静岡新聞 時評(2018年6月6日)
小山真人(静岡大学防災総合センター教授)
さる4月17日、伊豆半島がユネスコ世界ジオパークの認定を受けた。その長い道程の始まりを振り返る。
筆者は1996年から1年間、欧州各地を旅する機会を得た。そこでとくに感銘を受けたのは、自然の恵みと危険性の両方を理解し、それに向き合う住民や観光客の姿であった。一方で、多くの日本人はふだん火山の恵みを享受しているのに、いざ危険が現実化すると火山を忌み嫌い、喉元を過ぎれば火山の存在自体を覆い隠そうとしていた。そのことは伊豆半島も例外でなかった。
帰国した筆者は、函南町や伊東市と協力して数々の普及啓発行事を行うとともに、「火山がつくった伊東の大地と自然-火山の恵みを生かす文化構築の提案」と題する論説を伊東市史研究第1号(2001年)にまとめた。そこには「火山観光都市伊東」などの文字が踊り、ジオパークという言葉こそ未登場だが、観光と防災が融合する理想郷を伊豆半島に作ろうという提案だった。この考えに最初に共鳴したのが、伊東のまちづくりNPO法人の事務局長・田畑みなおさんだった。田畑さんたちの尽力によって大室山のふもとに火山の解説看板が建てられたのは2004年の秋である。奇しくもこの年は世界ジオパークの認定団体が設立された年でもあった。
その後、田畑さんたちは地元の人材育成事業(現在のジオガイド養成講座の先駆け)に取り組み始めた。一方、筆者は2007年から足掛け4年にわたって伊豆新聞に「伊豆の大地の物語」という解説記事を執筆した。こうした活動によって、伊豆に暮らす人々は、足元の大地の恵みや災害についての理解を深めていった。
2008年になると国内にもジオパークがあいついで誕生した。そうした状況を受け、翌年6月に本コラムで伊豆半島のジオパーク化を提案したところ、それが川勝平太知事の目に触れ、県の支援のもとで2011年の伊豆半島ジオパーク推進協議会の設立に至った。その後の経緯は周知の通りである。
田畑さんは惜しくも2015年末に他界されたが、その直前まで次代の人材育成に精魂を傾けられた。今は彼の遺志を継ぐ多くの方々が、伊豆全域で多様な活動を展開している。彼らなくしてジオパークはここまで発展しなかっただろう。そうした方々に対し、今回の認定を心から祝福したい。