静岡新聞 時評(2011年8月16日)
小山真人(静岡大学防災総合センター教授)
福島第一原発の事故にともなう放射性物質の微粒子を含む雲が、気流に乗って3月15日の10時半頃と21日の21時半頃に静岡市に到達した。このことは、静岡県が公開しているモニタリングポストのデータからわかる。こうした微粒子のその後の挙動は、国内各地の状況報告ならびに筆者が学んできた火山灰の堆積プロセスや鉱床学の応用問題として、ある程度類推できる。幸いにして15日の雲はそのまま通過したが、21日夜の弱い降雨とともに微粒子の一部が地上に落下した。それらは全体として微量であっても、風や雨によって二次的に移動し、やがて局所的に「濃縮」する。都市部では建物や路面などから洗い流されて排水路の汚泥や苔などにたまる。草地や森林では落ち葉や土壌に吸着され、一部は葉や根から植物の体内に吸収される。おそらく県内産の茶葉の汚染はこうして起きたものである。今後も他の農作物、林産資源、動物など、濃縮の恐れのある物への厳重な監視を続けてほしい。
検出された値が暫定規制値以下でも、そのことだけで「安全」が保証されるわけではない。そもそも暫定規制値自体が非常時に限った高目の値である。また、しばしば「その食材を1年食べ続けても安全」などと説明されるが、人間は様々な食物を摂取しなければ生きられない。国民ひとりひとりが自身の被曝総量を考えて暮らさなければならない状況となった今、食材一品目だけを仮定した説明は意味をなさない。そもそも低線量被曝の人体への影響については、原爆やチェルノブイリ事故などの限られた研究事例しかない。にもかかわらず、統計学的証拠が見出されていないことを「安全」と言い換える学者には不信感を覚える。証拠が見出せないということは、安全か危険かの判定はできないということである。
筆者が携わる火山防災の分野では、数々の苦い経験によって、こうした不明確なリスクをどう伝えるかについて一定の知見を得てきた。また、食品や健康の危機管理の研究者とも交流を積んできた。そこから得られたものは、すべての事実を包み隠さず誠実かつすみやかに伝え、住民との信頼関係を築くことが最良の選択ということである。また、判断の難しいデータも、自分たちの都合で伏せたり勝手な解釈を与えたりせず、十分な説明をした上で、あとは住民の判断や選択に任せることが肝要である。
こうした視点から言えば、放射能に対する県内自治体のこれまでの対応は問題の多いものであった。データの測定や公開に消極的で、全数検査や出荷停止・全額補償などの思い切った手をなかなか打たず、生産者や経済のことを最優先に考え、世界中の消費者との信頼関係を損なった。また、安全を連呼し、積極的摂取を呼びかけるキャンペーンまで企画して住民に同調圧力を加えた。危機管理の視点からいえば、こうした行動は短慮かつ逆効果だったと言わざるを得ない。今後はこうした姿勢を猛省し、本来は協力してこの危機を乗り越えるべき生産者と消費者の間の信頼関係を、改めて築き直してほしいと切に願う。