静岡新聞 時評(2007年1月30日)
小山真人(静岡大学教育学部教授)
富士山は,世界有数の美しい円錐形をもつ大型火山であるが,古来から今の形をしていたわけではない.かつては,東西2つの高まりをもつ双子峰(ツインピーク)であったと聞けば,あなたは驚くだろうか.現代火山学が解明した富士山の形状変化の歴史の一端を紹介しよう.
富士山は10万年前に誕生し,その後噴火のたびに成長を続けてきたが,当初の山頂の位置は現在よりもやや東側にあった.1万1000年ほど前になると,山頂火口が西に移動し,現在の位置となった.その後,8000年前までの間に山頂付近から大量の溶岩(旧期溶岩)が流出して広い範囲をおおい,その一部は遠く富士川河口や三島市の中心部にまで達した.ところが,なぜか東側の御殿場市・小山町方面にはいっさい流れていないのである.この謎は,当時の山頂の東側に古い山体の高まりが残っていて,旧期溶岩がその障害を乗り越えられなかったとすると説明可能である.つまり,かつての富士山は,東に噴火をやめた古い峰,西にたびたび噴火する新しい峰が並び立つツインピーク火山だったのだ.それはそれで,さぞかし見事な眺めであったろう.
しかし,東側の古い峰は,2900年前に起きた大崩壊によって崩れ去ってしまった.現在の御殿場市街は,この時崩れた土砂の上に建てられている.この土砂の9割以上が,かつての東の古い峰をつくっていた岩石である証拠が得られている.この大崩壊によって,富士山の東斜面には,大沢崩れよりも深い谷間が刻まれたはずである.しかし,西側の峰はその後も噴火を続け,この谷間を新しい噴出物で埋め,現在の美しい円錐形山体へと,すっかり修復してしまった.
さらに過去にさかのぼると,富士山はおよそ1万年に一度程度,このような崩壊と修復をくり返してきたことがわかっている.私たち日本人は,たまたまひとつの修復作業が終わったタイミングに文明を築き,今の美しい富士山の形を愛でているのである.しかし,現在のその姿は,変わりゆく自然の一面であることを忘れてはならない.
昨年11月21日の本コラムで紹介した,近未来の富士山噴火を扱った小説「昼は雲の柱」(石黒耀著,講談社刊)は,この富士山の形状変化のことを,実に巧妙にストーリーに組み込んでいる.小説の中身に関する質問を受け付けるページ(
http://sakuya.ed.shizuoka.ac.jp/qa/ )も立ち上げたので,ぜひ一読し活用してほしい.