静岡新聞 時評(2007年12月11日)

宝永噴火300年

  12月16日を火山防災の日に

小山真人(静岡大学教育学部教授)

 今年12月16日は、富士山宝永噴火の開始から、ちょうど300周年にあたる。宝永噴火は、江戸時代の宝永四年十一月二十三日(新暦で1707年12月16日)の正午前から富士山の南東斜面で始まり、その後は消長をまじえながら約16日間継続し、1708年1月1日の未明に終了した。噴出したマグマ総量は実に7億立方メートルに達し、過去3200年間の富士山の噴火史上2位の規模である。南東斜面の7合目付近には現在も特大の火口(宝永火口)が残されており、新幹線の車窓からもよく見える。
 宝永噴火の特徴は、噴出したマグマのほとんどが粉砕され、火山れき・火山灰まじりの噴煙となって立ち上ったことである。この噴煙は、それ自身がもつ莫大な熱量によって膨張しつつ成層圏にまで上昇し、冬のジェット気流にあおられて富士山東麓から九十九里浜沖に至るまでの広い地域に火山れき・火山灰の雨を降らせた。降りつもった厚さは東麓で2メートル以上、江戸でも4センチに達した。
 この甚大な降灰は、家屋の倒壊や農地の埋没を引き起こし、噴火後は土石流や洪水を誘発し、耕作不能による飢饉もあいまって、数十年の長きにわたって人々を苦しめた。仮に宝永噴火が現代社会を襲った場合、道路・鉄道網の麻痺、電線の寸断による停電、空港閉鎖、コンピュータや通信の異常など、江戸時代には起きえなかったさまざまな被害を引き起こすと予想され、被害額は最大で2兆5千億円と見積もられている。
 幸いにして、富士山の長い噴火史上、宝永噴火の規模と激しさは特殊と言うべきものである。富士山は、その山体の大きさに似合わず、実はおとなしい火山であり、小規模かつ穏やかな噴火が圧倒的に多い。しかしながら、現代火山学の理解では、火山の地下にはマグマが少しずつ供給され続けており、それがマグマだまりに蓄積し、いつかはその蓄積量に見合った規模の噴火が起きる。事実として、平安時代の864年に起きた大規模噴火から宝永噴火までの約840年間の富士山の噴火活動は低調であり、その間にためたツケを宝永噴火でまとめて払わされた形跡がある。
 そして宝永噴火以来すでに300年間、時おり起きる火山性の地震以外は、富士山の火山活動はきわめて低調である。この間に蓄積したマグマが次の噴火で一気に放出されることを、防災上は覚悟しておかなければならない。富士山麓の自治体は12月16日を火山防災の日と定め、現在は活火山指定されている富士山への理解を深める日とすることを提案したい。


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