静岡新聞 時評(2008年2月6日)
小山真人(静岡大学教育学部教授)
江戸時代の1707年に起きた富士山宝永噴火について、12月11日の本コラムで解説した。宝永噴火は、同じ年に起きた宝永東海地震のわずか49日後に始まったという点でも、特筆すべき事件である。古記録をひもとくことにより、宝永東海地震の発生前後から富士山の山中で火山性とみられる小地震が起き始め、やがてその一部がふもとの村で鳴動として感じられたことがわかった。そして、噴火の前日午後から激しい群発地震が起き始め、翌日の噴火開始に至った様子が明らかとなっている。こうした経過から、1707年の事例においては東海地震と富士山噴火が、何らかの力学的因果関係によって連動して発生したと判断できる。
しかしながら、宝永地震に先立つ1703年元禄関東地震の直後にも富士山から鳴動が聞こえたとする記録が残されているが、このとき富士山は噴火にまで至らなかった。さらには、1854年安政東海地震や1923年大正関東地震を始め、富士山の近くで起きる大地震が富士山の火山活動に何らかの変化を与えたと疑われる例がいくつかあるが、宝永東海地震のように確実に富士山噴火と連動したと言いきれるものは見つかっていない。しかも、大地震はいつも火山活動を高めるわけではなく、逆に低下させて噴火を先延ばしさせる場合もあることが理論的にわかっている。そもそも大地震と火山噴火は独立の現象であり、両者は互いの助けがなくても、それぞれ勝手に活動を続けられる。
以上のことから、1707年の事例では、富士山の地下のマグマが噴火の準備をすっかり整えていたところに、たまたま東海地震が発生し、噴火への最後のひと押しをしたとみるのが自然である。だから、将来起きる東海地震が、必ず富士山噴火の引き金を引くというわけではない。
しかしながら、江戸時代と異なり、現在の富士山には高感度の機器観測網が展開されている。将来、富士山の近くで大きな地震が生じた際に、こうした観測網が富士山の火山活動の高まりを検知する可能性は十分にある。そして、たとえ噴火に至らなくても、そのような富士山の火山異常は社会に大きなインパクトと混乱を与え、場合によっては風評被害を引き起こすだろう。つまり、噴火がなくても、地元は地震とのダブルパンチを受けるわけである。そのような事態に至らないために、火山活動が静穏な今こそ、火山としての富士山の正しい理解を市民に広めるとともに、いざ異常が生じた際に正確な情報をすばやく調査・広報する体制の整備を図っていく必要がある。