静岡新聞 時評(2017年12月22日)

伊豆大島全島避難から31年

 未だ読めぬ次の噴火

小山真人(静岡大学防災総合センター教授)

 全島民約1万人の避難に至った伊豆大島の1986年噴火から、今年で31年となった。この噴火は11月15日に三原山の山頂火口から始まり、21日に全島避難のきっかけとなった山腹割れ目噴火へと進展したが、23日に停止した。その後、1990年10月まで数回の後始末的な小規模噴火が起きたが、1991年以降は一度も噴火せずに現在に至った。
 明治以降の伊豆大島で繰り返された小〜中規模の噴火は、山頂火口からマグマのしぶきを噴水のように吹き上げたり、溶岩を少量流したりするだけの、概して穏やかなものであった。それゆえに、そうした噴火は「御神火(ごじんか)」と呼ばれて観光資源にもなっていた。
 ところが一方で、そうした噴火とは性質の異なる「大噴火」の存在が、地質や古文書の研究をつうじて知られていた。これらの「大噴火」は、島全体に火山灰を厚く積もらせたり、山腹で割れ目噴火を起こして麓まで大量の溶岩を流したりする厄介なものであるが、幸いにして明治以降は起きていなかった。
 1986年11月21日の激しい割れ目噴火を見た専門家たちは、209年ぶりの「大噴火」の発生に立ち会ったと考え、最大級の警戒体勢をとった。ところが、予想に反して1986年噴火は、島全体に火山灰を厚く積もらせることなく、噴出したマグマの総量も明治以降の中規模噴火と同程度のまま、終わってしまったのである。
 この謎を解くために、かつて筆者らは島全体の火山灰の精密な調査をおこない、1986年噴火と似た「中途半端な噴火」が、7世紀の4回のほか9世紀や14世紀にも起きていたことを見出した。つまり、1986年噴火は、当初考えられたほどの謎めいた噴火ではなかった。しかし、こうした噴火の多様性がなぜ生じるのか、次の噴火はどのような噴火になるのかについて、確かな答は未だ導けていない。
 伊豆大島の地下では徐々にマグマの蓄積が進み、次の噴火を準備している様子が観測されている。こうした状況から、専門家の間では過去の研究成果を総括したり、新たな考察を加える動きが出始めている。筆者らも、伊豆大島の噴火の多様性を統一的に説明するモデルを改めて考え、それを裏づけるデータ収集を開始したところである。

 


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