静岡新聞 時評(2003年2月5日)
小山真人(静岡大学教育学部教授)
災害というものの特質を,その規模と進行速度を手がかりとして考えてみよう.まず災害の規模については,ころんでケガをするなどの極小規模から,小惑星衝突のような巨大規模のものまでが知られている.次に進行速度については,落雷などの瞬間的災害に始まり,地球温暖化など何百年もかけて進行するものまでがある.このように災害の規模と進行速度は,実に広い幅をもっている.
これらのうち,私たちが通常「災害」として認識し,その対策を講じているものは,比較的進行速度が速く,規模も限定的なものである.それらの例として,地震,風水害,火事,航空機事故などがある.進行速度の遅い災害は,地球規模の環境破壊がようやく最近問題とされてきたことからもわかるように,通常は災害として認知されにくい.一方で,大規模災害の認知も遅れがちである.なぜなら,一般に規模の大きな災害ほど発生頻度が低い(つまりは起こりにくい)からであり,それゆえ人々の記憶から忘れ去られやすいのである.地震災害や津波災害などは,個々の地域にとって数十年から100年に一度程度しか起きないため,防災意識の風化が問題となっている.
しかし,さらに発生頻度が小さく,つまりは規模も巨大である災害が,実際に何度も起きてきた現実を忘れてはならない.地球上において,そのような巨大災害のほとんどは火山噴火に関係したものである.例えば,三宅島では3000年に一度程度しか起きないはずの災害が,現実に発生してしまった.三宅島のハザードマップは,このような低頻度災害を想定していなかった.その反省もあって,富士山では過去3200年間の噴火履歴を見渡したハザードマップ作りが進められている.
しかし,さらに過去に遡れば,それ以上の低頻度かつ大規模な噴火事例の存在が,あちこちの火山で知られている.この規模の噴火になると,その影響は山麓だけにとどまらず広域に及ぶことになる.起きる可能性は小さいが,起きた場合の損失は計り知れない.このような噴火災害への懸念は,これまで火山学者だけの脳裏にあった.ところが,昨秋刊行された「死都日本」(石黒耀著,講談社)という近未来小説には,1万年に一度程度しか起きないはずの巨大噴火に直面した日本社会の混乱や必死の対応が緻密に描き出されており,ショックを覚えた.このような低頻度巨大災害をどう考え,どのような行動を起こしていけばよいかを真剣に考えるべき時が来たのかもしれない.