SERI Monthly (2019年4月)に加筆

伊豆ジオめぐり(1)

湯ヶ島の大地の物語

文豪を惹きつけた土地の秘密

火山学者 小山真人

文豪を惹きつけた土地
 伊豆半島の付け根を南北に流れる狩野川は、南に遡ると天城山の懐深く入っていき、その名前を本谷川と変えて深い谷底を流れる渓流となる。ちょうどそのあたりに古くから知られた小さな温泉郷、湯ヶ島(伊豆市)がある。ここには、川端康成や梶井基次郎などの文豪たちが長く滞在し、「伊豆の踊子」などの著名な作品を執筆した。
 湯ヶ島からは狩野川が刻んだ谷間の55km先にそびえる富士山がかろうじて眺められ、その小さく霞みながらも荘厳な姿を、川端は『燕』の中で「山と言うよりも天体の一種」と表現した。湯ヶ島から見る富士山の姿を表現する言葉として、これ以上のものを筆者は知らない。また、湯ヶ島は井上靖が幼少時代を過ごした場所としても知られ、彼の作品「しろばんば」には湯ヶ島付近の原風景が生き生きと描かれている。彼が通った旧湯ヶ島小学校の校庭には、彼の詩「地球上で一番清らかな広場」を刻んだ石碑が残されている。
 伊豆半島に数ある温泉地のひとつに過ぎない湯ヶ島に、なぜわざわざ文豪たちが滞在したり、彼らの鋭い感性が養われたのか?それは湯ヶ島の多様な地形と、そこに育まれた自然・社会の景観がもたらした結果ではないだろうか。

湯ヶ島の不思議な地形
 湯ヶ島の地形は、とても不思議である。南北を流れる狩野川/本谷川に向けて、東から長野川、西から猫越川が合流して十字形の谷間をつくり、なぜかその十字の中央に熊野山がある。この熊野山を取り囲むように湯ヶ島温泉の町並みが広がる(写真1)。
 熊野山の標高は277m、湯ヶ島温泉街から標高差で70mほど小道を登れば山頂に至る小山であるが、周囲の山々と明らかに異なる特徴を備えている。平らな頂きをもつ、孤立した小台地であることだ。山頂の平坦面には広い墓地がつくられており、そこに井上靖の墓所もある。また、よく見ると熊野山だけでなく、少し離れた長野川や本谷川沿いにも、まるで谷間を何かで満たしたような形をした不思議な小台地群がある(写真2)。これらの地形が複雑な川の流れをつくり、多様な植生や耕作地をもたらし、そこに温泉が湧くという幸運もあって、風光明媚な温泉街が成立したという訳である。
 では、湯ヶ島の地形を特徴づける小台地群は、どのようにして造られたのだろうか?本谷川や長野川ぞいの台地群は、伊豆東部火山群に属する小火山たちが時おり流した溶岩がつくる地形である。溶岩は粘り気のある液体なので、谷間を埋めるようにして流れて固まり、小さな台地となる。実際にそれらの台地の縁に行けば冷え固まった溶岩の崖が見える(写真3)。

写真1 熊野山とそれを取り巻く湯ヶ島温泉街。遠景に富士山の一部

 

写真2 美しい棚田が広がる長野川ぞいの小さな台地。左遠景に熊野山と湯ヶ島温泉街

 

写真3 本谷川にかかる浄蓮の滝。岩盤は鉢窪山(伊豆東部火山群)から流れた溶岩

 

熊野山の謎
 しかしながら、熊野山の成因だけは解明できていなかった。先に述べたように熊野山は孤立した小さな台地であり、そこを刻む川や大きな崖もないため、その地質を探る手がかりに乏しかった。筆者は、ジオパークの学術的基盤を強化するための地質調査の一貫として、あらためて熊野山の謎に挑戦した。
 その結果、熊野山は上下2つの地層からできていることがわかった。下半分は山崩れや大雨によって流れてきた厚さ40mほどの土石流の地層で、その上を厚さ30mほどの溶岩がおおっている(写真4)。熊野山の山頂の平らな面は、この溶岩がつくる地形だったのである。
 そして、その溶岩の岩質に筆者は見覚えがあった。天城山のものである。さらに調査を進めたところ、本谷川に沿う山地のところどころにへばりつくように、よく似た溶岩が分布することを突き止めた。分布が途切れ途切れなのは、後の浸食によって削られたためであり、もとは天城山の溶岩が本谷川ぞいを流れ下って湯ヶ島付近にまで達していたのである。

解き明かされた大地の成り立ち
 以上のことから描き出した湯ヶ島の大地の物語は、おおよそ以下のようなものである(図1)。今を遡る数十万年前、まず大雨による付近の山地の崩壊によって大規模な土石流が湯ヶ島付近に達した。次に、天城山の噴火で流れた溶岩が本谷川ぞいを流れて湯ヶ島付近に達し、土石流の上をおおった。その後、天城山の噴火は止み、その後の長い年月の浸食によって土石流や溶岩の大半は失われ、熊野山など一部に残るのみとなった。そして15万年前になると伊豆東部火山群の噴火があちこちで起きるようになり、その溶岩が谷の各所を埋めた。
 以上の結果、湯ヶ島付近の多様な地形が完成し、風光明媚な温泉街とそこに花咲く文学の郷の土台が造られたのである。

写真4 熊野山の土石流の地層から崩れたとみられる巨石。片面をくりぬいて露天温泉として使われている。NHKブラタモリ「伊豆」でも紹介された。

 

図1 湯ヶ島付近の地形発達史の概要。基図は「スーパー地形」による。(左上)数十万年前、天城山が噴火して本谷川ぞいを溶岩が流れた。
(右上)その後の浸食によって、溶岩の分布が断続的になったが、熊野山の上には残った。
(下)15万年前以降、あちこちで伊豆東部火山群が噴火し、谷ぞいの小台地群が造られた。

 


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