SERI Monthly (2019年5月)に加筆

伊豆ジオめぐり(2)

伊東の大地の物語

消えた湖と「赤牛」の伝説

火山学者 小山真人

一碧湖の「赤牛」
 一碧湖(古名は「吉田の大池」)は、伊東温泉街の南方にある直径500mほどの円形の湖で、およそ10万年前の伊豆東部火山群の噴火で生まれた火口湖である(写真1)。この周辺に古くから伝わる民話のひとつとして「赤牛」の伝説があるのをご存知だろうか。
 それによれば、かつて吉田の大池には真っ赤な色をした牛の怪物「赤牛」が住み、しばしば船を転覆させて住民を食べたりしていた。困り果てた住民は、高名な僧侶に頼んで7日7晩の祈祷をしてもらったところ赤牛を鎮めることに成功し、以後は平和な湖に戻ったという(図1)。
 実は、この話には前段が付いている。かつて赤牛は「小川沢」の池に住んでいたのだが、その住みかが年々狭くなったため、吉田の大池に引っ越してきたのだという。では、小川沢とその池は何処にあるのだろうか?

水道山と小川沢
 伊東温泉街の南西に広がる丘陵は、「水道山」と呼ばれて市民に親しまれている(写真2)。この名前は、伊東市の上水道を支える多数の水源があることから名づけられた。水道山の地盤をつくる岩石は宇佐美火山から数十万年前に噴出した溶岩だが、その上を厚さ20m以上もある伊豆東部火山群の火山れき層がおおっている。その火口は水道山の尾根付近に少なくとも3つ知られており、総称して馬場平―鉢ヶ窪火山列と呼ばれる。この火山列が噴火したのはおよそ2万4000年前である。
 水道山の北に隣接した大きな谷間が小川沢であり、伊東市街から西に長く伸びている。冷川峠越えの県道や冷川バイパスが建設される前は、この谷間に沿って伊東と修善寺を結ぶ街道が通っていた。小川沢の地形は急峻であり、どこにも池や湖はないし、過去にさかのぼってもあったようには見えない場所である。小川沢の池に関する赤牛伝説の記述は、ただの空想を語っているだけなのだろうか?

写真1 伊東市の一碧湖

 

図1 赤牛伝説を解説する伊豆半島ジオパークの看板

 

写真2 南東上空から見た伊東温泉街と水道山

 

噴火で消えた湖
 2010年ころ、最新の航空レーザー測量技術を用いて伊豆半島全体の精密な地形図が作成された。それを興味深く眺めていた時、小川沢中流の標高250m付近に東西200m、南北500mほどの盆地状の平坦な地形が広がっていることに気づいた(図2)。従来の等高線による地形図では不明瞭だった部分である。
 この地形の成因を調べるために地質調査をしてみたところ、平坦面の下にある地層は厚さ50mほどの柔らかな泥質の堆積物であった。この堆積物は、古い地層の上をおおって平坦面とその周囲だけに分布する(写真3)。
 つまり、ここにかつて小型の湖があり、泥質堆積物は湖の底に長い時間をかけてたまった地層、平坦面はその湖が干上がった後に残された湖底の地形と考えられる。平坦面の下流側には地すべりや土石流の地層が厚く分布することから、この湖は山崩れによって川がせき止められてできた「せき止め湖」であろう。
 さらに驚くべきことに、この湖の堆積物の上を、先に述べた馬場平―鉢ヶ窪火山列の火山れき層が直接おおっていた(写真4)。注目すべきは、火山れき層自体には、水の底で堆積した証拠が見られないことである。このことは、この湖が噴火の際に決壊し、その干上がった直後の湖底に火山れき層が降り積もったことを意味する。おそらく噴火にともなう大地震や大規模崩壊によって湖水が一気に抜けたのだろう(図3)。

解き明かされた謎
 以上述べたように、かつて小川沢に本当に湖があったことが、地質調査によって明らかになった。しかしながら、この湖は2万4000年前、つまり旧石器時代に起きた噴火とともに消滅した。大事件ではあるが、歴史学の常識からすれば、そのような古い出来事が今日まで伝承されることはありえない。では、地質学の成果と伝説の中身の一致は単なる偶然であろうか? 
 この疑問を解く鍵となったのが、伊東市史の調査の中で発見された和田村(現伊東市内)の文禄三年(1594年)の文書である。その中には、「岡村」の山中の「上小川」に東西60間(110m)、南北20間(36m)、深さ2〜3尋(3〜4m)ほどの池があり、そこは小川沢の上流で村から24間(40m)の距離にあるとの内容が書かれていた。「岡村」は現在の伊東市岡区であり、小川沢の下流に位置する。
 つまり、16世紀の小川沢にも池が存在したのである。しかし、その大きさは東西110m、南北20mで、位置は村から40mというから、2万4000年前に消滅した湖よりずっと小さく、かつ市街地に近い場所にあったことになる。
 おそらく真相はこうであろう。小川沢は地形が急峻なため、山崩れによるせき止め湖の誕生と消滅が歴史上たびたび起きたのではないだろうか。そうした歴史時代の池のいずれかが、赤牛伝説の中で引き合いに出されたと考えれば、納得が行くのである。

図2 水道山と小川沢付近の立体地形図(国土交通省沼津河川国道事務所作成の原図に加筆)

 

写真3 かつての湖の底にたまった泥などの地層が、古い土石流堆積物の上をおおう。

 

写真4 写真3の崖の上部の拡大。湖の底に堆積した泥の層の直上を、乾いた陸地に堆積した火山れき層がおおう。

 

図3 小川沢の巨大地すべりがつくった湖と、その後の噴火による消滅(イラスト:萩原佐知子)

 


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