川はやや谷幅を広げ,両側の丘陵地の標高はせいぜい400mである.このうちの南西側の丘陵地には,丸い形をした小山がたくさん分布しており,きれいな円形をした湖もいくつかある.これらの小山や湖はすべて火山起源のものであり,総称してアイフェル火山群という.その分布はおおよそ東と西の2群に分かれており,東にあるものを東アイフェル火山群,西にあるものを西アイフェル火山群と呼んでいる.合計で340もの火山があるが,大きな山体をもたないのでほとんど目立たない.また,数千年に一度くらいしか噴火が起きず,噴火自体は長くても数年程度で終わってしまう.だから,噴火休止期間がとても長く,その間に火口や溶岩流は豊かな緑におおわれる.現在もそのような長い休止期間のひとつにあたり,1万1000年前以降の噴火の証拠は見つかっていない.

ローテンブルク火山の断面

 

ドイツ南部の略図

 

アイフェル火山地域の略図


  マリアラーハ―ライン川を襲った1万1000年前の災厄
 東アイフェル火山群はおよそ100個の小火山の集合体であるが,そのうちでもっとも噴火年代が新しく,かつ大規模・爆発的な噴火を起こしたラーハーゼーLaacher See火山をまず訪れよう.湖となっている大きな火口や,厚く立派な噴火堆積物を見ることができる.
 高速道路A61号線を走ってきた方は,33番か34番のインターチェンジで出るとよい.出口に「マリアラーハMaria Laach」の表示があるはずであり,高速道路を出た後もその道路表示に従って進めばよい.まもなく大きな円形の湖が見えてくる.ラーハ湖Laacher See(標高275m)である.ラーハ湖は,ラーハーゼー火山の大噴火によってできた火口の窪地に水がたまったものであり,直径は2km,湖の深さは50mほどである.
 マリアラーハは町の名前ではなく,ラーハ湖の南西のほとりにある修道院の名前である.巨大な聖堂で名高いこのロマネスク様式の修道院はアイフェル地方の観光名所のひとつとなっており,おおぜいの観光客が訪れている.修道院前の自動車道ぞいに大きな駐車場が見つけられる.駐車場に車を停めて,修道院めざして歩こう.自動車道の下に作られたトンネルをくぐるとホテルがあり,その奥にこぎれいな書店がある.この書店には,周辺の地形図のほか,アイフェル火山群の地質解説書が何種類か置かれている.火山群の地質図もある.修道院から5分ほど歩くと自然博物館もある.
 車を停めた駐車場から,ラーハ湖畔に歩いていくことができる.湖畔から眺めると,ラーハ湖全体が窪地になっていることがよくわかる.ハイキングコースが整備されており,湖畔を一周したり,まわりの高台に登ることができる.

ラーハーぜー火山の降下軽石・火山灰


  ヴァルト採石場跡―空をおおった巨大な噴煙
 ラーハーゼー火山の噴火推移は,火山のまわりに分布する噴火堆積物の研究をつうじてよく調べられている.それらを見るためにはラーハ湖畔を離れ,付近にたくさんある採石場跡に行くのがよい.マリアラーハを車で出発し,まず2.5km南東に進むと高速道路A61号線の34番インターチェンジがある.高速道路への2つの進入路を越えたところで2回左折し,高速道路に沿った道を東進する.3kmほど高速道路ぞいを走って左折すると,すぐ駐車スペースがある.
 車を停めて林道を500m北に進むと,道は幅の広い谷間へと入っていく.谷間のあちこちに白い崖が見えている.ヴァルトWald採石場跡である.付近の林道はハイキングコースとして整備されているうえ,採石場跡は植林され公園化されているので危険はない.採石場跡に入ると道はいくつかに分かれているが,やや右手のもっとも高い場所にある白い崖をめざして登ればよい.林道を歩いていけば,崖の前に出られる横道が見つかる.
 採石場跡の最高所にある白い崖ぞいには,ラーハーゼー火山の降下軽石堆積物と,それをおおう斜交層理をもつ火山灰層(火砕サージ堆積物)が露出している.全部の厚さは数mである.この採石場跡は,峠をへだててラーハ湖のちょうど裏側にあたり,ラーハ湖岸まで1.5kmほどしか離れていない.噴火堆積物を見ながら,噴火当時の状況を想像してみよう.


  バート・テニシュタイン―谷を流れ下った火砕流
 ラーハーゼー火山の噴火後期には軽石流が何度か発生し,ラーハ湖から主に5筋に分かれて谷ぞいを流れ下った.このうち,北側の3つの谷間を下ったものは,やがてひとつの谷筋に合流した上でブロールバハBrohlbach川ぞいを流れ下り,火口からおよそ10km下流のライン川本流にまで達した.この軽石流堆積物を見に行こう.
 いったんマリアラーハに戻り,そこからL113号線を北進してラーハ湖を半周し,峠を越えて北に向かう.ヴァッセナハWassenachの町のわきを通り過ぎ,谷ぞいを3kmほど下るとバート・テニシュタインBad Toenissteinというところがあり,道の左側を流れる川の対岸に大きな温泉宿がある.道ぞいにある駐車場に車を停めて,小道を森の中に入っていくと,あちこちに切り立った大きな白い崖がある.崖全体が,ラーハーゼー火山の厚い軽石流堆積物からできている.よく見ると,のっぺりした火山灰の中に点々と白い軽石の粒が見える.


  ヘルヘンベルク―掘り出された火山の内部構造
 ラーハーゼー火山は大規模かつ爆発的な軽石噴火を起こした火山であるが,このような火山はアイフェル火山群の中では珍しく,他にはおよそ40万年前に噴火したリーデンRieden火山や21万5000年前のヒュッテンベルクHuttenberg火山など,数火山があるだけである.
 アイフェル火山群の大多数は,小規模でおだやかな噴火を起こしたスコリア丘である.スコリアはコンクリートの骨材として有用な資源であるため,数多くのスコリア丘が切り崩され採石場になっている.このような採石場の崖にはスコリア丘の内部構造がよく観察でき,火山体の発達史研究のためのよい素材となっている.およそ48万年前に噴火した東アイフェル火山群のヘルヘンベルクHerchenberg火山はこのようなスコリア丘のひとつであり,とくにマグマのかつての通り道であった岩脈が観察できる点がおもしろい.
 バート・テニシュタインから,B412号線に入ってブロールバハ川ぞいを西進する.まずブルクブロールBrugbrohlの町を通り抜け,次のヴァイラーWeilerの町の手前で右折して山の中に入っていくと,大きな採石場が見えてくる.ヘルヘンベルク火山である.現在もさかんに採石がおこなわれているので,見学は土日か祭日におこなうとよい.
 ヘルヘンベルク火山は,前述のラーハーゼー火山の北5kmの台地上にあり,北西-南東にならぶ直径500mほどの2つのスコリア丘からできているが,採石が進んで当初の山体の形は残っていない.噴火初期に地下水がマグマと触れて水蒸気マグマ噴火が起き,水が渇れた後におだやかな噴火に移行して,まず北西側のスコリア丘が作られ,引き続いて噴火地点がやや移動し,南東側のスコリア丘が作られた.
 採石場の崖では,噴火初期と後期の噴火様式の差による堆積物の特徴の違いが観察できる.また,北西側のスコリア丘内にみごとな岩脈の露出がみられる.岩脈はスコリア丘の中心から放射状に3方向に伸びている.このうちの北西に伸びた岩脈の先端付近に目をこらすと,岩脈貫入にともなってスコリア丘内部に生じた正断層が観察できる.

ヘルヘンベルク火山の断面に見られる岩脈(左)、同岩脈の全体像(右)


  トーテンマール―ダウン近郊のマール群
 水蒸気爆発でできた深い火口に水がたまってできるマールは,東アイフェル火山群にはあまり見られない.しかし,50kmほど離れた西アイフェル火山群に行くと,高原や丘陵地の中にたくさんの美しいマールがあり,多くの観光客を集めている.少し足をのばして西アイフェル火山群を訪れてみよう.
 ヘルヘンベルク火山からB412号線を西に進むと,30kmほどで有名なニュルブルクリンクNurburugringに着く.ドイツでは,ホッケンハイムと並ぶ由緒正しいレースサーキットである.F1レースやモーターサイクルGPなどの熱い戦いの歴史で知られる.レースのない日も,モータースポーツ博物館見学やスポーツ走行に訪れる若者たちで賑わっている.ニュルブルクリンクからB257号線に入って8km南下し,ケルベルクKelbergのわきで地方道に右折して13km走るとダウンDaunに着く.
 ダウンは,丘陵地の谷間に作られたこじんまりとした美しい町である.町の中心にある観光インフォメーションやその向かいの書店で,西アイフェル火山群の地形図や地質解説書が手に入る.西アイフェル火山群の分布する一帯を,地元ではヴルカンアイフェルVulkaneifel地方と呼んでいる(Vulkanはドイツ語で火山).
 ダウン近郊では,西アイフェル火山群の数多くのマールを見ることができる.ダウンの南2kmにはトーテンマールTotenmaar群という北西-南東に並ぶ直径300〜500mの3つのマールがあり,いずれも湖(北西からゲミュンデンGemunden湖,ヴァインフェルトWeinfeld湖,シャルケンメーレンSchalkenmehren湖.標高は407〜484m)になっている.湖畔まで車で行くことができ,散策を楽しめる.ヴァインフェルト湖とシャルケンメーレン湖の間を通る道路わきの駐車場に車を停めると,両方のマールを同時に見渡せる.

トーテンマール群と説明看板


  メールフェルト湖―古城の町マンデルシャイトと美しいマール
 ダウンから地方道を18km南進するとマンデルシャイトManderscheidに着く.ダウンと同じく,こじんまりした町であり滞在に適している.町のすぐ東側を流れるリーゼルLieser川の深い谷間に石造りの見事な古城(マンデルシャイト城)があり,一見の価値がある.
 マンデルシャイトの西4kmにメールフェルトMeerfeldというマールがある.このあたりは西アイフェル火山群の南西縁にあたる.メールフェルトマールは,直径1kmとやや大きく,北半分が湖(メールフェルト湖.標高336m)になっている.また,南半分の平地には村ができている.まわりにはハイキングコースが整備されているから,高台に登ってマールを見下ろすとよい.メールフェルトからいったん北西に3km進み,ドイデスフェルトDeudesfeldの町の手前を右折したところにある採石場に行けば,メールフェルトマールの噴火堆積物(成層した火山レキとスコリア)を見ることができる.採石作業がおこなわれているので,休日を選んで行くとよい.


   コラム:アイフェル火山群の噴火史
 ドイツの火山活動は,フランス中央山塊と同様,アルプス造山運動にともなう地溝の形成と密接に関連して始まった.これらの火山活動は当初はライン地溝周辺で生じたが,3000万年ほど前になってその北西側と北側にそれぞれルール谷Ruhr Valley地溝とライネLeine地溝が生じると,それら3地溝の交点でとくに勢いを増し,巨大なカルデラ火山フォーゲルスベルクVogelsbergが生まれた.その後,火山活動は下火になりながらもアイフェル地域へと移動し,第四紀(およそ200万年前から現在までの期間)の間もときおり噴火を繰り返した.
 アイフェル火山群は,ドイツ中西部のライン川西岸の台地上に分布する独立単成火山群であり,おおよそ340個のスコリア丘,マール,タフリング,溶岩ドームなどの集合である.分布の広がりは東西80km南北50kmにおよぶが,おおよそ東と西の2群に分かれており,それぞれを東アイフェル火山群(100火山)および西アイフェル火山群(240火山)と呼ぶ.両火山群とも60〜70万年前頃から噴火が始まり,最新の噴火は1万1000年前に起きた東アイフェル火山群のラーハーゼー火山の噴火である.広域に分布する何枚かの軽石層があることや,堆積物の保存や露出状況がよいことから,東アイフェル火山群の方が噴火史や噴火プロセスがよく調べられている.
 1万1000年前のラーハーゼー火山の噴火は,両火山群をつうじて最大(5立方km)の爆発的な軽石噴火であり,降下軽石のほかに軽石流や火砕サージを噴出した.噴火初期にはプリニー式噴火が生じて巨大な噴煙柱が成層圏に達したほか,火口付近の地下水とマグマが触れ合って水蒸気マグマ噴火が起き,火口付近で火砕サージが発生した.噴火中盤にもプリニー式噴火が繰り返されたほか,軽石流が何度か発生した.噴火末期には,軽石流のほか,ふたたび水蒸気マグマ噴火が起きて火砕サージが発生した.噴火による火山灰は,遠くスウェーデンや北イタリアにまで分布する.この破局的な噴火以降,アイフェル火山群全体をつうじて現在まで新たな噴火が生じた証拠は見つかっていない.

 

リース隕石孔Ries Meteorite Crater―ロマンティック街道が横切る1500万年前の巨大隕石孔
 ドナウDonau川(長さ2860km)は,ドイツ南西部にあるシュヴァルツヴァルト山地にその源流を発する.山地から流れ出たドナウ川は東へと向かい,ドイツ南東部バイエルン州の広大な丘陵地帯を流れて大河に成長し,オーストリアへと出てゆく.このバイエルン州の西端にそって,最近日本人旅行者にとくに人気の高いロマンティック街道Romantische Strasseがある.ロマンティック街道とは,北はライン川支流のマイン川ぞいの古い町ヴュルツブルクWurzburgから,南はドイツ・オーストリア国境に近いアルプス北麓の町フュッセンFussenまでの,およそ350kmにわたる街道のことである.この街道は,美しい田園地帯の中を通る上に,街道ぞいにはアウグスブルク,ネルトリンゲン,ディンケルスビュール,ローテンブルクなどの中世の面影をよく保存した数々の町があって,人々の心をたいへん慰めてくれる.
 ロマンティック街道の中ほどにあるネルトリンゲンNoerdlingenの町は,地形図をよく見ると直径25kmほどの円形をしたリース盆地(盆地内の標高410〜440m)の南西部に位置している.リース盆地を流れるエゲールEger川とヴェルニッツWoernitz川は盆地南東端近くで合流し,さらに20km下流でドナウ川本流に注いでいる.リース盆地は,まわりの丘陵地と不調和なその地形と地質から古来より学者の注目を集めてきた.
 19世紀には,リース盆地はかつての巨大な火口と考えられていた.しかし,地質学や火山学が発達し,世界の地質や火山の状況が明らかになってくると,リース盆地の地質学的な異常さがますます浮き立ってきた.こうして20世紀に入ると,徐々にリース盆地の火山起源説が不利になり,隕石衝突起源説が力を増してきた.そして,1960年頃にリース盆地内の堆積物の中から超高圧のもとでしか生じない石英鉱物が発見されたことによって,長い論争にようやく決着がついた.このような高圧は,隕石衝突という特殊な現象下で発生したとしか考えられなかったからである.現在では,およそ1500万年前に直径1kmほどの隕石が衝突した結果として説明されている.1970年にはアポロ14号の宇宙飛行士たちがリース盆地を訪れ,隕石孔の地質にかんするトレーニングを受けた.

リース盆地.遠景はネルトリンゲン市街とダニエル鐘楼


  ネルトリンゲン―中世の城塞都市と隕石孔博物館
 ネルトリンゲンNoerdlingenは,ロマンティック街道のちょうど中ほどに位置する古い町であり,9世紀の古記録にすでにその名を残している.中世における重要街道上の交易拠点としておおいに栄え,町全体を直径800mほどのリング状の城壁で囲んだ城塞都市となったが,1618年から始まる三十年戦争で荒廃し,以後300年ほどの間ほとんど発展しなかった.
 ヨーロッパにおいては,イタリアのヴェネツィア,ベルギーのブリュージュなどに代表されるように,中世に栄えた都市が近世以降になって廃れるとその歴史的景観がよく保存される傾向がある.ネルトリンゲンにおいてもまた然りであり,町の建物や城壁や城門が今日に至るまでよく保存されている.城門内に車で入ることができるが,駐車スペースはごく限られているから,城門外の駐車場に停めるのがよい.また,町の中や周辺にはいくつかのホテルやゲストハウスがある.
 町の中心にあるザンクト・ゲオルグSt Georg教会は15世紀に建てられたゴシック様式の教会であり,高さ90mの「ダニエルDaniel」と呼ばれる大鐘楼をもっている.この教会の建材となっているのが,隕石孔特有の岩石であるスエヴァイトSueviteである.スエヴァイトは,隕石衝突によって隕石孔内で発生した高温状態の中で,地表付近の岩石が混じり合い部分的に溶融してできた岩石である.ただし,教会の壁をつくる石材は表面が風化しているため,慣れないとうまく観察できないだろう.入場料を払えば大鐘楼に登ることができる.鐘楼からは,美しいネルトリンゲンの街並み全体やリース盆地のパノラマを楽しむことができる.リース盆地を取り囲む隕石孔の縁の地形に注意するとよい.隕石孔の内と外との標高差は50〜100mある.
 町の北端にあるバルディンガー城門Baldinger Torの近くに,リース隕石孔博物館Rieskrater Museumがある.ここにはリース隕石孔の地質学的説明や岩石の展示のほか,世界の隕石や惑星科学一般にかんする展示もある.また,リース隕石孔の地質図,地質解説書,地質見学案内書,岩石標本などが売られている.

リース盆地付近の略図

 

ネルトリンゲンのダニエル鐘楼


  オティンク採石場―隕石衝突の証拠
 リース盆地とその周辺にはたくさんの採石場がある.おもに隕石衝突以前からあるジュラ紀の石灰岩を建材として採石しているようだが,スエヴァイトそのものを採っている所もある.採石場の崖では,隕石衝突の衝撃によってまき散らされた雑多なレキの集まりであるブンテ角レキ岩,スエヴァイト,およびそれらの下位にある基盤の石灰岩(隕石衝突の衝撃によって割れたり変形を受けたりしている)が観察できる.見学にあたっては,まず前述のリース隕石孔博物館で最近の崖の状況やみどころを教えてもらってから行くのがよいだろう.ここでは,隕石孔を代表する岩石であるスエヴァイトを採集できる場所をひとつだけ紹介する.
 ネルトリンゲンから地方道2213号線をヴェムディンクWemding方面へと東進する.ヴェムディンクの町を抜け,しばらく走ってオティンクOttingの町に入ったら,ヴォルフェルシュタットWolferstadt方向に左折する.少し走ってオティンクの町を抜けたところの左手に隕石孔シンボルの看板がある.オティンク採石場の入口である.ラフロードを500mほど進むと高さ数mの崖の前に出る.崖に露出する岩石がスエヴァイトである.
 オティンク採石場は,リース隕石孔の東の縁から3.5kmほど外にある.ここにあるスエヴァイト岩体は,衝突の衝撃によって隕石孔内から吹き飛ばされてきた巨大ブロックである.スエヴァイト岩体の下位にはブンテ角レキ岩が見えており,さらに下位には石灰岩の基盤があることが確認されている.
 スエヴァイトは,雑多な岩質の角レキをふくむ灰色の岩石であり,みかけは凝灰角レキ岩に似ている.含まれるレキは,気泡の多い黒色ガラス片のほか,リース隕石孔の地下からもたらされた閃緑岩,角閃岩,片麻岩などである.これらの結晶質岩石のレキは,いずれも強い衝撃と変形を受け,一部溶けているものもある.また,岩石中には,超高圧のもとで作られた石英鉱物であるコーサイトcoesiteとスティショヴァイトstishoviteの存在が確認されており,このことがリース盆地の隕石衝突起源説を世界に広く認めさせる最大の証拠となった.

隕石衝突の証拠であるスエバイト


  シュタインハイム―隕石孔周辺のみどころ
 リース隕石孔から少し足をのばして,近くのみどころを訪れてみよう.ネルトリンゲンからB466号線をハイデンハイムHeidenheim方面に南西に走ろう.4kmほど走るとリース盆地の南西縁に達する.坂をのぼりきったところで,どこかに車を停めて振り返ろう.広大なリース盆地とネルトリンゲンの町のパノラマが見事である.
 さらにB466号線を南西に14km走ると,ネレスハイムNeresheimの町に着く.左手の丘の上にバロック様式の巨大な教会がある.18世紀に作られたものであるが,日本ではバロック様式の芸術を見る機会が少ないと思うので,ヨーロッパ文化史の一面を知るためにぜひ寄ってみるとよい.教会内部の壁や柱やドーム状の天井は,白色と金色を基調とした絢爛豪華な立体装飾と絵画によって,これ以上飾り立てるものがないと思われるほどに飾り立てられている.ドイツ南東部(ネレスハイムのほか,オットーボイレンOttobeuren,ツヴィーファルテンZwiefalten,ヴァインガルテンWeingartenなど)には,このようなバロック様式の巨大聖堂がいくつかある.
 ネレスハイムからB466号線を南西にさらに15km走ると,大きな町ハイデンハイムに着く.町を抜けてB466号線を7km西進すると,直径3kmほどの小さな円形の盆地があり,盆地の中にシュタインハイムSteinheimの小さな町がある.リース盆地の南西縁から30kmほど南西に位置するこの盆地は,小さいながらもリース盆地と同じ特異な地質学的特徴をもっており,やはり隕石孔と考えられている.形成年代もほぼ同じであることから,落下直前のリース隕石から分裂した破片が,リース隕石とほぼ同時に衝突してできたものと考えられている.


   コラム:リース隕石孔の研究史
 リース隕石孔は,ドイツ南部のバイエルン州ネルトリンゲン付近にある1500万年前の隕石衝突跡であり,丘陵地帯の中の直径25kmの円形をしたリース盆地として地形が残っている.リース盆地のまわりの丘陵は,およそ1億5000万年ほど前のジュラ紀の堆積岩からできているが,盆地の中と盆地のまわりにはさまざまな岩質の岩石が複雑に入り混じった特異なレキ岩(ブンテ角レキ岩Bunte Breccia)が分布し,ジュラ紀の堆積岩をおおっている.しかも,ブンテ角レキ岩のレキには,ジュラ紀の堆積岩のほか,その下位にあるはずの三畳紀の堆積岩や,さらに下位の結晶質変成岩・深成岩のレキまでが含まれている.さらに奇妙なことに,盆地内とその周辺にはブンテ角レキ岩に混じるようにしてスエヴァイトSueviteと呼ばれる異常な岩石が露出している.スエヴァイトは灰色をした凝灰角レキ岩様の岩石であり,強い衝撃や高熱を受けたと思われる組織や構造をもち,火山ガラスに似た黒色ガラス片を点々と含んでいる.
 19世紀には,リース盆地は爆発的な噴火をした火山の巨大な火口だと考えられていた.スエヴァイトやブンテ角レキ岩を,爆発によって地下深部からもたらされた岩石の破片が降り積もった堆積物だと考えれば,一応の説明はつくからである.しかし,火山学が進歩するにつれ,リース盆地の地質学的特徴は,通常の火山とはかけ離れたものであることがわかってきた.
 もしリース盆地が火山起源だとすると,直径20kmもある凹地はカルデラと考えるのが自然であるが,カルデラ形成に通常ともなうはずの軽石流堆積物はリース盆地周辺のどこにも分布していない.また,盆地内には,火山爆発の結果と考えるには,あまりにも強い衝撃や破壊を被った岩石が分布することも明らかになった.こうして20世紀初めに隕石衝突説が登場し,論争が始まった.そして,1960年頃にリース盆地内のスエヴァイトの中から超高圧のもとでしか生じない石英鉱物コーサイトcoesiteが発見されたことによって,長い論争にようやく決着がついた.
 現在では隕石衝突モデルはさらに精密かつ定量的なものとなっており,およそ直径800〜1200mほどの隕石が秒速20〜60kmほどのスピードで地球に衝突した結果,リース隕石孔とそのまわりの特異な堆積物が作られたと考えられている.衝突後しばらくの間,リース隕石孔は湖となっていたが,堆積物によって徐々に埋め立てられ,現在のような盆地に姿を変えた.


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