伊豆大島火山

 伊豆大島は,相模湾に浮かぶ南北12km,東西8kmの,まるでカキ殻を伏せたような,なだらかな形をした火山島です(写真1,図1).このなだらかな形は,島の大部分が粘性の小さい玄武岩質の溶岩や火砕岩からできているためです.伊豆大島火山の陸上部分の最大標高は764mですが,海底部分を入れると水深400〜500mくらいの相模湾底からそびえ立つ大きな火山であることがわかります.

写真1 船上からみた伊豆大島

図1 伊豆大島の地形と1986年噴火堆積物

 島のほぼ中央には,直径2.5kmの北東に開いたカルデラ地形があり,その南部に底面の直径1.2km,比高150mの円錐台形をした後カルデラ火砕丘の三原山があります(写真2,図1).三原山の山頂には直径300mの円筒状の三原山火口が口を開けています.

写真2 御神火茶屋からみた三原山と1986年A溶岩流

 島の北側から東側にかけては,海岸または海岸近くを縁どるように,比高100〜300mの海食崖がほぼ連続して続いています.これらの海食崖には,古い時代の伊豆大島火山体の内部が露出しています.また,これらの海食崖の下部には,伊豆大島火山以前にあった3つの古い火山体(岡田,行者窟,筆島の3火山)の一部も見ることができます.海食崖よりも海側に発達する平坦地や緩斜面の多くは,新しい時代の溶岩流が海中に流れこむことによって作られた土地です.現在の元町のある緩斜面も,14世紀はじめのY5.2噴火によって流出した溶岩流(元町溶岩)が海に流れこんで作られました.
 伊豆大島は,およそ3万年ほど前に海面上に姿をあらわし,その後およそ100〜200年に一度の爆発的噴火を繰り返し,火山体を成長させてきました.島の南西部の自動車道ぞいの崖(地層大切断面)で,伊豆大島の過去およそ2万年間に100回ほどおきた爆発的噴火の火山灰や火山礫の積み重なりを見ることができます(写真3).地層がしゅう曲しているように見えるのは,実はしゅう曲ではなく,火山灰などがもとあった地形面の凹凸をおおうようにして平行に堆積していった結果,そのように見えるだけです.その証拠に,地層間に浸食によって作られた明瞭な不整合が見られる部分がありますし(写真3の中ほど),凹部の一部を水平に埋めている溶岩流も観察できます.

写真3 地層大切断面

 およそ8500年前と1450年前(テフラ層序におけるO41噴火とS2.0噴火時)には,山体崩壊と岩なだれの発生が起きました.現在みられるカルデラは,1450年前の山体崩壊によって馬蹄形崩壊谷として作られたようです.この時に発生した岩なだれの堆積物を,島のほぼ全域で観察することができます.
 カルデラ形成期のS2.0噴火をふくめて現在までの間に,島のカルデラ外にテフラ層として確認できる噴火(テフラ噴出量でみて60万トン〜7億トン)が24回繰り返されました(写真4,図2).このうちのN3.0噴火末期の838年には,伊豆大島の南西方にある神津島火山が大噴火をおこし,流紋岩質の白色火山灰が伊豆大島にも降りつもりました.N3.0火山灰の上部にはさまれるこの白色火山灰は,伊豆大島の噴火史を調べる上でのよい鍵層になっています(写真5).

写真4 カルデラ外側斜面に堆積したテフラ層

図2 カルデラ外側斜面に堆積したテフラの模式柱状図(カルデラ形成以降のもののみ)

写真5 伊豆大島火山のN3.0火山灰上部にはさまれる神津島天上山838年噴火の白色火山灰

 伊豆大島火山においては,カルデラ内で生じる中心噴火のほかに,カルデラ外側の山体斜面において側噴火が生じることがあります.歴史時代にも,このような側噴火が9回おきました.島の南東部にある波浮港は直径500mほどの楕円形をした凹地であり,水蒸気マグマ噴火によってできたマールです.波浮港火口は当初は内陸にありましたが,1703年の元禄関東地震の時の津波によって海とつながり,その後の湾口の拡張工事によって現在のような港として整備されました(写真6).最新の側噴火が,1986年におきたC割れ目火口(図1)の噴火です.
 江戸時代の安永年間(1777年)におきた噴火(Y1.0噴火)は,カルデラ外の側噴火こそおこしませんでしたが,1.5億トンのテフラと2.8億トンの溶岩流を噴出した大きな噴火でした.明治以降にもかなりの数の噴火が観測されていますが,19世紀前半におきたY0.8噴火以来1986年噴火までは,カルデラ外に降下テフラ層を地層として残すような噴火は一度もおきませんでした.

写真6 波浮港の地形

 1986年噴火は,三原山火口内にできたA火口から溶岩噴泉がおきた第1段階(1986年11月15日17時25分〜11月21日16時15分,写真7),おもにカルデラ底(B火口)およびカルデラ外側(C火口)の割れ目噴火事件がおきた第2段階(11月21日16時15分〜11月23日16時31分,写真8,9),三原山火口での間欠的小爆発がおきた第3段階(12月18日17時34分〜21時21分)の順に推移しました(図1).

写真7 1986年噴火におけるA火口の溶岩噴泉(写真:中村一明)

写真8 1986年噴火におけるB火口の割れ目噴火(写真:中川一郎)

写真9 1986年噴火におけるC火口の割れ目噴火(写真:中川一郎)

 1986年噴火は,噴出したマグマの量だけで比較すると,明治以降に2度あった溶岩流出主体の噴火(1912〜14年噴火および1950〜51年噴火)と大差ありません.しかしながら,1986年噴火は,(1)カルデラ外に地層として残る降下テフラ層(写真10)を残したこと(およそ160年ぶり),(2)カルデラ外で側噴火をおこしたこと(およそ540年ぶり),の2点において,明治以降の噴火とは本質的に異なっており,むしろ14世紀はじめにおきたY5.2噴火や,9世紀前半のN3.2噴火とよく似た噴火であったことが判明しています(図2).

写真10 島の東部の外周道路ふきんに地層として残る1986年スコリア


参考文献
 火山としての伊豆大島のことをさらに深く学びたい人には,以下の文献をおすすめします.

中村一明(1978):火山の話.岩波新書35,岩波書店.
中村一明(1987):伊豆大島と1986年噴火.中村一明・松田時彦・守屋以智雄編,火山と地震の国,岩波書店,142-153.
小山真人・早川由紀夫(1996):伊豆大島火山カルデラ形成以降の噴火史.地学雑誌,第105巻,133-162頁.


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