静岡新聞 時評(2019年12月12日)
小山真人(静岡大学防災総合センター教授)
静岡県側から見ると富士山の右肩に出っ張りがある。宝永山である。宝永山の手前には、1707年の宝永噴火を起こした「宝永火口」が3つ並んでいる。
この火口列には富士宮口五合目から30分程度でたどり着くことができ、大きな宝永火口と、その向こう側にそびえ立つ宝永山の見事な景観が、山頂登山とは異なる感動を誘う。宝永山の頂上近くに注目してほしい。周囲とは特徴の異なる「赤岩」と呼ばれる岩場がある。
赤岩は黄褐色を帯びた硬い地層からできており、下から突き出たような分布をしている。そのため赤岩は、地下に隠れている古い山体の一部が、宝永噴火の際にマグマの突き上げによって隆起し、地表に現れたものと考えられてきた。
ところが、昨年9月の台風が現場を一変させた。尋常でない強風と大雨が宝永山の表面をおおっていた転石や砂を洗い流し、それまで地下に隠れていた部分があらわになった。そこに目の当たりにしたものは、一見古そうに見える赤岩の地層が、側方に追跡すると新鮮な黒い地層に変化している様子である。黒い地層は、宝永噴火で降り積もった火山れきや火山弾である。赤岩の地層が黄褐色で古そうに見えるのは、噴火時の高熱と水分によって変質を受けたからとみられる。
つまり、赤岩の地層も宝永噴火で降り積もったものであることがわかった。さらに調査を進めると、山頂近くの赤岩だけでなく、宝永山全体が宝永噴火で降り積もってできた山であることが明らかとなった。
宝永噴火については、他にも未解決の疑問点がある。たとえば、宝永噴火の初期に噴出した白い軽石の層が、火口から2km離れた地点から、遠くは千葉県まではっきりと確認できるのに、肝心の宝永火口の縁では肉眼で確認できないことが挙げられる。このことは、軽石を噴出した初期の火口が、現在見られる宝永火口よりも東にあったことを意味する。つまり、宝永噴火の最中に火口の位置が少し西側に移動して現在見られる宝永火口列をつくり、そこから出た噴出物が最初の火口を埋めたと考えるのが自然である。
他の疑問点も含め、宝永噴火中に火口周辺で起きたことの全体的な見直しが、筆者と山梨県富士山科学研究所の手によって進行中である。その成果の一部は、ハザードマップの改定作業にも役立てられるだろう。