(地球惑星科学関連学会1999年合同大会予稿集)

歴史時代の富士山噴火史の再検討―史料信頼性の吟味,史料欠落期を考
慮した活動の消長,巨大地震との関連性


小山真人(静岡大・教育・総合科学)

Eruptive history of Fuji Volcano in historic times: source documents, change in
activity, and influence of interplate earthquakes

 富士山の歴史時代の個々の噴火記事について,史料の出自や性格から
できる限りの信頼性の吟味をおこない,疑わしい12事例を除いた残りの
38事例について火山活動史年表をまとめた.その作業をつうじて1435年
噴火・1703年鳴動・1770年噴火?などの新史料を見いだし,噴火堆積物
との対比の再検討や新たな対比もおこなった.また,富士山周辺地域に
おける歴史記録欠落期の時期と広がりを検討した上で,火山活動の時期
的盛衰について考察した.近隣地域で生じるM8クラス地震との関連性
についても検討を加え,南海トラフ東部および相模トラフで発生した地
震と時間的に近接した火山活動の変化を11事例について見いだした.

All available historical documents and paintings, which record abnormal
phenomena relating to Fuji Volcano, were examined and classified according to
reliability of each material. Reliable descriptions were correlated with eruptive
products. Volcanic activity was in high-level during the 9-11th century. The
low-level activity during the 12-16th century is probably due to a lack of enough
records. After the 17th century, the activity is generally low except for the 1707
eruption. At least thirteen interplate earthquakes have occurred near Fuji Volcano
(in east Nankai and Sagami Troughs) since the 9th century. Eleven of the 13
earthquakes occurred coincidently with volcanic events (eruption, rumbling, or
change in geothermal activity) of Fuji Volcano within a interval of +-25 years.

 富士山には,1707年12月16日(宝永四年十一月二十三日)から16日間
にわたった宝永噴火に代表される,歴史時代のいくつかの噴火記録が知
られている.しかし,従来のほとんどの研究においては,史料の出自や
性格などにもとづいて記述の信頼性を吟味するという,文献史学の上で
は当然とされる手法が適用されたことはなかった.それゆえ,格段に信
頼性の劣る史料中の記述内容までが含まれた噴火史年表が作られ,それ
らにもとづいて火山活動の時期的盛衰や南海トラフ地震との関連性の検
討がなされたり,不正確な知識が一般市民に説明されたりしていた.
 本研究は,このような現状に鑑み,富士山の歴史時代の個々の噴火記
事についてできる限りの信頼性の吟味をおこない,現時点で得られる最
良の噴火史年表を提供することを目的とした.また,噴火堆積物との対
比や,近傍地域で起きる大地震との関連性についても検討を加えた.
 まず,富士山について現在知られているすべての天変地異記録をとり
あげ,史料の出自や性格から個々の記録の信頼性を吟味し,吟味結果を
以下のように分類した:1)信頼性の高い噴火(あるいは他の火山関連現
象)記事,2)信頼性の劣る噴火(あるいは他の火山関連現象)記事,
3)信頼性の高い記事であるが,火山関連現象とは断定できないもの,
4)富士山以外の火山の噴火記事と考えられるもの,5)信頼性の高い記
事であるが,火山活動に関連しない現象の記述,6)信頼性の劣る記事で
あり,かつ火山活動に関連しない現象の記述,7)誤記・誤解等によって
生じた誤りと考えられるもの.
 このうち,7)に分類した12事例を除いた残りの38事例について年表を
作成した上で,考察や噴火堆積物との対比をおこない,以下の新知見を
得た.
(1)北斜面から北麓にかけて分布する剣丸尾第1溶岩は,937年(承平七
年)噴火の産物である可能性がつよい.1033年(長元五年末)噴火の際
に流出した溶岩流は,剣丸尾第2溶岩あるいは焼野溶岩であろう.1083年
(永保三年)噴火は爆発的な噴火であった可能性がつよい.北斜面に分
布する大流溶岩は,山梨市付近からの目撃記録がある1435(または143
6)年(永享七年)噴火の堆積物と考えられる.1770年(明和七年)に南
東斜面で異常な発光現象と煙が目撃されており,小規模な側噴火が起き
た疑いがある.
(2)噴火記録の欠落期間を議論した上で,火山活動の時期的盛衰につい
て考察した.11世紀以前の平安時代における富士山の噴火頻度が,17世
紀後半以降より高かったことはほぼ確実である.12世紀に入って火山活
動が低下したようにみえるが,記録遺漏の可能性大なので断定はできな
い.15〜16世紀の2回の噴火記録は,たまたま記録媒体(2つの寺社年
代記)が今日まで保存されたために記録として残った可能性がつよく,
12世紀〜17世紀前半の期間には火山活動記録の遺漏があるだろう.
(3)近隣地域で生じるM8クラス地震との関連性について考察した.史
料不十分で判断不能の1605年地震と1944年地震を除いた残りの11地震の
すべてについて,時間的に近接して(±25年以内に)富士山の火山活動
になんらかの変化が生じたと言える.また,南海トラフ東部で起きる地
震だけではなく,相模トラフで生じる地震も富士山の火山活動を変化さ
せたようにみえる.たとえば,1703年元禄関東地震の35日後から4日間に
わたって富士山麓で鳴動が聞こえた(噴火には至らなかった).
 1707年宝永南海トラフ地震の際には,地震発生日から30日が過ぎた頃
から富士山麓でふたたび鳴動が聞こえ,45日め頃から有感地震が起き始
め,49日めの宝永噴火に至った.しかし,この事例のように必ずしも地
震の後に火山活動の変化が生じるわけではなく,地震の前に火山活動が
変化したケースもあるとみられる.たとえば,1293年関東地震(石橋,
1991,地震学会予稿集)の25年ほど前から,それまで100年以上にわたっ
てほぼ連続的に望見されていた山頂付近の煙が途絶えた.


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