伊豆新聞連載記事(2012年4月1日)
火山学者 小山真人
アイスランドのカトラ・ジオパークには、前回述べた自治体境界の問題によって、もうひとつ重要な隣接スポットが欠けている。南方10キロメートルほどの沖に浮かぶヘイマエイ島である。周囲にあるいくつかの小さな無人島も含めてヴェストマンナエイヤル諸島とも呼び、何十万羽もの海鳥が営巣する自然の楽園としても知られている。ヘイマエイ島の人口は4000人あまり、島の唯一の入江にアイスランド一の水揚げ量を誇る漁港がある。この風光明媚で平和な島が、かつて火山噴火の恐怖にさらされた。
1973年1月21日の夜から島に群発地震が起き始め、徐々に激しさを増した。誰もがただならぬ気配を感じ始めた23日の未明、島の東端近くの陸上に割れ目火口が開き、噴火が始まった。その時、島には5300人の住民がいた。町から割れ目火口までたった300メートルしか離れていなかったにもかかわらず、人々は整然と本島への避難を開始し、噴火開始から5時間ほどで保安要員150名を除く島民全員の避難を完了した。
どこかの国の致命的にスピード感のない行政と大いに違っていて驚かされるのは、アイスランドの指導者たちが行った迅速かつ柔軟な判断と行動である。夜が明けて火口の位置や噴火の様相が明らかになると同時に、島に残された公共および個人財産を保全する努力が始まった。家畜、800台におよぶ自動車、港の倉庫で冷凍されていた大量の魚は、すぐさま本島への海上輸送が始められた。噴火開始の翌日の1月24日には、住民に一時帰島して個人財産を運び出す許可が与えられた。また、2月7日にアイスランド議会は、噴火による損害の埋め合わせと復興のために全国民に対する税率増加を決定し、それと同時に政府は国庫金の放出を決めた。これらの対応は、日本と比べものにならないほど迅速であり、かつヒューマニズムあふれる政治や行政の心意気が感じられる。同じ地震・火山国なのに、なぜこのような差が生まれるのだろうか。東日本大震災に対する無為無策や愚鈍をさらけ出した日本の政治・行政システムは、どこかが根本的に誤っているとしか言えない。
しかし、ひと息つく暇もなく、ヘイマエイ島の人々にとっての本当の危機が訪れた。火口から流出した溶岩がゆっくりと海を埋め立て、2月初めに港の入江の出口を塞ぎ始めたのである。ここが溶岩に塞がれれば、島の漁業は壊滅状態となる。この一大事に対して、人々は前代未聞の作戦を実行した。大量のポンプを導入し、流れる溶岩に対して毎時1万2000トンもの放水を船上からおこなったのである。その結果、ついに溶岩流は動きを止め、港の出入り口の水路は守られることとなった。
空から見たヘイマエイ島。町の向こうに見える黒い2つの丘のうちの左側が、1973年噴火でできたエルトフェトル山。大室山などと同じでき方をした「スコリア丘」である。
港の出入口の水路をふさごうとした溶岩流。