静岡新聞 時評(2002年9月19日)
小山真人(静岡大学教育学部教授)
地震防災の先進県と言われて久しい静岡県では,さまざまな防災対策が進められてきている.しかし,あまり目立たないが,依然として根本的な解決策の見出されていない問題点があることを忘れてはならない.その中のひとつとして,発生頻度自体が低い災害に対しては,市民の防災意識が時間とともに低下することが避けられないという問題がある.日本や世界のどこかで実際に被害地震が起き,その悲惨さが伝えられることによって,いったんは防災意識が回復することがあっても,再び時間とともに急速に低下していくのが普通である.住民の防災意識が低下したままでは,せっかくの防災対策も絵に描いた餅となってしまう恐れがある.
これまで行政は,この防災意識低下を最小限に押しとどめるために,災害に対する危機意識・恐怖感を利用してきた.つまり,手を変え品を変え「地震という脅威の存在を忘れるな」という警告をつねに与えることによって,市民の防災意識を維持しようとしてきたのである.これこそが,従来の日本の防災啓発・教育の基本路線のひとつだったとも言ってよいだろう.
しかし,「強すぎる脅しが逆効果をもたらす」という有名な心理学の説得研究の成果が示唆しているように,弱い脅しであってもそれが長期間マンネリ化して継続された場合,逆に受け手の拒否反応を招いてしまうことがあると筆者は考えている.現に,静岡県民の多くは,口に出すことはめったにないが,繰り返される防災啓発の掛け声に辟易としている面があると思う.それは,静岡県で生まれ育った筆者自身が,以前より感じていることでもある.
このような「脅し」に頼らないで防災意識を維持する方法は,多くの市民に自然の営みそのものに継続的な興味をもってもらう以外にないと考えている.地震や噴火に限らず,すべての自然現象は恵みと災害という表裏一体の二面性を備えている.また,火山の噴火や河川の洪水がもたらした大量の土砂が,裾野や下流に広く豊かな平野を作ってきたように,短期的には大きな災害を招く現象が,長期的には人間社会に大きな恵みをもたらしている例が多々ある.
このような自然に対する深い理解を推し進め,それにもとづいて防災意識を喚起していく方針や施策を立案できないだろうか.まずは現在の学校や社会における防災教育・啓発の思想や枠組みを,根本的に改めることから始めてほしいと思う.具体案は,別の機会に提案・実践していきたい.