静岡新聞 時評(2007年8月22日)

リスク情報をどう伝えるか

  住民との信頼関係が鍵

小山真人(静岡大学教育学部教授)

 人間社会は,事故・災害や有害物質などのさまざまなリスク(危険性)にさらされている.専門家はリスクに関する知識や情報をいち早く知ることができる立場にあり,それらを一般市民にわかりやすく伝える責任を負っている.しかしながら,専門家と市民それぞれの基礎知識・経験には大きな差があるため,リスク情報を市民に誤解なく伝達することは難しい.
 中でも,発現する確率が非常に小さい(しかし,いったん発現すれば大きな災厄をもたらし得る)リスクの情報について専門家と市民が相互理解し信頼関係を築くことには,しばしば特別な困難がともなう.地震・火山噴火・突発的環境汚染・原子力事故などの,まれにしか起きない災害においては,(1)情報が風評被害を生み,地元経済にダメージを与える,(2)情報がパニックを起こす恐れがある,(3)対策の目途がたたないリスクの存在が知れ渡るのはまずい,(4)基礎知識が十分でない一般市民には,そもそも情報を誤解なく伝えることができない,などの理由によって情報発表が自粛されたり,圧力がかかって公開が妨げられたりするケースが実際に存在する.
 これらの理由の多くは専門家側の勝手な幻想であるが,そうした情報隠匿の事実が明るみに出ると,専門家と市民の間の信頼関係が大きく損なわれ,回復に長い年月がかかることになる.
 一方で,「この技術は絶対安全」などの言い回しで,専門家側が住民を説得しようとする例をよく見かける.しかしながら,どんな技術でもリスクがゼロということは本来ありえないし,不確実性も避けられないので,そうした説明は単なるまやかしか気休めに過ぎない.もっとも大切なことは,その技術によるリスクがベネフィット(恩恵)に比べて十分小さいことと,万が一の場合の対応方策が説明された上で,その技術の受容と普及について社会的合意がなされることである.
 しかし,最近の東京電力柏崎刈羽原発の例を出すまでもなく,この理想にほど遠いのが日本の原子力施策とそれを取りまく状況である.リスク情報の共有法の研究で名高い吉川肇子さん(慶應義塾大学)は,著書の中で次のように語っている.「リスクがどの程度の確率で,また,どの程度の被害をもたらすかということの評価だけで,人々はリスクを受容するかどうかを決めるのではない.むしろ,リスク管理が信頼できるかどうかによって,そのリスクを受容するかどうかが決まる」.すべての原子力関係者の胸に刻んでほしい言葉である.


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