静岡新聞 時評(2016年11月3日)
小山真人(静岡大学防災総合センター教授)
今年4月14日の午後9時26分に熊本県益城町付近の直下でマグニチュード(M)6.5の地震が発生し、震度7の揺れが観測された。この時点では気象庁を始め多くの専門家が通常の本震―余震型の内陸地震が発生したと考え、以後の注意は主に余震に向けられた。気象庁も余震の発生確率を定期的に発表し始めた。余震の規模が本震の規模を超えることは、普通はない。
ところが、その後の展開は驚くべきものであった。1日あまり経過した16日の午前1時25分、M7.3の地震が発生して二度目の震度7が記録されたが、これで終わらなかった。この地震とほぼ同時に70km離れた大分県の由布院付近でもM5.7の地震が起きていたことが後日判明した。さらに同日の午前3時3分に阿蘇付近でも強い地震(M5.9)が発生した*。結局、4月末までに熊本付近から阿蘇を経て由布院に至る広い範囲に、震度5強以上のものだけ数えても12回の地震が発生し、各地に大きな被害がもたらされた。
この地震連発に対して気象庁は当初「観測史上思い当たらない」などと述べたが、日本の地震史をひもとけば数ヶ月から数年の内に同じ地域や隣接した地域で大地震が連発し、単純な本震―余震型の地震とならなかった事例を10以上挙げることができる。今年10月21日の鳥取県中部の地震(M6.6)で注目される鳥取県でも、かつて鳥取市付近で1943年3月4日のM6.2、翌5日のM6.2などの地震連発の後、半年後の9月10日に1083人の犠牲者を出した鳥取地震(M7.2)が発生した。
さらに本震―余震型の地震であっても、本震がM8クラスとなればM7を超える余震が連発することがあり、局地的に本震の震度を超える場合もある。1923年大正関東地震の後に丹沢山地から房総半島沖の範囲で発生した「7大余震」(M7.1〜M7.6)がその例である。
つまり、大地震の発生自体が、その地域の大地に十分な歪みが溜まっていたことの現れであり、その開放の仕方は単純でない。余震がいくつか起きた後にすぐに収まる場合もあるが、なかなか収まらない場合、さらに大きな地震を誘発する場合もある。そのことに留意した上で、防災には柔軟な考え方と対応が必要である。
*新聞紙面では、このM5.9地震が国道57号線とJR豊肥本線を断ち切る大規模な山地崩壊を引き起こしたと書きましたが、その後の検討の結果、直前のM7.3地震が崩壊の原因と考え直しましたので訂正します(2016年11月4日記)。