静岡新聞 時評(2012年9月27日)
小山真人(静岡大学防災総合センター教授)
火山独特の美しい裾を引いた富士山の形状は、その不安定さの象徴でもある。噴火のたびに重力に逆らって噴出物が積み上げられた結果、山頂に近づくほど斜面が急になっている。積み上がった火山灰等はもろく、溶岩にも冷却時にできた無数の亀裂が入っている。こうした山は、噴火や地震をきっかけとして大きく崩れることがある。それが「山体崩壊」であり、高くそびえる火山の宿命である。山体崩壊の結果、ふもとに一気に押し出される大量の土砂を「岩屑(がんせつ)なだれ」と呼ぶ。
2900年前に富士山は東側に向かって山体崩壊を起こした。もし同じ現象が今この瞬間に発生すると、およそ40万人が被災する大災害をもたらす。岩屑なだれの速度は時速200キロ以上、予知なく起きた場合の避難は不可能である。さらに過去にさかのぼると、東側・南西側・北東側にそれぞれ3〜4度ずつ崩壊した証拠が見つかっている。南西側への山体崩壊は、駿河湾に津波を引き起こした可能性もある。山体崩壊の頻度は、富士山全体で平均5000年に1回である。崩壊のたびごとに富士山は醜い姿となったが、その後も繰り返した噴火によって美しい形状を再生させてきた。
5000年に1回という頻度の小ささゆえに、現行のハザードマップにおいて山体崩壊は「想定外」とされ、噴火時の避難計画に組み込まれていない。しかし、発生頻度が小さいからと言って、それに全く備えないとどうなるかを見せつけられたのが、東日本大震災と福島原発災害である。
1707年に起きた富士山宝永噴火の際、火口のわきで宝永山が盛り上がったことを忘れてはならない。もう少し噴火が続けば宝永山がさらに隆起し、ついには山体崩壊する可能性もあった。つまり、5000年に1度の現象とはいえ、その「未遂」事件は歴史時代にも起きていたのだ。宝永山隆起と同じ現象が次の噴火で起きれば、ふもとの広い範囲の住民は大事をとって避難せざるを得ないだろう。しかし、そうした多数の住民を、地元の避難所以外の遠隔地にすばやく避難させる計画は、現時点では存在しない。
地震の揺れでいきなり発生する山体崩壊には手の打ちようがないが、噴火中に山が隆起するなどの前兆をともなう山体崩壊は予知できる可能性が高い。予知できた場合に備えて山体崩壊を「想定外」としない富士山の避難対策が、いま求められている。