静岡新聞 時評(2011年5月18日)
小山真人(静岡大学防災総合センター教授)
東日本大震災に関して、どうしても許せないことがある。それは福島原発災害に関して、政府や一部のマスメディア・団体・企業等が明らかに情報操作をした(している)ことである。ここで「情報操作」とは、情報の隠蔽・制限・自粛・遅延・矮小化・不明確化などの実施・要請・容認のすべてを指す。そして、その理由については「パニックを防ぐため」と説明されることが多い。
しかしながら、災害情報が深刻なパニックを引き起こした事例はきわめて稀である上に、実際に警報として伝えても思ったほどには避難してもらえない実態が、長年の研究によって明らかになっている。つまり、災害情報=パニックという固定観念は、誤った思い込み(パニック神話)である。
そもそもパニックは、危機的状況の認識、逃げ道の不足の認識、情報不足、の3つすべてが成り立たないと発生しない。逆にこのことを利用し、必要な情報を迅速に伝えることによって、3つめの発生条件「情報不足」をつぶしてパニックを防止できる。こうした学理は、災害情報の発信に携わる研究者の間で10年以上前から常識となっており、行政担当者やマスコミ関係者にも伝えられてきたはずだが、残念なことに未だパニック神話は克服できていない。
情報操作がなぜいけないのかは明白である。まず、情報不足こそが住民に不安や混乱を与え、さまざまな噂の発生を招く要因となる。噂が情報不足を埋める形で「創作」されることも、心理学的によく知られた事実である。さらに、SPEEDI(緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム)の結果の公表遅れに代表されるように、情報操作の事実が後から次々と明るみに出たために、情報発信者と受け手の間の信頼関係が台無しとなっている。もはや住民は、行政が出す情報をおいそれと信用できないのである。
具体的なデータや根拠を示さずに、いたずらに安全性を強調する行政担当者や専門家、それを何の批判もなく右から左へと伝えるマスメディアが多いことにも呆れた。こうした姿勢は、かえって住民の不安をかきたてるだけである。そもそも本当に安全かどうか、どこまでのリスクを許容できるかを決めるのは、あくまで個々の住民である。情報発信側がすべきことは、具体的なリスクを不完全な形であっても包み隠さずに提示し、それを誠実に解説することであり、勝手な解釈を押しつけることではない。
災害の抑制・軽減のためには、行政・専門家・マスメディア・住民が強い信頼関係で結ばれていることが基本であるが、いまやそうした信頼関係は当分修復の見込みがない。しかしながら、広範囲に撒き散らされた放射性物質が未だに残り、原発も安定せず、大規模余震も心配される中、すみやかに上記4者が心を開いて対話していくしかないだろう。