(「科学」1996年5月号,岩波書店)

松田時彦著
活断層
岩波新書 1995年
新書判 248ページ 650円(税込)

池田安隆・島崎邦彦・山崎晴雄著
活断層とは何か
東京大学出版会 1996年
四六判 226ページ 1854円(税込)

 「活断層ヒステリー」とも呼ぶべき症候群が日本に蔓延している.行政や住民が活断層の有無に異常に神経質になる現在の風潮のことである.典型的な症例をあげよう.(1)東京大学出版会刊行の高度かつ高額な専門書「日本の活断層」が,おもに活断層の位置を知りたいという需要だけのために一般市民にも異常な売れゆきを示したという.(2)東京都立川市に立川断層という活断層が通っている.この活断層はその活動歴がよく調べられ,近い将来には活動しそうもない「安全断層」と考えられている.にもかかわらず,最近あるマスコミが,この活断層のそばに政府や東京都の防災施設がおかれていることで行政を非難した.(3)ある公共工事の現場で得られた地質学的証拠から伏在断層の可能性を指摘しようとした学者に対し,工事関係者からの露骨な圧力がかかった.この学者は,仕方なく工事現場の詳しい位置にかんする情報をすべて削除した形で学会発表をおこなった.以上は,すべて活断層の存在に過敏に反応しすぎた例である.また,これらの症例とは逆に,活断層分布図に自分の町の活断層が描かれていないからといって,変に胸をなで下ろしてしまっている行政や住民も多い.防災面から言えば,こちらの方がむしろ問題が深刻かもしれない.
 「活断層ヒステリー」の原因は明らかである.活断層に対して恐ろしげなイメージを自分勝手につくりあげ,活断層の性質・3次元的広がり・活動の仕方・研究の現状などをほとんど理解していないためである.これを放置すれば,本当に実のある防災対策の立案や実行などは不可能である.標記両書は,以上のような日本の現状に対し,活断層研究者の社会的義務として当然刊行されるべきであった書である.
 「活断層」の著者松田時彦氏は,日本における活断層研究の中心人物のひとりであり,上記「日本の活断層」の編集幹事でもある.松田氏は,これまでも「動く大地を読む」(岩波書店,1992)というすぐれた活断層の解説書を出しており,今回の「活断層」では,活断層にかんする基礎知識を万人向けにさらにやさしく書き下ろした上に,最新の知見や日本各地の地域診断カルテなどをくわえている.目新しい内容としては,活褶曲地帯における被害地震発生の可能性に警鐘を鳴らしている点がある.地表にこれといった活断層があらわれていない場所でも,活動的な褶曲構造が発達する地帯であれば,その地下にある伏在断層や層内すべりなどによってマグニチュード7クラスの地震が発生しうるという.明瞭な活断層こそみつかっていないが,第1級の活褶曲を市街地内部にかかえる静岡・清水両市などの防災関係者は傾聴してほしい.
 一方,松田氏より一世代若い「活断層とは何か」の著者3人は,やはり「日本の活断層」の編集に携わった研究者である.この書も活断層にかんする基礎知識の解説書であり,読者の理解を助ける図や写真の豊富さでは「活断層」をしのいでいる.また,全体を通じた特徴として,活断層研究がまだ不十分であること,そのような不十分な研究成果を防災に役立てるためにはどのような注意が必要かが逐一ていねいに説明されている.同様の注意は「活断層」でも強調されてはいるが,「活断層とは何か」の方が研究成果の使われ方を意識した配慮にさらに富んでいるようにみえる.また,評者がとくに感銘を受けたのが,住民に対する情報伝達技術の問題や,日本における地学教育・文化の問題にまで言及した終章である.
 以上のように,両書ともに読者の活断層に対する誤解・曲解をとりのぞくことを十分意識して書かれてはいるが,まだ十分でないと思われる点を誤解を恐れずあえて記そう.
 まず第1に,活断層の厳密な定義そのものに著者間の見解の不一致が感じられる点である.たとえば,活断層が,プレート内地震の原因となる断層だけをさすのか,プレート境界断層やそこから派生する断層もふくめるのかが,両書をつうじて今ひとつ明確でない.さらに,活断層という言葉が地下の震源断層もふくめた全体をさすのか,あるいは地表地震断層だけをさすのかもはっきりしない.松田氏は,「地震と断層」(東京大学出版会,1994)のなかで地表地震断層だけを活断層と呼んでいるが,標記両書ではその点が不明確である.
 評者自身は,震源断層までをふくめて活断層と呼ぼうとする考え方自体が,島崎氏が「活断層とは何か」の中で指摘した「専門家の常識を住民におしつける」考え方そのものであり,「活断層ヒステリー」を助長する原因だと考える.なぜなら,地表付近の固結度の低い地層には地震発生能力がないのに,住民の多くは地表で見えている活断層そのものが地震の発生源であり,その線上だけが危ないという妄想をいだいているからである.地表でみられる活断層は,地震発生能力のある地下岩盤中の震源断層のずれがたまたま地表にまで伝わった部分にすぎないこと(よって,活断層から10m離れた場所と1km離れた場所での危険度にさほど変わりはない場合が多いこと)や,地表に活断層がない場合にも伏在断層が存在し得ることなどを正しく理解してもらうためには,やはり活断層という用語は震源断層をふくまない地表地震断層だけに限定して使ったほうがいいのではないだろうか.
 第2に,現在の活断層調査(とくにトレンチ調査に代表される活断層の活動履歴調査)の問題点や限界の指摘が不十分だと思われる点である.この点は,とくに「活断層とは何か」で一応の解説がなされている.しかし,現在の行政やマスコミの論調をみる限り,活断層調査の成果がバラ色のごとく強調され,活断層調査をすることが行政にとっての防災対策にかんする免罪符となっている感がある.このような活断層調査に対する過度の希望的観測が蔓延している現在,活断層を調べても防災対策には限界があることについて研究者はもっと声を大にすべきではないだろうか.  たとえば,トレンチ調査の成果として伊豆半島の丹那断層における華々しい成果が強調されているが,あのような複数回の活動履歴はかなりよい条件が重ならなければ得られず,通常は1回程度の活動履歴が得られるだけの場合が多いこと(つまり,活動間隔が得にくいこと)が,行政や住民に十分説明されていないようにみえる.
 また,日本の活断層研究全体を見渡した個人的な感想であるが,活断層研究は本来学際的にバランスよくなされてこそ成果があがるものなのに,遺跡の噴砂・地割れ跡や過去の津波堆積物の研究,活動履歴と古記録との対比,地域全体を見渡した地震テクトニクスの研究などはいまだに数少ない研究者個人の努力にゆだねられ,組織だった研究がなされていない点が気になる.たとえば,両書に紹介されている神奈川県の伊勢原断層の研究成果については,最近の火山学的調査によれば活動履歴決定の根拠となった火山灰の対比そのものに疑問が残るし,古記録との対比にいたっては関東地方における古代・中世の史料の保存状況を考慮しない強引な推論と言わざるをえない.
 以上述べたように,活断層の調査・研究は一定の成果があがっているとはいえ,まだまだ発展段階の手法なのである.この点が誤解されて伝わることは両書の著者の意図するところではないはずである.両書の内容は,今後活断層研究の発展にともなって急速に書き換えられていくものであり,読者はこの点を十分注意しながら読み進めてほしいと思う.
 小山真人(静岡大学教育学部)


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