SERI Monthly (2020年2月号)に加筆

伊豆ジオめぐり(9)

南伊豆の大地の物語

海から眺める伊豆の成り立ち

火山学者 小山真人

石廊崎の風景
 伊豆半島の最南端に位置する石廊崎には、かつて「ジャングルパーク」という熱帯植物園があったが、今は新しい自動車道で灯台手前の駐車場まで行くことができる。その横に新しく建てられたレストハウスが「石廊崎オーシャンパーク」であり、ジオパークのビジターセンターも兼ねている。
 灯台のわきを通過した先の岩場が石廊崎である(写真1)。崖の表面を占めるごつごつの岩は、そこが海底火山だった数百万年前に海中を流れた溶岩(水冷破砕溶岩)である。噴出した熱いマグマが冷たい海水と触れ合ってこなごなに砕けている(写真2)。周囲を見わたす限り同じ岩質の崖が広がり、海底火山の雄大さを実感できる。

遊覧船から見る大地の隆起
 石廊崎が伊豆半島の他の場所と比べてとりわけ重要なのは、海底火山時代から陸上火山時代への移り変わりが、ひとつの崖で見られるからである。その険しい崖には陸側から近寄れないが、幸いなことに遊覧船から間近に見える。車で下田方面に少し戻るか、あるいはオーシャンパークの駐車場から遊歩道を下れば石廊崎港に着く。「石廊崎岬めぐり」Aコースを選ぼう。乗船時間は25分ほどである。
 石廊崎を回り込んで西へしばらく進んだあたりの崖に注目してほしい(写真3)。崖の下部の白っぽい岩が海底火山から噴出した凝灰岩(火山灰が固まった岩石)、上部の赤黒い岩は40万年ほど前に近くの火山(南崎火山)から噴出して流れた溶岩である。赤みがかっているのは、空気に触れて鉄分が酸化した色であり、陸上火山の特徴である。
つまり、この崖では、100万年前ころの本州への衝突にともなって伊豆全体が隆起し、海底から陸上への環境変化が起きたことを直接観察できる。伊豆半島広しと言えども、このような絶好の場所は他にない。
南崎火山の溶岩の上は、伊豆半島南部では珍しく平坦な地形(池の原)となっており、遊歩道が整備され、陸上からも自動車道で行くことができる。夏の夕暮れにユウスゲの花が咲き乱れる名所「ユウスゲ公園」である(写真4)。


写真1 石廊崎と石廊崎港
 手前の岬が石廊崎。右奥の入江が石廊崎港

 

写真2 海底を流れた溶岩
 石室神社の裏の崖に見られる水冷破砕溶岩

 

写真3 遊覧船から見た崖
 下部の白い岩が海底火山。上部の赤黒い岩が陸上火山

 

写真4 ユウスゲ公園周辺のなだらかな地形

 

山を切り裂く断層
 陸化して半島となった後も伊豆と本州の衝突は継続し、活発な断層運動と地殻変動が引き続いている。前回述べた丹那断層もそのひとつであるが、南伊豆にも活断層が出現した。石廊崎断層である(図1)。
 石廊崎断層の動きは地形にはっきりと刻まれており、中学校や高校の教科書・参考書にもたびたび取り上げられている。石廊崎断層は発見されて論文に書かれた直後に1974年伊豆半島沖地震(マグニチュード6.9、死者30名)を起こしたことでも注目を浴びた。石廊崎断層の活動間隔は丹那断層よりもずっと長く、数千年程度と考えられている。現代を生きる私たちには不幸な地震であったが、次に動くのは遠い未来である。

歴史的な文化の集積地
石廊崎港は、近隣の妻良港や下田港とともに、かつては江戸と関西方面を結ぶ幹線航路の風待港として多くの船で賑わった。石廊崎の先端にある石室神社は、航路の安全を願った神社である。陸路に鉄道や自動車道のない近世以前は、物資輸送の多くは海路経由であり、南伊豆地域は伊豆半島の表玄関であった。そのため、多数の資産が集積され、精神文化も花開いた。南伊豆地域に現存する石仏群や(写真5)、各地の寺院が保管する平安仏などは、その証拠のひとつである。
 以上述べたように、南伊豆地域は、伊豆半島の大地の成り立ちの根幹部分をほぼ1箇所でたどることができる上、その地理的・地形的特質を生かした歴史や多数の文化遺産を残すことから、ジオパークにとって必須の見どころとなっている。


図1 石廊崎付近の地形
 直線上の谷間(向き合う白矢印の間の細い破線)を通る石廊崎断層が、3本の尾根(太い破線)を同じ方向にずらしている。「スーパー地形」を使用

 

写真5 子浦の三十三観音
 妻良港の北隣の山中にある見事な石仏群。背後の崖は海底火山から流れた土石流の地層

 

 


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