静岡新聞 時評(2013年1月16日)
小山真人(静岡大学防災総合センター教授)
災害予測の数値に対する頑固な「信仰」が、日本の防災を現実から遠ざけている。こうした予測値を求める「数値シミュレーション」と呼ばれる手法は、自然界で起きる現象の結果を物理法則にしたがって場所毎にコンピュータで計算し、予測地図を作成する。その際には、当然のことながら発生源の規模等の仮定値を入力しないと結果が得られない。こうした値を「初期条件」と呼ぶ。
地震であればマグニチュード、火山噴火であれば噴出量、原発事故であれば放出された放射性物質の総量などが初期条件の一例であるが、これらの正確な値を事前に予測することは困難である。したがって、どれほど計算速度・精度を上げて緻密な結果を得たとしても、その信頼性は低い。ほんの少し初期条件を変えるだけで結果は大きく異なり、時には数字の桁が変わることもある。つまり、予測結果は目安に過ぎず、数値の細かな相違を気にする必要はない。
ところが、見かけだけは精密そうな予測地図が災いして、世間には「数値シミュレーション幻想」とも呼ぶべき、予測値への盲信が蔓延している。たとえば、南海トラフ地震の津波予測高が当初の計算より低いから下田市役所の移転を見直すとか、同じ津波の予測高が19mだから浜岡原発の防波壁(18m)を少しだけ上乗せするとか、緊急防護を必要とする放射性物質拡散の予測距離が30.9kmだから防災対策重点区域(30km)を少しだけ広げるとかは、数値シミュレーションの原理や限界をわきまえない空虚な議論や対応なのだ。数値の額面だけに目を奪われ、他の肝心なことが見逃さないか心配である。
たとえ信頼度が低くても予測値を求める理由は、防災対策の数値目標を設定するためである。予測値にもとづく「最悪の想定」をおこない、それが起きた時の対策を考えるのが防災の基本である。この想定が低すぎれば早晩乗り越えられるし、高すぎれば非現実的な対策費用と時間が必要になる。だから、堤防などの建築物で防ぐことを目標とする想定はそこそこの値にとどめ、それを超える現象は避難によって減災する方針が現実的である。避難が無理な場所は事前移転が原則となる。
国の報告書は、予測値の信頼性や限界についてごく簡単に触れているだけであり、無責任である。住民に頑迷な予測値信仰がある限り、自治体や企業はそれに配慮せざるを得ない。住民みずからが予測結果を読み解く力を身につけ、弾力的な防災・減災の実現をめざしてほしい。