静岡新聞 時評(2007年5月10日)

2分続く本震,1年続く余震

  東海地震,正しくイメージを

小山真人(静岡大学教育学部教授)

 東海地震はマグニチュード(M)8の巨大地震とよく言われるが,M8級の地震にともなう現象を正しくイメージできる人は,いまだに少ないだろう.
 M8級の地震は,さしわたし100キロメートルに及ぶ長大な震源断層面が破壊して生じるため,静岡県内が破壊的な揺れに襲われる時間は1分半から,場合によっては2分を超える.M8の本当の恐さは揺れの長さなのである.しかもM8級特有の長周期震動をたっぷりと含むから,超高層ビルや石油タンクなどの巨大建築物はさらに長い時間揺れ続けることになる.阪神・淡路大震災を起こした地震(M7.3)の揺れが,たった10数秒で終わったことを思えば,永遠にも思われる恐怖の時間であろう.まずこの過酷な長い時間を生き延びなければならない.駿河湾沿岸では,この揺れが収まらないうちに津波に襲われる場所もある.文字通り這ってでも高い場所に上らなければならない.
 そして,この長い本震が終わった後,世界は一変したかのようになる.間髪を入れずに余震が数限りなく続くのである.大地震は,たまりきった巨大な歪みを解放しつつも,逆に震源域の地殻のあちこちに解消しきれなかった大小の歪みをため込む事件でもある.そのような局在化した歪みが,本震の後,長い時間をかけて少しずつ解消されていく現象,それが余震である.
 そうは言ってもM8級の本震ともなれば,M7級の余震を何発も伴うのが普通である.つまり,余震と言いながらも,そのひとつひとつが横綱級の内陸地震に匹敵する規模をもつのである.こうした余震が,本震で被災した地域のあちこちでゲリラ的に発生していくのだから,たまったものではない.本震の揺れだけを考えた対策は,ほとんど役に立たないと言い切れるだろう.「数刻を経ても震なお止まず」,これは887年仁和(にんな:ルビ)東海地震の発生直後の京都の様子を描いた記録である.震源域から遠く離れた京都でも,余震の揺れが何時間も感じられた様子がうかがわれる.
 こうした余震の数は,時間とともに急速に減少する.しかし,1年ほどは油断禁物である.1854年安政東海地震の最大余震(M7.0)は,本震から約10ヶ月という長い時間を経た1855年11月7日の日没後に生じた.その結果,本震からの復興途上にあった静岡県西部の広い範囲に大きな被害がもたらされ,とくに袋井と掛川では震度7で家屋はほぼ全壊という惨状を呈した.
 東海地震は,その揺れ方だけをとってみても,あなたが考えているより,ずっと長く過酷な現象なのである.


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