(日本地震学会ニュースレター,Vol.17, No.6, 2006年3月10日)

Atwater, B.F., Musumi-Rokkaku, S., Satake, K., Tsuji, Y., Ueda, K., and Yamaguchi, D.K.著

The Orphan Tsunami of 1700(みなしご元禄津波)
Japanese clues to a parent earthquake in North America(親地震は北米西海岸にいた)

United States Geological Survey and University of Washington Press


 歴史時代・先史時代の地震や津波に関心をもつ人にはすでに常識となっているが,本書の筆者たちによる一連の研究によって,北米西海岸沖で発生したマグニチュード9クラスの巨大地震にともなう津波が,西暦1700年の日本を襲った事実が明らかにされている.
 306年前の日本は言うまでもなく江戸時代(元禄年間)であるし,北米にまだ合衆国は存在せず,地図上でオレゴン州以北が空白となっていた時代である.そんな時代の,しかも太平洋をまたいだ巨大災害の同時性や因果関係をどのように解明したのか? その謎解きの過程が,本書で余すことなく語られている.
 日本には,途中に欠落部分もかなりあるが,およそ1400年分の自然現象の文字記録が現存する.その中には科学的解釈が困難な記録も多数含まれている.それに該当する例として,直前の地震がないのに津波とおぼしき現象が発生した事件の記録がいくつか知られている.元禄十二年十二月八日(1700年1月27日)の深夜から日本各地の海岸を襲った異常潮位現象も,そのひとつである.
 一方,北米西海岸のオレゴン州からワシントン州を経てカナダのバンクーバー島に至る長さ1000kmに及ぶ海岸のあちこちで,17世紀末から18世紀初頭ころの年代を示す津波と地震性地殻変動の物的証拠が見つかり始めた.それらは,海水の進入によって一斉に枯死した森林や,津波堆積物である.しかし,その事件が起きた年月日や,1000kmもの範囲にわたる現象が厳密に同時に発生したものであるかどうかを知るためには,決め手を欠いていた.
 そうした中,日米双方の研究者が出会い,謎を解くための共同プロジェクトが始まった.本書には,地球規模の破局的災害に関する国際共同プロジェクトの金字塔とも言える,その研究の一部始終が懇切丁寧に説明されている.
 本書は,(1)発掘された地震痕跡,(2)みなしご津波,(3)津波の親地震,の3部構成となっている.(1)は,日米共同研究の開始前までの,北米西海岸での巨大地震・津波痕跡の発見と調査の物語である.(2)は,日本各地の史料調査から1700年の津波像を構築していく物語であり,本書全体の7割ほどを占めている.詳しい史料が現存する6つの地点(岩手県鍬ヶ崎,津軽石,大槌,茨城県那珂湊,静岡県三保,和歌山県田辺)のそれぞれについて,分析結果が丁寧に説明されている.(3)は,(1)と(2)のデータに津波の数値シミュレーションや年輪年代の結果などを加え,北米西海岸で起きた巨大地震・津波の具体像を描き出すとともに,その繰り返し間隔の考察や防災対策の在り方を導いていく物語である.
 本書は,その内容もさることながら,装填やレイアウトにも尋常ではない工夫がこらされた,たいへん魅力的な本である.そうした視点から,本書の特徴を以下に述べよう.
・全ページがカラー印刷であるにもかかわらず安価である.ちなみに2月10日現在,amazon.co.jpの洋書コーナーで2641円(税込)で売られている.
・書名とすべてのチャプタータイトルに日本語訳が添えられている.
・見開き2ページ単位で各チャプターが構成されているため,読みやすい.
・図や写真が非常に豊富である.ざっと数えてみると,風景・露頭・史料外観・人物などの写真が108点,古絵図・古地図・文字史料書面の写真が112点,グラフ等の図表が135点の,合計355点もの図版が掲載されている.1ページにつき平均2.7点である.このため,読者は本文を読まなくても,図表を眺めるだけでおおよその内容がつかめる.
・上記の文字史料書面のうちの52点は,筆文字の一語一語のわきにローマ字による発音と,英語による意味が添えられた逐語訳になっている.このため,草書体で書かれた地震記録を読む練習に使用できる.これには評者も腰を抜かした.このような草書体史料の逐語英訳が添えられた英文解説書が,これまであっただろうか.
・研究成果の紹介だけでなく,地震学や歴史学の基礎知識についての図入り解説が,本書の各所に織り込まれている.それらは,地震・津波とその防災に関する一般知識,古絵図・古地図の読図法,江戸時代の暦法と時刻制度,記録者としての幕藩体制と武士についての解説,史料収集と解読の方法,1700年以外の他の歴史津波の事例,史料記述から津波波高を求める方法など,多岐にわたる.
・そのほかにも読みやすさ,親しみやすさへの全体的配慮がある.たとえば,謝辞の中に対象者の写真1枚1枚(しかも単なる顔写真ではなく,史料調査中での一場面という形で)が載せられているし,無味乾燥になりがちな引用文献や索引の中にもアニメ映画「稲むらの火」の名場面集を配するなど,読者を退屈させない.よくよく見ると,本書のどこを開いても図版が必ず1枚以上存在するようにレイアウトされている.これは見事というほかない.
 以上のような内容と特徴から,本書は専門家だけでなく,歴史地震・津波に興味をもつすべての一般市民に,自信を持って勧められる.もちろん本文は英語なのであるが,英語が読めなくても,そのことを忘れて十分楽しめるほどの配慮に満ちた本なのである.しかし,より広い読者層に向けて,文理融合的になされる歴史地震・津波研究の醍醐味を知ってもらうために,やはり何らかの形での日本語訳が望まれるところである.
 本書を科学知識の普及書として眺めた場合,これまでの日本の常識では考えられない意欲的な取り組みを数多く見つけることができる.通常は論文中にしか書かないような専門知識が,わかりやすい図解つきで説明されている.そうか,非専門家向けにはこういう説明の仕方があったのかと納得することばかりである.とくに江戸時代の暦法と時刻制度についての図解説明は圧巻である.
 あまりほめちぎってばかりでは何なので,一点だけ欠点を指摘しておくと,江戸時代の民間で使用されていた時刻制度は,定時法(1日を12等分する方法)ではなく不定時法(日出と日没を基準として昼間と夜間のそれぞれを独立に6等分する方法)なのだが,本書の説明は定時法のみにとどまっていて不定時法にあらわれる季節差に言及していない.唯一惜しまれる点である.しかし,これは完璧さを要求しすぎるというものであろう.

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