静岡新聞 時評(2010年3月23日)
小山真人(静岡大学防災総合センター教授)
日本時間の2月27日15時半ころ、南米チリの沖合で発生したマグニチュード(M)8.8の超巨大地震にともなう津波が、はるばる太平洋を越えて翌28日午後から日本の沿岸を襲い、人命の損失こそ無かったものの、養殖業関係を中心に大きな被害をもたらした。歴史をひもとくと類似した事件がいくつか見つかる。たとえば、1700年1月に北米西海岸の沖で発生した地震(M9.0)で発生した津波が、江戸時代の三陸海岸や三保付近に被害を与えた事件が有名である。最近では1960年のチリ津波がある。この津波は、今回の震源域の南隣りで発生したM9.5という途方もない地震によるものであり、日本沿岸の波高が場所によっては3メートルを越え、三陸海岸を中心に死者・行方不明142名という惨事をもたらした。
津波の波高を正確に予測することは難しい。まず、地震発生にともなう海底の変形を迅速かつ正確に知る必要があるが、地震の観測データから間接的に推定するしか方法がない。さらに、津波の挙動は伝搬経路上にあるすべての海底地形の影響を受けるが、今回の場合は地球の裏側から計算しなければならない。太平洋上の島々での波高を、日本の波高に単純に置き換えることもできない。なぜなら、津波は丸くて広い太平洋の全域にいったん拡散した後、対岸の日本付近に再び集まるからである。また、津波は半日程度はくり返し襲ってくる現象で、後から来る波の高さが第一波の数倍になることが普通にある。さらに津波の波高は、到達地点の海岸や海底の地形に大きく依存するため、隣り合う海岸で数倍異なることもざらである。ハワイや小笠原での数少ない波高報告の、しかも第一波の高さによる素人判断は禁物である。
こうした津波の性質や予測の幅、1960年チリ津波の経験から判断すれば、警報を出した気象庁、夕方の満潮時が過ぎるまで海岸路線を停めた鉄道や道路、海岸地域の住民に避難勧告・指示を出した自治体の対応はおおむね適切であり、決して過大ではなかった。しかしながら、一部の自治体や住民の反応には失望させられた。長らく津波被災の経験のない人々は日常から非日常への思考転換に失敗し、避難の判断をためらう自治体や住民が続出した。たとえば、津波に対して圧倒的に不利な地形をもち、過去に何度も大被害を受けてきた下田市が避難勧告を出さなかったことは信じがたい。県内の被害が軽微だったことは結果論に過ぎない。県内での予測が最大2メートル程度、実測値が1メートル以下という波高の小ささが油断を招いた可能性もあるが、津波は海と陸の標高が一時的に逆転する現象であり、流れが高速で漂流物も多く、荒天時の高波の波高と比べること自体がナンセンスである。さらに、気象庁の事後対応もきわめて不適切である。本来なら予測過程の詳細を開示した上で、津波の性質や精度の現状に対して堂々と理解を求めるべきなのに、「謝罪」会見をするとは筋違いも甚だしい。こうした行政や住民の対応は徹底的に検証・反省されなければならない。いずれまた津波はやってくる。