日本災害情報学会ニュースレター,No.12(2003年1月)

災害教育における一流の演出の重要性

 

小山真人(静岡大学教育学部教授)

 かつて私は,地球惑星関連学会2000年合同大会の地学教育セッションに招かれ旧来の防災教育の再考に関する講演(http://www-jm.eps.s.u-tokyo.ac.jp/2000cd-rom/pdf/ad/ad-007.pdf)をした際に,「従来の普及書・解説ビデオ等には堅くて地味なものが多すぎる.大きくかつ永続的な効果を得るためには一流の演出が必要である.とくに芸術家・文学者・マスメディアとの共同作業はよい結果を生みだすに違いない」と書いて,従来の教材の演出面での未熟さを嘆いたことがある.「稲むらの火」が現在もなお高く評価されるのは,文学作品としての秀逸さがあるためと考える.「日本沈没」のような啓発色の弱い娯楽作品であっても,当時の若者の進路に多大な影響を与えたこと(今の30〜40 代の地震・火山学者に,この作品がきっかけで進路を選択した者が多い)は注目に値する.

 しかし,私たち学者が,実際にそのような一流の演出を得る機会は稀である.最近,富士山のハザードマップに関連した解説書を一般市民向けのソフトな形で編集・刊行する機会を得たが(集英社刊「富士を知る」),従来の解説書の枠組みを大きく越えることはできなかったと思う.

 ところが,講談社から最近刊行された「死都日本」という小説には心底驚かされた.一般に火山噴火は大規模になるほど発生頻度が小さくなるため,地質学的事実として知られていても現代社会がまだ体験したことのない巨大噴火が存在する.この作品は,日本列島全体で1万年に1度程度しか起きない規模の噴火が現実に南九州で起きてしまった時,どのような現象が起きるか,そして社会がどう対応するかを精密にシミュレートした近未来小説である.とくに火砕流に関連する現象の描写には,まるで見てきたような現実感がある.災害に関する知識の有無で人の運命が分かれることもよく表現されている.作者は非専門家のため火山学的に見ると疑問の箇所は数多くあるが,秀逸な教材が労せずして得られたとみるべきであろう.この作品を題材としたシンポジウム開催を真剣に考えるべき時と思う.

 


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