小山真人(こやま まさと) 静岡大学防災総合センター(火山学、災害情報学)
福島原発災害に関して、政府や一部の研究者・マスメディア・団体・企業等が情報制限をおこない、その理由について「パニックを防止するため」と説明した。ここで「情報制限」とは、情報の隠蔽・選別・遅延・矮小化・不明確化などの実施・要請・容認のすべてを指す。こうした行為や理由づけが、いかに不当なものであるかを説明しよう。
たとえば、細野豪志首相補佐官(当時)は、SPEEDI(緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム)の情報をすみやかに公開しなかった理由について、「市民に不安を与え、パニックが起きるのを恐れたため」と説明した(5月3日付毎日新聞など)。3月18日と4月11日付の日本気象学会理事長メッセージは、「不確かな情報を公開したとすれば、万が一の緊急時に大きな社会的混乱を引き起こすことが懸念され」ることを理由に、放射性物質の拡散シミュレーションに関する研究成果の公表自粛を会員に呼びかけた。当事者から直接見聞した例も挙げておこう。4月下旬に筆者のもとを訪れた在京TV局の担当記者は、「3月11日以来、原発事故に関して本当のことを調べてきても、パニック防止を理由に報道を自粛させられる」と語った。
しかしながら、災害に関する情報がパニックを引き起こした事例は、世界的に見てもきわめて稀である。それどころか、深刻な内容の情報が公的機関から警報として伝えられても、思ったほどには危機感をもたれず、避難に結びつかない実態が長年の研究によって明らかになっている。つまり、災害情報=パニックという固定観念は、誤った思い込み(パニック神話)である。突然の警報によって群衆が狂ったように逃げ惑う等の場面は、映画などによって刷り込まれた悪しき幻想なのだ。なお、パニックという言葉は日常的に使われて広い意味をもつようになったが、本来の心理学的な意味は、突然の大きな恐怖にかられて理性を喪失した極限状態を言う。ここではそうした狭い意味で「パニック」を用いる。
こうしたパニックが稀にしか起きない理由は、しばしば正常性バイアスによって説明される。正常性バイアスとは、目の前にある危険を平常の範囲内と誤認識することであり、人間の誰もが多かれ少なかれ備えている。一方で、人間は危機的状況にあっても互いに対話・協調することによって理性を失わない、つまり本来パニックを起こしにくい存在だとする研究成果もある。
いずれにしてもパニックは、(1)緊急かつ重大な危険の認識、(2)閉じられそうになっている限られた脱出路の認識、(3)状況についての情報不足、の3条件すべてが揃わないと発生しないとされている。このうち、危険そのものや脱出路の状況は改善困難なことが多いが、情報不足は比較的容易に解消できる。つまり、必要とされる情報を迅速に伝えることによって第3条件の「情報不足」をつぶせば、パニックを防止できる。
こうした知見は、災害情報の発信に携わる研究者間では常識であったが、他分野の研究者・行政担当者・マスコミ関係者には共有されていなかったようだ。危機管理の視点から見れば、先に挙げた政府関係者、研究者、マスメディアの対応は、あまりに不勉強かつ稚拙なものであった。
こうした情報制限がなぜ駄目なのかは明白である。まず、情報制限が招く情報不足こそが住民に不安や混乱を与え、さまざまな噂や流言の発生を招き、上述のパニック発生条件(3)を助長して、最悪の場合は真のパニックを招く要因となる。きわめて起きにくいパニックがもし起きたなら、それは情報不足をもたらした側の責任と言えよう。さらに、パニック神話にとらわれて情報制限をおこなった人々は、当然とられるべきだった住民の正当な危険回避行動も妨げた。
たとえば、震災当日のコスモ石油千葉製油所の火災にともなう「有害物質の雨」に関するネット上の情報が「パニックを煽った」などと批判されたが、実際に2003年十勝沖地震にともなう苫小牧のコンビナート火災では有毒ガスが問題になったし、1976年にイタリアのミラノ近郊で起きた化学工場の爆発事故では住宅街にダイオキシンが降った。また、高温噴煙の上昇が火山灰まじりの降雨を引き起こすことは火山学の常識である。つまり、「有害物質の雨」の危険性は十分現実的なものであり、正当な危機感が表現され、「雨に直接濡れるな」等の危険回避のヒントも含まれていた。なお、千葉製油所に隣接した劣化ウランの保管施設がこの時延焼していたことが、後日明らかになった。
3月19日発売の週刊誌AERA(3月28日号)の「放射能がくる」という表紙もパニックを煽るとして叩かれたが、同じころ深刻な事態を予測していた専門家も複数いた。その心配は現実のものであり、3月15日や21〜22日に高濃度の放射能雲が関東上空を漂っていたことが、その後の調査・研究で判明している。一方、原発事故直後に福島県に招かれた放射線健康リスク管理アドバイザーは、科学的に解明できていない低線量被曝の晩発的影響について、人心安定のためにあえて「大丈夫」と言い換えたとの趣旨の談話を残している(週刊朝日4月22日号)。こうした情報制限は、先のSPEEDIデータの公表遅延とともに、警戒区域外にいた人々の放射能に対する危機感を低下させ、不要な被曝を助長した疑いがある。
情報制限は、本来は協力して危機を乗り切るべき情報発信者と受け手の人間関係をも引き裂く。情報制限の事実が後から次々と明るみに出たため、もはや行政や研究者が出す情報は、おいそれと信用してもらえない状況となっている。そもそも、どこまでのリスクを許容できるかを決めるのは、あくまで個々の住民である。情報発信者がすべきことは、具体的なリスクを不確定部分があっても包み隠さずに提示し、それを誠実かつ丁寧に解説することであり、勝手な解釈を押しつけることではない。
パニック神話にとらわれた研究者や行政担当者の主張を、何の批判もなく右から左へと伝えたマスメディアや科学コミュニケーター(普段から職とする人の他に、ボランティア的な専門家や一般市民も含む)が多かったことも、今回の原発災害の特徴である。多くのジャーナリストや科学コミュニケーターが、リスクコミュニケーションに関しては素人同然であった。
なお、行政担当者は、「パニック防止」という名目以外に、「風評被害の防止」という名目でもしばしば情報制限をおこなっている。風評被害とは、過剰警戒した消費者の買い控えなどの自粛行動によって生じる経済的被害のことである。ところが、上述したように低線量被曝のリスクはグレーゾーンが広いため、検出された値が暫定規制値以下でも、そのことだけで「安全」が保証されるわけではないし、そもそも暫定規制値自体が非常時に限った高目の値である。そうした点を考慮すれば、消費者の買い控えは正当な行為と言えよう。つまり、「風評被害」は、生産者側の立場と解釈を一方的に押しつける言葉なのである。
しかしながら、中立な立場にあるはずのマスメディアは、行政や生産者の使う風評被害という言葉をそのまま報道し、消費者の立場や感情を踏みにじり続けている。さらには、この情報制限によって、かえって消費者の不信と警戒感を増大させ、経済的被害の拡大を招いている疑いがある。
今後、リスク情報の発信・伝達にかかわるすべての組織と人間は、「パニック」に関する漫然とした偏見を捨て、「風評被害」の言葉の問題も含めた最新の心理学・災害情報学の知見をわきまえた上で行動してほしいと願う。
参考文献
Covello, V.T.ほか(1988)Risk Communication. KFA Julich GmbH
吉川肇子ほか(2009)危機管理マニュアル〜どう伝え合うクライシスコミュニケーション.イマジン出版
釘原直樹(2011)グループダイナミックス〜集団と群集の心理学.有斐閣
Mileti, D.S. and Peek, L. (2000) Journal of Hazardous Material, 75, 181-194
関谷直也(2011)風評被害〜そのメカニズムを考える.光文社新書