(日本地震学会1995年秋季大会ポスターセッション発表内容)

歴史記録からみたアムールプレート周縁変動帯における地殻活動の時間変化

小山真人(静岡大教育)

Temporal changes of crustal activities in the circum-Amurian-plate tectonic belt since the 16th century based on historical records

Masato Koyama (Shizuoka Univ.)

1.はじめに
 アムールプレート(以下,AMR)の存在の是非やテクトニクスについての議論は,日本周辺の地震テクトニクスや大地震の将来予測を考える上で重要である.たとえば,石橋(1995, 地質ニュース)は,日本海東縁から中部・近畿地方を経て南海トラフにいたる変動帯を,AMRの東進に関連してできた一連の変動帯としてとらえ,過去この変動帯において南海トラフ地震に先行する何回かの地震(および火山)の活動期が存在し,現在またその活動期に入りつつあるという興味深い考え方を示した.しかし,これまでのAMRに関する地震やテクトニクスの議論は,ロシアや中国のデータが得にくい面もあって,AMR東縁だけに偏っている.ここでは目を西に向けるという問題提起の意味で,AMRの存在を仮定した上でAMR周縁全体で起きた歴史地震に注目し,その時間変化を調べてみた.

2.データ
 材料として用いたのは,宇津(1995,東大地震研)の世界の被害地震の表(改訂4版)であり(予稿集作成時に利用したのは1989年の暫定版であった),記録の豊富な16世紀以降にとくに注目した.対象地域における宇津の表のデータは,以下の資料にもとづいている.
 日本周辺:宇佐美(1987)『新編日本被害地震総覧』をベースとし,必要に応じて他の東大地震研・気象庁資料で補ったもの.
 中国:顧ほか(1983,1984)『中国地震目録』をベースとし,謝ほか(1983-87)『中国地震歴史資料彙編』で若干の被害地震を補ったもの.『中国地震目録』は,中国版『新編日本被害地震総覧』とも呼べる体裁をした地震カタログであり,史料からまとめた各地域の被害記載,被害から推定した震度分布とMを載せている.『中国地震歴史資料彙編』は,中国版『新収日本地震史料』とも呼べる地震史料集.
 ロシア地域:Kondorskaya and Shebalin (1982) 『New Catalog of Strong Earthquakes in the U.S.S.R. from Ancient Times through 1977』(ロシアとその周辺の地域別歴史地震カタログ.各種パラメータとその元となった文献が記されるのみで,詳細な被害記載はない)にもとづく.この他,モンゴル,サハリンなどの辺境地域においてKondorskaya and Shebalin (1982) にない地震がいくつかあり,それらをWorld Data Center Aの被害地震カタログおよびMilne (1911)のカタログから補ってある(ただし,これらの歴史地震データの信頼度は,地元史料を欠くために高くないと思われる).
 朝鮮も対象地域内であるが,朝鮮で起きた各歴史地震像を系統的に研究した研究は見あたらず,宇津の表にもMの記載がないため,ここでは採用しなかった.

3.歴史地震の時空分布とアムールプレート
 以上の歴史地震のうちM6以上のものの震央をすべてプロットしたのが図1である.これらの歴史地震分布は最近の地震分布(たとえば,石川,1992,地質学論集)と似ており,AMRの周囲をよく縁どるように見える.ロシア帝国がバイカル湖周辺をその版図におさめたのは17世紀なかばであるため,ロシア地域における歴史地震データは18世紀以降のものに限られている.

図1 1498年以来の歴史地震の震央分布(さらに細かな期間別に色分けしてある).○の大きさはマグニチュード.大丸:≧M8,中丸:M7〜8,小丸:M6〜7.

 これらの歴史地震のうちM6以上のものについてMをエネルギーに換算し,1:アルタイ山脈-バイカル湖付近-スタノボイ山脈(AMR北西〜北縁),2:中国(AMR南縁),3:日本-サハリン(AMR東縁)の3地域に分けて,地震による放出エネルギーの累積変化図を描いた(図2A〜2B).AMRの北西〜北縁および東縁の位置については,研究者間の意見がほぼ一致している(Zonenshain and Savostin, 1981, Tectonophys.;石川・于,1984,地震学会予稿集;木川ほか,1986,月刊地球;瀬野,1995,地質ニュースなど).しかし,AMR南縁の位置は研究者によって異なる.地質構造と地震分布から明らかなように,中国地域はブロック化が著しく(たとえば,Ma, 1988, Episodes),現状ではAMR南縁を特定するのは困難のようである.よって,ここでは衝突の影響とみられる天山地域,四川省〜雲南地域,台湾地域の3地域のクラスターを除いた黄河流域〜渤海湾の地震すべて(図1)を,AMR南縁を代表する中国地域の地震として扱うことにした.
 なお,日本においては,太平洋およびフィリピン海プレートの沈み込みの影響を除くため,それらのプレートと密接にカップリングしていると思われる千島-日本-伊豆・小笠原海溝と南海トラフ近傍,およびそれぞれの前弧域で起きた地震を省いた.また,雲仙-島原地溝より南で起きた地震も一応省いた.

図2A 上図:地震による積算エネルギー放出量の累積変化図.3地域に分けて示した.中図と下図:個別地震のM.中図は中国地域,下図はアルタイ―バイカル―スタノボイ地域.

図2B 上図:地震による積算エネルギー放出量の累積変化図(日本地域).図2A上図 に示したグラフを拡大したもの(ただし,信頼性の劣るサハリン地域の地震を除いて日本史料から得られた歴史地震だけを示した).下図:同地域の個別地震のM.

4.結果と考察
 日本地域で放出された地震エネルギーの累積変化と南海トラフ地震との関係(図2B)に注目すると,石橋(1995)の主張通り1605,1707,1854年のそれぞれの南海トラフ地震後40年程度の期間の累積率は,地震前より小さいように見える.しかしながら,1944, 46年の南海トラフ地震後の累積率の明瞭な鈍化は見いだせず,むしろそのかなり以前にあたる1890〜1910年頃の累積率が大きい.

図3 図2Aに示した3地域の総和を示したもの.

 すべての地域の累積率の総和(図3)を見ると,1660〜1740年頃の累積率が大きく,その後1740〜1880年頃の安定期があった後,1880〜1930年頃に再び大きくなり,その後またやや減少して現在に至るように見える.つまり,AMR周縁変動帯全体の地殻活動という視点から見れば,17世紀後半〜18世紀前半と19世紀末〜20世紀初頭がその活動期のピークにあたるのではないだろうか.この視点から図2Bを見ると,1891年濃尾地震は19世紀末〜20世紀初頭の活動期に呼応した事件として説明できる.
 また,火山噴火との対応関係も興味深い.19世紀末〜20世紀初頭の活動期における強い地殻歪が同時期の東北地方の火山噴火集中事件(1888磐梯,1888-1905秋田駒ヶ岳,1890秋田焼山,1893-95吾妻,1899-1900安達太良など)の引き金を引いたかもしれない.また,中朝国境の白頭山の4回の歴史噴火のうち,年代の確定している1597年と1668, 1702年噴火(小山,1995,歴史噴火)が1605および1707年南海トラフ地震にそれぞれ先行することも注目に値する.

5.おわりに
 いずれにしろ,歴史地震のM推定精度は高くなく,また歴史地震特有の記録欠落やノイズ混入の問題がつきまとうので,ここでは大雑把な傾向を見るにとどめる.日本においては,『被害地震総覧』や『新収地震史料』の刊行をもって歴史地震の研究が完結したような大きな誤解が地震学者の間に蔓延しているように思われるが,実は問題点が整理されたに過ぎない.今後精密な議論をするためには,史料批判をつうじて各国の個々の歴史地震・噴火の真偽やMを個別に評価していく地道な努力が必要である.また,AMRのテクトニクスの研究も端緒についたばかりであり,今後の発展が欠かせない.


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