静岡新聞 時評(2003年12月16日)
小山真人(静岡大学教育学部教授)
駿河湾から遠州灘にかけての広い範囲の地底を震源として100〜150年間隔で繰り返し発生するマグニチュード(M)8クラスの大地震,それが東海地震である.こう書くと,毎回同じ性格をもつ大地震が襲ってくる印象をもたれる方が多いだろうし,大枠としてそれで間違いはない.しかし,実際の自然現象は複雑であるため,通常のイメージと異なる変則的な東海地震がありえることを知っておいた方がよい.
歴史的な実例を挙げよう.1707年10月28日に宝永東海地震(M8.4)が起きた.信頼すべき複数の古記録によれば,その翌日に富士宮付近で前日の本震をしのぐ震度の余震が起き,多数の家屋が倒壊するなどの大被害が発生した.余震の震度は本震より小さくなるのが常識である.しかし,M8クラスの大地震ともなると,本震後は震源域付近のあちこちでM6〜7程度の余震がたびたび発生する.つまり,余震とは言っても単独の内陸地震と同程度の規模をもつわけである.宝永東海地震の直後に,そのような余震のひとつが運悪く富士宮の直下で発生したと考えてよいだろう.将来の東海地震においても,このようなケースに注意をはらう必要がある.次は富士宮とは限らない.
別の例を述べよう.1605年2月3日に東海道から四国にかけての沖合で東海地震と南海地震が連動したとみられる地震が発生した.ところが奇妙なことに,この地震は震源域の近傍で弱い揺れが感じられたのみで,たとえば京都では誰も地震があったことに気づかなかった.それほど有感範囲が狭かったのである.しかし,発生した津波は通常の東海・南海地震と同規模であり,無警戒であった沿岸の人々に甚大な被害を与えた.つまり,1605年の地震は,本来はM8クラスでありながら揺れをほとんど伴わない,特異な津波地震だったのである.背筋が寒くなる話であるが,このような津波地震のメカニズムや発生頻度は,まだ十分に解明できていない.一方,1498年に起きた明応東海地震は通常の広い有感範囲を伴う地震であったが,なぜか異常に高い津波が発生し,それまで内陸の湖であった浜名湖が外海とつながる結果をもたらした.この異常津波の原因も未解明である.
現在の静岡県における東海地震対策は,典型的な東海地震とされる1854年の安政東海地震をベースとしている.このこと自体は誤りではないが,災害はいつも同じパターンで起きるとは限らない.ここで述べたような変則的な東海地震が発生する可能性を,つねに頭の隅に置いた柔軟な発想や行動が必要である.