静岡新聞 時評(2018年10月4日)
小山真人(静岡大学防災総合センター教授)
1957年、イタリアのベネチアから車で1時間ほどの山中に、川底からの高さが当時世界最大の265メートルを誇るバイオントダムが建設され始めた。この巨大ダムは1億7000万立方メートルもの湖水をたたえた水力発電ダムとして、戦後の電力需要の大きな受け皿となるはずだった。
ところが、ダムが完成して貯水が始まると、ダム湖の南側の山地に大きな地すべりの兆候が見え始めた。地面の動きや地下水位は、ダム湖の水位と良い相関を示した。湖面の上昇によって地下水位も上がり、それが原因で地層中のすべり面が活動し始めたのである。慌ててダム湖の水位を下げると、地すべりはいったん止まったように見えた。
本来なら、この時点でダム湖への貯水を諦めるべきであった。しかし、すでに莫大な金額を費やしていた巨大プロジェクトを止める勇気を誰も持たなかった。工事関係者が試みたのは、ダム湖の水位調節によって地すべりの発生をコントロールすることであった。地すべりの規模を推定した上で、ダム湖の模型に土砂を投入する実験をおこない、地すべりで発生する津波高を20メートル程度と予測した。そして、大丈夫と思われた高さまでダム湖の水位を再び上げ始めた。
すると、予想どおり地すべりが動き始めたので、工事関係者たちはダムの上に立って、その様子を観察しようとした。1963年10月9日の夜のことである。しかし、目前で発生した地すべりの規模や速度は予測をはるかに上回り、2億7000万立方メートルもの土砂が一気にダム湖に突入し、発生した津波は推定高の10倍の200メートルに達した。
その結果は悲惨なものであった。津波はダム付近にいた工事関係者だけでなく、ダム湖の周囲と下流にあったいくつかの村を飲み込み、何の情報も与えられていなかった住民2000人以上が犠牲となった。皮肉なことに、ダム自体は津波に耐え、最上部が薄く削り取られた状態で今もその姿をさらしている。最近になって、ダムの上に見学者用の通路が付けられ、犠牲者の出た村々には慰霊施設や記念館が建設され、多くの観光客が訪れている。
このダム災害は、未熟な科学技術をもって自然を甘く見た結果起きた人災である。3.11災害を経験した現代日本にも通じる教訓としてほしい。