伊豆新聞連載記事(2012年1月8日)
火山学者 小山真人
3月11日の東日本大震災の津波にともなって、気仙沼港、仙台港、八戸港などの周辺陸上には、当初は多数の大型船が打ち上げられていた。あるものは斜めにかしぎ、あるものは横倒し、あるものは岸壁に突き刺さった姿をさらした。しかし、その後、修理可能な船は海に戻され、海から遠く運ばれた船は解体されて、そのほとんどは姿を消した。いくつかの船については、津波遺構として保存し後世に伝える案も出たが、結局実現されずに撤去が続いている。
この問題がとくに顕著に表れたのが、陸に乗り上げた大型観光船「はまゆり」の保存をめぐる経緯である。「はまゆり」は岩手県釜石市が所有する観光船であり、震災当日は隣の大槌町の造船所で整備中であった。そこへ3月11日の大津波が襲った。流された「はまゆり」は、大槌町赤浜地区にある2階建ての民宿の屋上に乗り上げた。まるで人工的にきちんと載せたような奇跡的な姿はすぐに報道され、米国ワシントン・ポスト紙のウェブサイトにも掲載されて世界中を駆け巡った。何の説明がなくても、誰もが見ただけで何が起きたかを瞬時に理解できる第一級の津波遺構である。しかも、船はほとんど無傷であった。下の建物の補強工事をおこなった上で、そのままの姿を保存すれば、いずれは世界遺産となって世界中から訪問客が押し寄せたに違いない。慰霊碑にも復興のシンボルにもなりえただろう。
しかし、残念ながら被災地となった地元に、その価値や意義を見通せる余裕はなかった。「はまゆり」を解体・撤去する方針が伝えられると、日本中から保存を要望する声が岩手県や釜石市に届けられ、160人を超える学識者の署名も集められた。もちろん筆者も署名した。共同通信社も4月16日の記事に「津波の爪痕 保存し後世に」などの見出しを掲げ、保存への呼びかけを全国に伝えた。関係者によれば、船を載せた民宿の所有者も理解を示していたとのことである。県庁や地元大学の内部にも理解者が現れた。ところが、そうした声は当の釜石市にあまり理解されなかった。結局、「はまゆり」は5月10日にクレーンで降ろされ、その後解体されてしまった。
皮肉なことに、今になって住民の間から「はまゆり」を模造・復元し、取り壊されなかった民宿の屋上に再び載せて震災モニュメントとするプランが出ているが、船の模型復元のための巨額の資金調達のめどは立っていない(12月15日東京新聞など)。いったん地上に下ろすにしても解体せずに残しておけば、民宿の補強と設置の費用だけで済んだのに残念である。
あまり想像したくないことだが、いつかは伊豆で再び津波災害が起き、こうした船の遺構が残されるだろう。その時が来たら涙をこらえて、どうかその一部をそのままの姿で残してほしいと切に願う。その決断が長い忘却の時を乗り越え、いずれ子孫の命を救うことになるのだ。
津波で民宿の屋根に乗り上げた観光船「はまゆり」。岩手県大槌町赤浜
津波で岸壁に乗り上げた大型の漁船。宮城県気仙沼港