静岡新聞 時評(2006年9月20日)

火山噴火,降灰の怖さ

  避難時はマスク不可欠

小山真人(静岡大学教育学部教授)

  7月25日付の本コラムで,映画「日本沈没」(リメーク版)を地震・火山専門家の立場から肯定的に評価しつつ紹介した.その後ご覧になった方も多いと思うが,誤解を招きかねないシーンもあったので,若干の苦言を呈しておくことにする.
 私がもっとも違和感を覚えたのが,火山噴火にともなう降灰の描き方である.物語前半の阿蘇山が噴火して巨大火砕流が熊本市街を襲うシーンは,かつて小説「死都日本」(石黒耀著,講談社刊)で描かれたようなカルデラ火山の破局的噴火の一端をリアルに映像化したものであり,その点は高く評価できる.しかしながら,「死都日本」では広範囲に厚く積もった火山灰の深刻な被害が国家の存亡まで左右するストーリーが緻密に描かれていたのに対し,新作「日本沈没」では阿蘇山噴火に限らず,全編を通して降灰は単なる飾りのような軽い扱いを受けている.日本中の火山が噴火しているのに,東京を始めとする各地の場面では陽光がふりそそぎ,青空や夕日が見えている.火山灰は雪のようにちらついているだけで,そこにいる人々はマスクもせず,降灰を苦にしている様子は全くない.降灰の中で航空機も車も自由に動き回っている.おそらくこの映画でもっともリアリティーを欠いている部分である.33年前の旧作「日本沈没」では,富士山噴火の降灰の中を避難する人々はきちんとマスクをしていたから,明らかな後退である.
 大規模な火山噴煙は成層圏のジェット気流にのって高速で数百キロ離れた遠方にまで移動・拡散し,それに覆われた地域は昼でも闇夜のようになる.噴煙の中では激しい雷が連続的に鳴り響く.空を覆う噴煙からは間髪を置かずに火山れき・火山灰の落下が始まり,それが激しい場合は目や口を開けていられなくなる.火山灰粒子は,名前から想像されるような燃えかすではなく,その実体は鋭利な岩のかけらであるため,吸い込んだ場合は気管支や肺をひどく痛め,長期にわたって健康を害する原因ともなる.火山灰は雪より重く,とくに雨で湿った火山灰の重みは木造家屋を簡単に倒壊させる.降灰した山林では,わずかな降雨によっても土石流が発生する.川に流れ込んだ火山灰は河床を上昇させ,洪水を発生させる原因となる.道路では車をスリップさせ,航空機のエンジンを壊し,電線を断ち切り,農作物や水源をダメにする.このように,降灰は火山から遠く離れた地域にまで,ありとあらゆる災いを与えるのである.決して火山灰を侮ってはいけない.


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