静岡新聞 時評(2021年7月8日)

富士山ハザードマップの効用

 あくまでも避難の目安

小山真人(静岡大学未来社会デザイン機構教授)

 本コラム前回(5月12日)に引き続き、富士山ハザードマップ改定版を解説する。2004年の初版に比べて格段に精細な地形を反映したシミュレーション結果(ドリルマップ)はリアルな迫力をもち、次の噴火の被災範囲を精密に予測したようにも見えるが、それは錯覚である。個々の結果は、様々な仮定を積み重ねた末の、ひとつの可能性を示しているに過ぎない。
 そもそも次に起きる噴火の規模を予測するのは困難なため、火砕流と融雪型火山泥流は大規模、溶岩流は大中小3つの規模を仮定している。また、それらの発生地点も、想定した発生源の範囲の外周上に並べた計算上の仮定点に過ぎない。さらに、これらのシミュレーションは、単純な物理モデルにもとづいている。たとえば、溶岩流は「ビンガム流体」と呼ばれる粘りけの強い液体の流れ、火砕流は「粒子流」と呼ばれる硬い粒子の集合が斜面を一団となって転げ落ちる流れを仮定している。
 しかしながら、実際の自然現象は複雑である。溶岩流の場合は、冷え固まった外殻の内部に溶岩トンネルができ、その保温効果によって遠方まで溶岩が到達する(実際の富士山にも「風穴」や「氷穴」などの名がついた多数の溶岩トンネルが存在する)。火砕流の場合は、内部に取り込まれた気体によって構成粒子が浮遊状態となって遠方まで到達する。しかし、溶岩トンネルの効果や浮遊の効果を取り入れた実用的な物理モデルは開発できていない。
 そのため、溶岩流の場合は「冷却効率」、火砕流の場合は「粒子間摩擦係数」という係数(どちらも流れの停止タイミングに関わる)を変化させて過去の事例を再現できる数値の選定を試みたが、結果として選んだ数値は、大きなばらつきを許容した上での平均的なものとならざるを得なかった。複雑な自然現象を無理やり単純なモデルに置き換えたのだから、当然と言えば当然である。
 以上のことからわかるように、ハザードマップの予測精度は高くないことを十分理解しておく必要がある。たとえば、自分の家が影響範囲のぎりぎり内か外かで一喜一憂することはマップの限界をわきまえない誤りである。しかしながら、危険範囲がまったくわからない状態で闇雲に避難するわけにはいかないので、避難計画を立てる上の目安としてハザードマップが役立つのである。

 


 

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