静岡新聞 時評(2002年11月27日)
小山真人(静岡大学教育学部教授)
来年春の完成をめざした富士山の初めての火山ハザードマップづくりが進みつつある.今年6月に出された中間報告においては,山麓の任意の地点が,最悪の場合どのくらいの時間で溶岩流に襲われるかを試算した地図が示された.今年度は火砕流や土石流に対しても同様の図が公表される予定である.
これらの図は一見ショッキングなため,様々な誤解を受けやすい.たとえば,富士山麓全体が危険度別に塗色されているのは,火口が開く位置をあらかじめ特定できないためであり,四方八方に同時に溶岩流が流れ下るような事態はありえないので安心してほしい.そもそも富士山の噴火頻度自体が,東海地震や風水害などの,他の多くの自然災害より低い点を忘れてはならない.自分の住む土地が災害に強いか弱いかを考えるためには,特定の予測図面だけにとらわれることなく自然災害全体をバランスよく見ることが大切である.
火山の噴火は時に地元社会に深刻な影響を与えるが,その発生頻度の低さゆえに,危険性の社会的認知は遅れがちだった.有珠山や三宅島の噴火災害があって,ようやく火山のリスクを定量的に検討・対策する機運が盛り上がった結果,いま全国の主要火山の地元自治体でハザードマップ作成が急速に進められている.富士山の隣の活火山である箱根山でも,今年秋にハザードマップ検討委員会が立ち上がり,再来年春の完成をめざした作業が始まっている.
ただひとつだけ取り残された感があるのが,平成元年の伊東沖海底噴火で知られる伊豆東部火山群である.観光への悪影響を心配した結果だとは思うが,近年噴火を経験しながら未だハザードマップが検討すらなされていない火山は,日本中でここだけとなってしまった.
しかし,伊豆東部火山群は,他に代え難い豊かな恵みを地元に与えてきた点も忘れてはならない.最近のハザードマップには危険情報だけが前面に出たものは少なくなり,火山の恵みの情報や自然散策マップなどを含む親しみやすいものが次々と考案され,郷土教育やまちづくりのための知的・文化的財産となりつつある.ハザードマップは,万一の場合の住民や観光客の安全をはかる役目だけにとどまらず,平穏時には火山ならではの美しい風景や造形に目を向けた観光,教育,地域振興のための基礎情報としても必ず役立つはずである.
伊豆東部とよく似た状況にあるフランスのオーベルニュ州の火山観光への取り組みが参考になる.関係者の意識転換を期待したい.